« 自分の「眼の構造」(その2) | トップページ | タカと刀は使いよう―居合道について― »

「学力」対「ゆとり」という振り子

 今朝の毎日新聞(12月15日朝刊)は一面で日本の「学力低下」を取り上げていました。

①「得意の理系も学力低下」(一面)

国際教育到達度評価学会(IEA)が03年、各国の中学2年生(46カ国・地域参加)と小学4年生(25カ国・地域)の学力を調べた国際数学・理科教育調査(TIMSS)で、世界トップレベルとされてきた日本の小4理科と中2数学の平均点が前回(小4は95年、中2は99年)から下がったことが分かった。……高校1年生の読解力が下がった経済協力開発機構(OECD)の03年学習到達度調査(PISA)に続き、学力低下が浮き彫りとなった。

②「クローズアップ2004 『ゆとり』のツケ深刻」(二面)

 この原因を新学習指導要領に基づく「ゆとり教育」に求める論調も周囲には多いようですが、この見方は妥当なものなのでしょうか。教育内容を「三割削減した」(この「三割」というのはマスコミが言い出したものという意見も)という指導要領導入(02年)からわずか一年後の調査でのこの結果。これは本当に指導要領に原因があるのでしょうか。私には問題はそれ以前にあった、指導要領が改訂される前からこの結果は見えていたと思うのですが。
 記事では、理科が「楽しい」と思う割合(小4)も減少していたとあります。問題の根本はむしろこちら、子どもが学校で習う、新しい知識習得に魅力を感じられなくなった(逆に言えば、魅力ある授業を教師が提供できなくなった)ことにあるのではないかと(少し昔なら、「いい大学」に入ることが学ぶ動機にもなっていましたが、今も通用しているとは思いませんし、2007年には全入時代に突入します。もはや学ぶ動機は、「将来のため」という安易なキーワードに求めることはできなくなりました)。
 そう考えれば、この調査結果を機に「詰め込み」へ戻っても問題は何ら解決しないでしょう。新指導要領が導入された背景には、もはや知識を伝達しようにも子どもが学んでくれないという現状分析もあったと思います。だからといって、それを「教育内容の精選」「総合的な学習の時間」という形で解決すべきかどうかについては大いに疑問ですが(時間を削減すれば子どもは学ぶとどうして考えられますか。知識は単純に量として測ることのできるものではありません。かといって突然、子どもたちに「自分で考えよう」と放り出しても自己学習できるとは限りません)。
 「学力」対「ゆとり」の二項対立に陥らないために重要なのは、知識を心地よく(≠楽に・効率的に)習得でき、そして大人になっても頭から剥がれ落ちないような学び方の開発とそのための教師の研究条件を確保することではないのでしょうか。要は、教師を含めて、自分たち大人がいつもどうやって知識を心地よく学んでいるかということにつきると思います(単に情報として頭に詰め込むだけではなく、それを使って未知の知識をつかみ取るような、そんな学び方です)。それを示せば、子どもたちも後について来てくれるのではないかと。

 詰め込んだらそのまま忘れさられ、賞味期限も切れ、腐ってしまったことにすら気付かないということを防ぐために、いつでも取り出して使いこなせるためには、どうすればいいのか。そんなことを考えながら、自分もいろんな情報と向き合っているのですが、うまく料理できず、冷蔵庫のなかで腐らせてしまっている現状です。でも、そこにしか「学力」対「ゆとり」の図式を越える解決方法はないように思うのですが、どうでしょうか。ラクに学べるに越したことはないんですけどね。

|

« 自分の「眼の構造」(その2) | トップページ | タカと刀は使いよう―居合道について― »

教育」カテゴリの記事

コメント

「週刊!木村剛」に引用されてターー(゚∀゚)ーー!!
すごいです。
やっぱり質の高い意見はちゃあんと採り上げられて日の目を見るものなんですねぇ。

投稿: 雨龍景虎 | 2004/12/22 17:11

はじめまして、shibaと申します。
「週刊!木村剛」からたどってきました。

大変興味のある内容だったのでトラックバックさせていただきましたm(__)m

投稿: shiba | 2004/12/23 06:46

二日ぶりに開いたら大変なことになってました(汗)

木村剛さん、sihaさん、トラバって頂きまして
ありがとうございます。
励みになりました(^o^)

投稿: takakist | 2004/12/24 02:23

 はじめまして。興味深く読ませていただきました。確かに「ゆとり教育」をなげく議論って、教育(行政)が、学業達成に与える影響を課題に評価しているような気がしました。

 「学力」対「ゆとり」の二項対立を乗り越える論点の一つとして、学び手を一様のものとしては捉えずに、いくつかの社会的集団に分割する見方(階層・人種・ジェンダー)があるようにも思います。「学力」の向上や、「ゆとり」の確保のための方法は、おそらくこうした社会的属性の違う集団にとって、別様に受けとめられるような気がするので。
 
 「学力」対「ゆとり」ではなく、「誰にとっての」「学力」向上なのか、「誰にとっての」ゆとりなのか、という視点が重要なのかな、と個人的には思います。
 
 なんだかまとまりがないですが、感想を書き込ませていただきました。

投稿: ebony | 2005/01/25 19:33

>ebonyさま
コメントありがとうございます。
集団によって、要求される「学力」や「ゆとり」へのニーズは異なるという意見、
大変おもしろい意見だと思って拝見しました。

これまでの「教育改革」論議が、いかに
政策の自己評価抜き&スローガン先行
の形で進められてきているかを、実感します。
社会の流れや要求をきちんと把握することなく、次々と新商品を開発するずさんな企業戦略のようなものだと思ってしまいます。

投稿: タカの眼 | 2005/01/26 02:45

お返事ありがとうございます。「次々と商品を開発するずさんな企業戦略」、なるほどと思いました。前回のコメント、「課題に評価している」→「過大に評価している」の間違いでした。細かな点ですが、いちおう訂正させていただきます。それでは、今後もよろしくお願いします。

投稿: ebony | 2005/01/26 22:54

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/69457/2281067

この記事へのトラックバック一覧です: 「学力」対「ゆとり」という振り子:

» 素敵な先生方を増やすために [週刊!木村剛 powered by ココログ]
 皆さん、こんにちは。木村剛です。「週刊!木村剛」では、「ゆとり教育」の余震がま [続きを読む]

受信: 2004/12/22 09:25

» もっと教え方の追求を [エマルション屋の研究記録]
鵜の目「タカの眼」―へタレ大学院生の落穂拾いさんへトラックバック。 「理科離れ」っていうのがあるじゃないですか。 あれは、科学はたくさんの研究者たち... [続きを読む]

受信: 2004/12/23 06:43

« 自分の「眼の構造」(その2) | トップページ | タカと刀は使いよう―居合道について― »