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言葉の意味は変わる

ビアス著、西川正身編訳『新編 悪魔の辞典』(岩波文庫、1997年)という本があります。
 アンブローズ・ビアス(Ambrose Bierce, 1842-1914?)は、アメリカの短編小説家であり、ジャーナリズムの世界でも編集者、コラムニストとして活躍しました。『悪魔の辞典』は、別に悪魔について事細かく説明した本というわけではなく、アメリカ史上最も恥ずべき時代(「めっき時代」1870年代から世紀末にかけて)における社会の腐敗を、辞典形式で諷刺した社会批評の本です。「悪魔」という、当時社会でタブー視されていた単語をタイトルに使おうとするあたりからすでに、彼の社会へのまなざしの一端を看取できます。

 彼はいろいろな言葉を取り上げ、それに対し、簡潔かつ機知に富んだ定義を下しています(その先には、それぞれ具体的な指示対象があったわけですが、それ、つまり当時の社会状況については、残念ながら勉強不足で把握しきれてはいません)。
 例えば、「辞書」については次のように定義しています。

辞書(dictionary n.) ある一つの言語の自由な成長を妨げ、その言語を弾力のない固定したものにしようとて案出された、悪意にみちた文筆関係の仕組み。とはいうものの、本辞典に限り、きわめて有用な制作物である。

 完全に私の主観ですけれども、この文を読んで、プラグマティズムが想起されました。プラグマティズムは、もっともアメリカ的なものの考え方であり、今日のアメリカ資本主義社会とその文化を築き上げてきた基調だ、などと言われます。ビアスは、まさに、アメリカ資本主義がめざましい発展をとげたその時期、19世紀末アメリカのジャーナリズムで辛辣な筆を揮った人。とすれば、プラグマティズムから何らかの影響を受けたということは考えられます。

 プラグマティズムは専門哲学の体系であるよりも、むしろ一種の生活態度を意味しています。歴史なき新大陸に飛び込んだアメリカ人は、さまざまの伝統にわずらわされることなく、現世的な人間の幸福をひたすら追求する生活に没頭できました。新大陸での生活建設に際し、それが成功するか失敗するか、幸せになるか不幸になるかを決定するのは、神の“予定”でも、出生・身分でもなく、個人としての努力と創意でした。そういった生活経験から生まれた気分がはっきりと意識されたときに、哲学としてのプラグマティズムが成立しました。

 「愛とは~だ」「教育とは~だ」「学力とは~だ」などといった言葉はよく見かけますが、プラグマティックな態度は、はじめから特定の結論を主張しようとはしません。むしろ、先験的な理由や固定的な原理、もっともらしげにもちだされる絶対者の言葉に徹底して背を向けます。
 プラグマティズムにとって、言葉は結論ではなくて、まさにそこから討議がはじまる出発点にほかなりません。「理性」だの「精神」だのと言葉を持ち出せばそれで結論が得られたかのような考え方、換言すれば、言葉だけの解決=言葉による無限の言い換えは、批判の矢面に立たされます。
 例えば「民主主義」という観念があって、それが真理であるとするときには、その言葉によって我々が〈実際に〉何を指し示すかが、まず問題となります。「その言葉が実際に何を意味するのか」、「いかに通用するのか」、「そのように定義したらどういう実際的帰結へと至るのか」。その正価を見究め、実際の経験の中ではたらかせてみなければなりません。「民主主義というのは、人民が本来制度の自己目的化―物神化―を不断に警戒し、制度の現実の働き方を絶えず監視し批判する姿勢によって、はじめて生きたものとなりうるのです」(丸山真男『日本の思想』岩波新書、1961年、156ページ)。
 「学力」についても、その定義だけをめぐって論争しても何の意味もありません(定義の問題は真偽の問題ではありません)。その定義を使って、教授-学習の現実をどう効果的に捉えられるのか、問題を理論の構築にまで進めなければなりません。あるいは現場の現状から「学力」を帰納的に捉え直すという作業を不断に行わなければなりません。

 ある言葉を定義したときには、その定義を〈使って〉実際の事実を説明しなければ何の意味もないし、またある法則(知識)を真だとするときには、その法則を実際の事実に照らし合わせて証明しなければいけない。そういった活動の過程を経ずに、真理は不変的なものとして在ると捉えるのでは、言葉の定義をめぐって論争しても不毛に終わる。結局は、自分の中の固定的な考え方を主張し、押しつけて終わるだけですから。

 ビアスが「辞書」の項目であらわそうとしていたことも、以上のような意味合いのことではないのかなと、かなり飛躍している気がしますが、思いました。政界や宗教界の腐敗を激しく糾弾してきたビアス。彼が、今の時代に生きて、アメリカの現状をみたらどのようなコラムを書いたでしょうか…

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名は体を…

これまで、「たかき」「takakist」というハンドルネーム(HN)を使っていました
(「たかき」ははっきりいって本名だが)。
ハンドルネーム占いで、占ってみたところ、

たかき:大凶
takakist:吉

と出ました。「たかき」が大凶なのは、ちとショックです。
そのほかにも、いろいろ試してみましたが、
taka:凶
タカ:末吉
と、いい結果が出ません。

じゃあ、「タカの眼」はどうなんだということで占ってみたら、

タカの眼:大吉
(タカの眼大佐でも大吉になるようです)。

そうなんですかー。
せっかくなので、しばらくブログ上では、
まさにブログ名にちなみ、「タカの眼」というのを、HNとして使おうと思います。
これで果たしてどうなるか、実験です。


「名は体を表す」とはいいますが、
商品などと違い、学問に従事する自分にとっては、
名や言葉は記号にしか過ぎません。言霊信仰を私は持ち合わせていません。
重要なのは言葉それ自体ではなく、言葉によって表される対象のほうですから。

どんな名であっても、きっちりと先を見据えて行動することのほうが重要なわけで、
問題の原因を、安易に名前のせいなどにしてはいけません
(じゃあ、安易にHN変えるなよ!(x_x)☆\(^^;) パコッ!!)。
言葉にしても、その言葉が指し示す具体的な事態を明確に捉えた上で、
慎重に使うことが何より大切なことです。

私の推測でいえば、事態の変化に合わせて言葉の意味のほうが変わるというケースが歴史的には多いはず。
政治の世界や歴史教育問題なんか、まさにそう。都合のいいように言葉を解釈する場面をよく見かけます。
人の名前の価値にしても、その人が何をしたかによってはじめて高められるわけです
(その評価だって、見方によっていくらでも変わります)。

自分の本名は、姓名判断で「大凶」と出ております…
何、心配要りません。重要なのは心の持ちようであり、これからの自分の行動です。

以上、手抜き記事&負け惜しみでした(ToT)ダ-
凶はもう寝るよっ!

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女子教育へのまなざし

一週間ぶりです。ご無沙汰でした。
研究発表、おわりました。いやあ、しんどかった。昨日からほとんど寝ていません。
そんな状態で、この記事を書いてます(-.-)Zzz……(°_°) ハッ! ネテタ…

発表内容に自分で点数をつけるなら、50点といったところです。可もなく不可もなく。
ただ、改善すべき問題点が浮き彫りになったので、それは収穫でした。

文科相の発言についてなど、いろいろと書きたいことはあるのですが、
とりあえず今日は、研究の過程で出会った女子教育論について、少し紹介したいと思います。
とても印象的だったので。

以下は、安部磯雄『婦人の理想』(1910年刊)の一節です。その先進性に驚きます。

「我国に於ける男子の教育は殆んど其主義が一定して居るから、甚しき消長といふものははいけれども、婦人教育には斯る一定の方針がないために、其盛衰常ならずといふ有様である。何故に婦人教育が斯の如き不定の情態に在るかと言へば、婦人教育の程度は婦人自身の要求を標準とするのではなくて、男子の要求如何によつて定まるからである。…(中略)…吾人は第一章に陳べたる如く、先づ教育の理想といふことを標準として婦人教育の程度を定めねばならぬと思ふ。全体教育に制限のあるべき筈はない。何人と雖も其健康と財政を許す限りは教育を受けねばならぬのだ。教育の眼より見れば、此点に於て男女老若の別はないのである。」(183-184ページ)

 〈教育の理想は、男子の要求に基づくのではなく、教育それ自身の中から導き出されなければならない〉。そう受け取れます。「男子」の部分を「国家」に入れ換えても、まったく意味が通ります。

もう一つ。男女共学の問題について。
1932年、岩波書店から『男女共学の問題シンポジウム』が発刊されます。
ここで、小泉郁子は次のように男女共学の必要性を展開しています。

「我々は男女の絶対的人格的平等観の上に立つてゐる。而して教育上における男女の機会均等を主張するものである。(中略)男女共学とは被教育者たる男女を同一学舎に収容しその個性及び学科の性質に鑑みて男女の分合を按配し以て被教育者の必要及び社会の要求に最も適切なる教養を施すの制」である。

これにも驚きます。今の状況にあてはめてもまったく色あせていません。男女の「機械的」平等とは同一義でない「教育上におけるデモクラシーの本義」にもとづく機会均等論を、女性の人間教育の原理として示しています。これは、〈単に法的・制度的(=形式的)に男女共学が認められたからといって、それで実質的に男女平等教育が整備されたとみることはできない〉という意味に受け取れます。
今日「ジェンダー」という概念を用いて論じられている事柄をすでに先取りしているではないかと、驚きました。

とうことで今日はもう寝ますです。また次回です。おやすみなさい。


おっと、そうそう。発表の後、懇親会でフランス料理を食べに行きました。
市民会館の斜め向かいの、雰囲気のいい店です。
クラスターリーダーの先生のおごりでp(^0^)q
この歳にしてはじめて、フォアグラというものを食べました。
至福(^~^)モグモグ
ワインも赤、白どちらも飲んでしまった。とても口当たりがよかった
( ^。^)/▽☆▽\(^。^ )
会話もはずみますよ、そりゃヾ(>▽<)ゞヾ(▽^  )ゞヾ( >▽)ゞ
いやホントに、今までで一番おいしいものを食べたって感じです。
値段はそんなに高くなく、お手頃ということでした。
こんな自分は、貧乏くさいってことでしょうか。

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稽古始め

 年明け、はじめての稽古でした。
すっかり体が鈍っていました。
刀一本に、自分の体が翻弄されっぱなしという感じでした。
余計な力が入ってしまって、スムーズな身体動作ができませぇん(((。o゚))))((((゚o。)))
 日頃の修練=自分の身体と対話する習慣をつけておく必要性をつくづく実感した次第です。
じゃないと、自分の問いかけに対して何の反応も返ってこない、鈍感な身体になってしまいそうで。

繊細な身体感覚の覚醒ですね。
今日の自分は、ただがむしゃらに身体を動かしまくっていたという感じです。
そんなもんだから、体のほうが怒ってしまって、プルプルプルプル。
最終的には、怒りを越えて笑ってたわけです(膝が)。

そんなこんなで今年もがんばります。
稽古仲間の皆様、今年もどうぞよろしく。

〈注〉居合に関する記事はまだまだ少ないので、こちらもがんばります。
大部分は、つれづれ日記的なものになりそうですが。

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書き手の責任

 こんなエピソードがあります。
あるアメリカ人女性が、銀座東急ホテルに向かうためにタクシーに乗りました。タクシーの運転手(日本人)は聞き違いから、銀座第一ホテルへと彼女を案内してしまいました。
その時、彼女は「ごめんなさい、私がもっときちんと説明していれば」と運転手に謝りました。
一方の運転手は運転手で、「とんでもない、私のほうが注意して説明を聞くべきでした」と謝りましたとさ。

このエピソードは、以下の著書に記されていたものです。コミュニケーションにおいて話し手と聞き手、どちらが責任を負うのか、その責任意識の文化的相違を示す例として。
ポール・ロシター+東京大学教養学部英語部会『FIRST MOVES : An Introduction to Academic Writing in English』東京大学出版会、2004年、30ページ。
(全部英語で書かれているので、私が適当に部分部分を抽出して簡単に訳しました)。

 書き手-読み手の関係においても、この文化的差異があてはまるのではないかと思います。
とくに学問・研究の世界においては。わかりにくい文章によく出会う教育学の実態をみるにつけ、書き手の責任のもとに文章を書く(理解されなかった場合は、書き手の責任だ)という土壌が日本に根づいているとは思えません(もちろん、人の事は言えないわけですが)。

 中身の首尾一貫性や論理構造を明確化する義務が、書き手・話し手には厳しく求められる。
そのような意識に基づくのであれば、例えば、教師が子どもに何かを説明して理解が得られないときに、それを「この子どもはバカだから、何を言っても無駄だ」として片づけることは厳しく戒められなければなりません。

 「絶えず自分の意図が精確に伝わるように意識して書いて(話して)いるか」、自分の研究者(書き手)としてのプロ意識が試される研究発表まで一週間を切りました。切羽詰まってます(=_=;)

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ぼんやりした考え

  「ぼんやりした考え」というのは哲学者の鶴見俊輔さんの言です。鶴見さんは次のように語ります。

「私は、戦争をずっと通ってくると、自分をどんな時にでも支えられる考えというのは、ぼんやりした考えなんです。はっきりして、テストできる、論理的に明晰な概念が自分を支えるものじゃありません。どういう場合にあっても、戦争反対の立場で死にたいと思っていますから、それはいまのぼんやりした考えに連続的につながっているものなんです。これは明治以後の日本の教育制度がまさに消した考えなんです。強い人間、ひとりで立てる人間は、むしろ明治以前にいたんですよ。学校を秀才で上がってくる人間が、たよりになるというのは、これはまちがいです。私の言いたいことの中心は、ぼんやりした、しかし自分を支えられる考えにぶつかるということです。それをもってる人は、いまの日本人には非常に少ない。」(鶴見俊輔+岡部伊都子「ほんものの人間、ほんとうの歴史」『月刊 機』155号、藤原書店、2004年12月。

鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二『戦争の遺したもの』(新曜社、2004年)の中でも、鶴見さんはご自身の戦争体験の文脈で、この「ぼんやりした考え」について語っています。

 この「ぼんやりした考え」という言葉には、深く考えさせられます。「ぼんやりした」というのはイメージ的によいものではないかもしれません。しかし、明晰な(とくに他者から与えられたような)ものに安易に飛びつくのではなく、たとえ周囲からバカにされようとも、(自分の中にある)その「ぼんやり」としたものにぶつかっていくこと、そのことが最終的に自分の「眼」を養い、自分を支えるのだと考えるなら、それは極めて主体的な思考を、ひいては強い生き方を示すものです。不良少年で学校にはほとんど行かず、また貴重な青年期を戦争の中で過ごした鶴見さんだからこそ、出てくる言葉です。
  
 ○×式の教育の中で明晰で平明な(単なる文字やコトバでしかない)答えばかり追い求めていると、「本当にそうなのか」「これはどうなのだ」といった自由な思考が育たなくなる。戦前の国語教育を例に取れば、「国体の精華とは何か」「皇道にのっとるとは何か」といった問いに対し、ある決められた形式的な言葉の言いかえで対応するのが模範とみなされる。しかし、それは言語の本質である思考とも表現とも、ほとんど切り結ぶことのない過程です。
そのような教育への批判として、この「ぼんやりした考え」は捉えられるわけです。

 私にとっては切実です。批判の意味でも、励ましの意味でも。この言葉に触れるたびに、簡単に「わかってはいけない」、たえず自分の認識を吟味し、反省していかなくてはならないと思うし、また、教育学というその位置づけ自体が「ぼんやり」としている学問(他学部、とくに理系の同期からはときに軽蔑のまなざしで見られたものです)を、自分を支える足場にする自信が湧いてきます。

 昨年、大河ドラマ化され、話題をよんだ新撰組。 
「自分を支える考えにぶつかる」、激動の幕末を生きた新撰組も、そんな思考を貫いた強い人間たちだったのかも知れません。

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一富士、二「タカ」、三茄子

 明けましておめでとうございます。
 
 ブログ初めでございます。
初夢どころか、最近全く夢を見ません(実際は見ているのでしょうけど)。私の将来は「白紙」ということでしょうか。
指導教官からは「今年は、本気でD論(博士論文)にガンバッていって下さい」との年賀状が・・・(T_T)
「白紙」論文なら書けるんですが。それがだめなら「白痴」論文めざしてがんばりますです、はい(殺されるな、これ)。

 今年は年賀状書くのを、かなりさぼってしまいました。お世話になっている方々には、申し訳ございません。
 
 そもそも「年賀」とは、還暦、古希、喜寿といった年長者への寿を祝う言葉だそうで。

 古来正月は元日から15日までに、父母、親類、主君、知人、友人へ年の初めのあいさつをするのがならわしでした。ですから、本来「年賀」とは参上すべきものであって、はがきで済ますという発想は国民的なものとしてはなかったということです。
(年賀状のやりとり自体は平安時代から貴族の風習として存在しました。それは後に武家から庶民へと広まり、江戸期には「賀礼」(「年賀の書札(手紙)」と称したとのこと。)

 年賀郵便の特別扱いがはじまるのは、1899(明治32)年のこと。どうやら、日清戦争の年に時世への影響から年始回りをはがきに換える人が出てきたようで、日露戦争でさらに激増。
 詳しいことは不明ですが、年始回りの風習が“戦争を一つのきっかけとして”年賀状差し出しという簡便なかたちへ変化していったようです。

 年賀状という国民的風習が、今後どう変化していくのかは予想できませんが、少なくとも「戦」といった不幸な出来事をきっかけとしては変わってほしくない。それ以前に「おめでとう」も言えないほどの時勢
(昭和の戦では賀状が自粛の標的になったようです。1937年の日中戦争突入に際しては「年賀は虚礼だから差し出しを控えるべし」と閣議で申し合わされ、40年には年賀郵便特別扱い自体が停止、復活するのは敗戦後48年とのこと)
が来ないことを、来るきっかけをつくってはいけないことを、戦後から60年の今年は切に願います。

今年もどうぞよろしくお願いいたします<(_ _)>

*年賀状の歴史に関しては、「年賀状」『朝日新聞』2001年12月24~31日、河合史夫筆を参照。

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