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一富士、二「タカ」、三茄子

 明けましておめでとうございます。
 
 ブログ初めでございます。
初夢どころか、最近全く夢を見ません(実際は見ているのでしょうけど)。私の将来は「白紙」ということでしょうか。
指導教官からは「今年は、本気でD論(博士論文)にガンバッていって下さい」との年賀状が・・・(T_T)
「白紙」論文なら書けるんですが。それがだめなら「白痴」論文めざしてがんばりますです、はい(殺されるな、これ)。

 今年は年賀状書くのを、かなりさぼってしまいました。お世話になっている方々には、申し訳ございません。
 
 そもそも「年賀」とは、還暦、古希、喜寿といった年長者への寿を祝う言葉だそうで。

 古来正月は元日から15日までに、父母、親類、主君、知人、友人へ年の初めのあいさつをするのがならわしでした。ですから、本来「年賀」とは参上すべきものであって、はがきで済ますという発想は国民的なものとしてはなかったということです。
(年賀状のやりとり自体は平安時代から貴族の風習として存在しました。それは後に武家から庶民へと広まり、江戸期には「賀礼」(「年賀の書札(手紙)」と称したとのこと。)

 年賀郵便の特別扱いがはじまるのは、1899(明治32)年のこと。どうやら、日清戦争の年に時世への影響から年始回りをはがきに換える人が出てきたようで、日露戦争でさらに激増。
 詳しいことは不明ですが、年始回りの風習が“戦争を一つのきっかけとして”年賀状差し出しという簡便なかたちへ変化していったようです。

 年賀状という国民的風習が、今後どう変化していくのかは予想できませんが、少なくとも「戦」といった不幸な出来事をきっかけとしては変わってほしくない。それ以前に「おめでとう」も言えないほどの時勢
(昭和の戦では賀状が自粛の標的になったようです。1937年の日中戦争突入に際しては「年賀は虚礼だから差し出しを控えるべし」と閣議で申し合わされ、40年には年賀郵便特別扱い自体が停止、復活するのは敗戦後48年とのこと)
が来ないことを、来るきっかけをつくってはいけないことを、戦後から60年の今年は切に願います。

今年もどうぞよろしくお願いいたします<(_ _)>

*年賀状の歴史に関しては、「年賀状」『朝日新聞』2001年12月24~31日、河合史夫筆を参照。

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コメント

あけましておめでとうございます。

遅い挨拶で申し訳ありません・・・(つД`)

今年もどうぞ宜しくお願い致します。

takakist
>雨龍さん、今年もよろしく。

投稿: 雨龍景虎 | 2005/01/06 23:38

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