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人体の不思議(@。@)

最近、インフルエンザが流行っています。
自分の周囲でも体調を崩している人が多くなっています。
そんなみなさま、くれぐれもお体をお大事に。

そんなわけで、今日は人体の話。
人体の不思議展」には、かなりの人が足を運んでいるのではないかと思います。
自分も行きましたが、見物客(カップルが多かった気も…)が多くて混雑しており、
じっくり見られなかったのが残念でした。人(体)酔いした(-.-;)

でも、たしかに誰もが見たくなるほどの衝撃です。
人体の複雑なしくみへの驚きだけではありません。
「不思議」な感覚にとらえられます。
そこにある「人体」は、もともとは生きた人間です。
ですから、イコール「自分」でもあるのだと考えると、
「人体の不思議」=「自分の不思議」になります。
それで、何とも「不思議」な気分になってしまうわけです。
自分の体の内部を、自分の外側から見る。そんな作業を大勢の人が一緒にしている。
博物館で骨董品を見るのと同じような雰囲気の中で。
見ている人間の表情を観察するのもおもしろかったかも、と後で思いました。

人体の標本にも触れてきました。
ビーフ・ジャーキーのようだというのは、標本化された筋肉を触った何人かが、共通にもらしていた感想です。
自分も多くの見物客と同様、アノ部分も含めて、まるで人形をいじくるかのように触ってきました。しかし、あれはまぎれもなく人体(屍)なのだと後で考え直すと、どこか怖さを覚えます。すんなり触れてしまった自分に。
標本作製に携わった人たちは、どんな感覚をもったのかと思ってしまいます。
なんてったって、人体のスライスですからねぇ。スーパーのお肉さながらですよ。実際、そう感想をもらしていた人がいました。
もっとも人体解剖と考えれば、医学部ではよく行われることなのでしょうが。


見る者の「眼」を釘付けにする現実。リアリティが希薄になっている現代において、この展覧企画は「現実の凄さ」という点で痛烈なメッセージを発した、私はそう受け取りました。

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遅刻だと焦り、カーテンを開けるとそこは雪国であった…頭、真っ白

◇面目ない(その1)
 今日は知る人ぞ知る大失態を犯してしまいました。ほんの一時間半ほど遅刻を……。
目覚まし時計が鳴らなかったのです。
―いや、鳴ったのかもしれない。そして、消したのかもしれない。
目覚ましは二つセットした。布団から体を起こし、かつ立ち上がらないとストップできない位置に置いた。
にもかかわらず……。
K松さんの二度のメールにすら気づかないほどの爆睡。
急いで現場に到着したとき、研究科長には「風邪か」と問われ、とっさにそのふりを…
―「指導教官がインフルエンザで…、その影響かも知れません。でも、がんばります。」
ある関係者からは「雪の影響で渋滞か何かに巻き込まれました?」と聞かれ…
―まさか、自分が川内に住んでいるとはいえませんでした…

リーダーの面子にかけて同じ失敗は二度繰り返せません。
明日は、時間通りに必ず来ます。ここに誓います。
セットする目覚ましは、携帯も入れて三つにします。
関係者のみなさん、今日は本当に申し訳ありませんでしたm(_ _)m

そう、今日は大学前期入試の日でした。
ここまで書けば、私を直に知る人は何に遅刻したのかわかると思います。

さて、その会場のそばでは、不動産関係の企業の方が、物件紹介のパンフを配っていました。
「ナイスアイディア!」と思ったのは、大学ノートをパンフの付録にしていたこと。
自分もちゃっかり頂戴しました。
この時期ならではの企画ですね。
受験生のみなさん、明日もがんばってください!


◇面目ない(その2)
この記事を書いているころ、稽古仲間のみなさんは、居合の稽古に励んでいることでしょう。
すみません。雪が降ってしまっては、原付しかない私は武道館まで行けません。
今、たった一人、院生室にて鉄亜鈴で鍛えながら、この記事を書いています。
離れていても、心は一つ。

単に「稽古は量だ」でまとめてしまう精神主義的、根性主義的な稽古論は、
わざの上達には必ずしも効果的とはいえません。が、
一方で「量が質を支える」ことも、私のような凡人には確かであって…。
来月すぐの学会発表が終わったら、稽古に身を入れます、
絶対に、いやきっと、いやおそらく、いやたぶん、いやもしかしたら……

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結婚ラッシュ

この年頃になると、「結婚」という言葉をよく聞きます。昨年の後半から今日までに、自分の周囲で結婚したのは、3人を数えます(今度の土曜日と三月にも友人が結婚します。それを含めると5人です)。

土曜日、大学剣道部時代の友人の結婚式に参加するため、東京六本木へ。
自分たちは、卒業してからほぼ毎年同期会を開いて顔を合わせてきましたが、
ほとんどは同期会=結婚式というかたちになっています。

教会も披露宴会場も雰囲気がよく、なかなか演出の効いた結婚式で楽しませていただきました。
最近は、人前式の結婚が増えているのを感じますが、今回の式はカトリックの教会で行われ、久々にその独特の雰囲気での式を体験しました。
披露宴会場は、規模こそ大きくはありませんでしたが、
むしろ、それが一体感を演出していていました。黒柳徹子さんが一時期を過された場所だということで、「徹子の部屋」?での披露宴でした。絵画や骨董品で彩られた会場の雰囲気、料理、ドリンク、スタッフの配慮にも好意をもちました。

大学剣道部の同期は、みな挙式・披露宴を行うかたちで結婚しており、
あとは自分だけとなってしまいました。
皆うまいこと進んでいるなあと思います。
全員が、口をそろえて「おまえのほうはどうなっているのか」と言ってきます。
でもヘタレの自分には、まだまだ先の、もしくは無縁の話_| ̄|○

たしかに結婚式は自分(と新婦)が主人公になれる華やかな時間と空間。
とはいえ、結婚それ自体は新たな人生への一つのきっかけ、出発点を示すにすぎません(自分が言うまでもなく、結婚した皆はわかっていることですが)。
結婚されたお二人には、これからさらに「幸せ」と呼べる思い出を創り上げていただくことを、祈念します。

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「総合的な学習の時間」考(その2)

 今日も「総合的な学習の時間」(以下、「総合」)についての雑感です。
これで、一応の区切りにしておきたいと思います。

「総合」について、私が一つ疑問に思っているのは、
〈なぜ「総合的な学習の時間」という何とも中途半端に長い名前なのか〉
ということです。なぜ、「総合学習」と、すっきりした名前として指導要領に盛り込まなかったのか。この背景には、単に教課審や中教審の答申の文言そのままという理由を超えて、いろいろと提案に際しての苦悶があったのではないかと思ってしまいます。

管見の限りでは、「総合的な学習の時間」=「教科の時間から独立した総合的な学習を行うための特別の時間」という認識枠組みの下に実践が行われているようです。教科、特別活動、道徳に次ぐ第四の領域として捉えられている観があります。

しかし、それも一つのあり方に過ぎないのであって、「教科学習」の時間=「総合的な学習の時間」にしても何ら問題はないと、私は思ってしまいます。また学校行事などの教科外教育を「総合的な学習の時間」にあてても、学校の実態に合っていれば問題はないはずです。「総合的な学習の時間」を設けよというのは、既存のカリキュラムから独立して設けよ、という意味に画一的にとる必然性はないと思うわけです(もっとも「総合」と称して、何の反省もなく、旧来の「詰め込み」に戻るのは困りものですが)。「総合的な」とか「時間」とかいう微妙な言い回しは、その点の画一性を避けるために用いられているのではないかと思ったり……。

「総合的な学習の時間」とは領域概念ではなく、方法概念と捉えたほうが効果的です。教育学者の中には、「教科とはそもそも総合的だ」などという人もいます。教科というものは人類の蓄積してきた文化(科学・学問)をそのまま教えるのではなく、子どもの経験に即して配列・再文脈化をほどこすものである、換言すれば、科学・学問を子どもにわかるように教師が「翻訳」して教えることが教科の教授だと。それは子どもの側から見ると細分化されている知識を、自分の文脈で総合化して捉え直すということであり、必ず総合的なものとなると。

前回にも述べたように、「総合的な学習の時間」が提唱される以前から、総合学習という方法(児童の経験と何ら切り結ぶことなく、百科全書的に知識を伝達する方法への批判としての学習法)は、善良な教師たちによって蓄積されてきました。

〈「総合的な学習の時間」(という言葉)が消えたとしても総合学習は消えない〉というのが、現時点での私の認識です。

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「総合的な学習の時間」考(その1)

 前回に引き続き、総合学習について考えてみようと思います。今回はとくに現在、問題視されている「総合的な学習の時間」(以下、「総合」)についてです。

 自分が関心を向けるのは、なぜ「学力低下」と結びつけられて批判されるのかという点です。
ほんとうは教育内容と授業時間数が削減されたことが問題なのでしょうが、「総合」がよく機能していないという疑念にも矛先が向けられ、前者と関連させて批判されているのだと思います。内容と時間が削減されなかったら、「総合」の見方も違っていたのではないでしょうか。
 そもそも「総合」(さらに、その前提をなす理念の出発点であった92年からの「新しい学力観」)は、「学力低下」を危惧する立場から提唱されたはずでは? と思うのですが。

 文化遺産(過去の業績、書物)を、児童の経験(認知構造)や意思決定と何ら切り結ぶことなく、いわば百科全書的に、既成の枠組み=教科にしたがって伝達する。その問題性を指摘する声は、古くからありました。知識が具体的な対象を伴わず、単なる文字や音声(音波)としてしか伝わっていないという事態への批判です。そのなかで教科のあり方が問題とされ、教科の捉え直しが言われ、そしてその総合化(総合学習)が価値視されてきました。
 下からの動きとしての独創的な総合学習を行った事例は、戦前日本ではいくつも確認でき、一定の研究蓄積があります。奈良女子高等師範学校附属小の合科学習や長野師範学校附属小の「研究学級」、成城小学校のダルトン・プランなどです。ですから、「総合的な学習の時間」は非常に新しい教育発想のようにみる人もいると思いますが、長いスパンでみた場合には、決して新しいものではありません。これが上から提起されたということが新しいといえます(どのような政治的理由に端を発しているのかは別として)。

 私が問題視するのは、「総合」の実践が、そこで学ぶ知識=「学力」の中身を問わずに、子どもの関心・意欲だけに焦点化することで問題を解決しようとしている場合です。そこには、「関心・意欲」が起これば子どもたちは自動的に思考・判断し、知識の獲得に至るという認識筋道の図式があるように思います。「生活科」の実践などもこの図式の下に考えられているケースが多い気がします。知識の獲得を、このあまりに安易な認識筋道で捉えてしまっては、結局、最終的には「やる気」かよということになってしまいます。

 どんな知識も、「なるほど」「えー、びっくり」と身につまされるような形で認識しない限り、頭から離れずに記憶されるということはないと思います。「国際理解」をしようが、「ボランティア」をしようが、ウサギを飼おうがです。これらの体験学習の中でどのような「切実性のある」知識を獲得させるか、そのためにどのような認識のすじみちをつけるか、これはひとえに教師の学習指導にかかってきます。それがなければ、単なる「楽しげな学習」を行ったという事実だけがあとに残ってしまうでしょう。要は、知識の中身について教師が熟知していなければいけないという、教科学習と同様、自明の前提に還ればいいわけです。教師自身が身につまされて学べなければ、子どもも同じように学べるわけはありません。だから、教師には教材研究という、重要な任務を行う環境を、時間的余裕を保障してあげなければと思うわけです。教師は「授業の専門家」であるはずですから。それができれば、「総合」云々といった問題は、大きな問題にならずに済むと予想します。
 
 何人かの教育学者は「問われているのは子どもの学力ではなく、我々の学力だ」と語っています。「学力低下」は子どもの問題ではなく、日々教える事柄(知識)の科学的、社会的な意義(俗っぽく言えば「その知識を学ぶことの楽しさ」)を明確に示せていない大人たちの問題だというのです。われわれ大人が心地よく知識を学べていないことに起因する問題だと。
 身につまされます_| ̄|○ とくに私のように「最大瞬間学力」(宮城教育大、西林克彦教授のネーミング)として、知識を身につけてきた者にとっては。
 子どもを誹りの対象にする前に、自分たちが反省しなければなりません。そこから始めることが、「学力」向上への第一歩だと思います。

〈補〉最近、「学力低下」の問題を「脳」や「身体」をキーワードとして克服しようという言説を見かけますが、どうも釈然としないものを私は感じます。これらの主張は、知識をなぜ学ぶのかという問題を一般論的に解決してくれる(例えば、「脳が活性化するから」といった理由)から支持されやすいのだと思います。対象とする知識が示す社会的意味、生活経験との連続性などについては触れる必要もなく、教師にとっては非常に楽です。しかし、そんな楽な理由に簡単に飛びついてしまっていいのかと思ってしまいます(それらを全否定しようというのではありません。それらも一つの方法にすぎないと言いたいのです)。それとも、そんな悠長なことは言っていられない現状なのでしょうか。

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戦後初期の自由研究~総合学習の系譜?~

何とか週一での更新には間に合いましたφ(ー"ー ) ウ~ン...

さて、以下は、戦後まもなく―1946(昭和21)年~1951(昭和26)年―における、福島県のある小学校での通信簿です。「通信箋」という名が付けられています。

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通信簿考としても、とても面白いものが書けそう(とはいえ、自分にその器量はありません)。
その特徴として、例えば、次のようなものを挙げることができます。
①紙の質は、今日とは比較にならないほど悪い。
②昭和21年度においては、まだ小学校ではなく「国民学校」であり、教科目名も国民学校時のままである。「修身」「国史」「地理」の欄は空欄となっている。
③評価は1~5の五段階ではなく、(-2)~(+2)の五段階となっている。
④昭和23年度の「通信箋」から、自由研究という項目があるのが確認できる。
tuusinsenn25
jiyuukenkyuu

自由研究というのは、どのようなものだったのでしょうか。この自由研究に評価が付けられているのは、昭和25年度(小学5年生時)だけ、それも○が付けられているだけです。この「通信箋」の所有者(親ですが)に聞いてみましたが、どんなことをしたかは覚えていませんでした。

これについて、M1のときに受けた元指導教官の講義資料(「現代日本の教育課程改革」)にその概要が論じられていたことを思いだし、それを引っ張り出して確認してみました
(「・・)ドレドレ..,
 書いてありました。資料によれば、この自由研究は『学習指導要領 一般編(試案) 昭和22年度』によって定められたものです。しかし、この指導要領が出された時期は、まだ教育基本法と学校教育法の制定前であり、指導要領は基準性・法的拘束性をもってはいません。

「試案」としての指導要領は、教師の研究の手引きとしての性格を意味していました。序論「なぜこの書はつくられたか」からは、権力による上からの画一主義が教師を国家のロボットにしてしまったことを反省し、教師自身が、実践の経験と意見とを反映する仕方で、かつ地域の教育要求も反映する仕方で学習指導要領を作成することが望ましいとの主張を看取できます(戦後まもなくの混乱期とはいえ、教師の自由裁量をこれほど大幅に認めている点は画期的です)。

昭和22年度指導要領では小学校の教科は、国語・社会・算数・理科・音楽・図画工作・家庭・体育・自由研究となっています。自由研究に割り当てられた時間は、4年生からの週約2-4時間、年間で70-140時間です。

自由研究はどういう位置づけなのか。学習指導要領の説明では、「児童の個性によっては、その活動が次の活動を生んで、一定の学習時間では、その活動の要求を満足させることができないような場合」が想定されています。例えば、以下のようなものです。
(1)教科の発展としての自由学習
(2)クラブ組織による活動
(3)当番や学級委員の仕事
昭和26年度学習指導要領で、自由研究は「教科以外の活動」へと変更されました。これについて、先生の資料では、(1)の側面は教科学習で対応できると判断し、「教科以外」の教育的意義を積極的に見出す方向へと向かったのだと、評価していました。

このような指導要領上の変更により、自由研究はたった4年の寿命しかもち得ませんでした。実態としても、先の通信簿を見る限りでは、積極的活動の跡は確認できません(もっとも指導要領が試案ですから、その設定に従う理由もないわけですが…)。
 教師の裁量が自由研究においてどう発揮されていたのか、自由研究設置について政策サイドではどのような議論が交わされたのか。自由研究の実態の解明は十分に進んでいるとはいえない状況です。とくに(1)の可能性が消えていく経緯については。自由研究が総合学習の系譜に位置づくのか否かは、自分で書いておきながら何とも言えないわけですが(その前に総合学習の定義を明確にできていないなあ)、とはいえ、これがすぐに消えてしまった経緯についての歴史的検討は、総合学習の観点からも有効ではないかと思います。

1958年には、朝鮮戦争以降の動向と「学力」低下への批判(戦後の新教育の潮流となっていた経験主義や単元主義に偏り過ぎる傾向を改め、各教科の系統性を重視する方向に改める)から、「試案」であった学習指導要領が法的拘束性をもつことになります。この1958年における教育課程行政上の転換点は不動のままに、今日の「教育改革」へと至ったと考えると、「総合的な学習の時間」は、教師の裁量を認めている点で、1958年以来の大きな変化であるといえるわけです。が、「学力」低下という批判にさらされ、変更への世論が刻々と高まっています。「歴史は繰り返す」ことになるのでしょうか。「総合的な学習の時間」の寿命は、4年ももたずに終わってしまうのでしょうか。

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「男女共学化問題」考

 高等学校、とりわけ伝統校、進学校と呼ばれる男女別学校の共学化をめぐって、宮城県では議論が紛糾し、半ば混乱の様相を呈しているような印象を受けます。
 
 以下は、「別学」/「共学」をめぐる記事、意見が豊富に掲載されているサイトです。
いろいろな立場からの意見を読むことができて興味深いです。
   http://transnews.at.infoseek.co.jp/kyogaku.htm
  http://asa.co.jp/will/sendaikko/rondan.html
 さて、「共学」対「別学」という二項対立の図式に、私はどこか違和感を感じてしまいます。問題の核心はどこにあるとみればよいのでしょうか。
 私は学校の「個性」とか「特色」をめぐる解釈にあるように思います。本来、問われるべき学校の「個性」とか「特色」といったら「共学」や「別学」といった外的形態ではなく、教育内容、カリキュラム、授業といった対象を指すはずです。しかし、「別学」支持の方々は、教育内容ではなく、「雰囲気」(校風=「古き良き伝統」)を「個性」「特色」として強調しているのではないかと思います。学校は知識を授けるところだという立場からすれば「共学」や「別学」といった教育形態の必然性はありませんが、後者という歴史的問題があるためにそれを保護すべきか否かが争点となっているという状況ではないでしょうか。ただ、後者を保護する法的根拠はどこに求められるのかは、私にはわかりません。

  「共学」の観点からすれば、性別によって特定の公立高校に対する受験の権利すら認めないという男女別学制度(例えば、あの高校、とくにあの先生に勉強を習いたいのに女子/男子というだけでその権利がない、といった問題)は、少なくとも、公立学校に関する限り、認められるべきではない、一刻も早くすべての公立学校の完全共学化を実現することは宮城県という地方公共団体の法的責務だということになります。
 これは「別学」支持にとっては、論破することが難しい指摘です。「良き伝統を守れ」というノスタルジックな主張に固執するだけでは無理でしょう。だからといって、政治的な力や復古主義的なイデオロギーを持ち出して「共学」意見を押しつぶそうというのは、えげつない最も忌むべき手法です。

 一瞥したところ、「別学」支持の論陣で、ジェンダーという観点から主張を展開されている方はさほどいないようです。「ジェンダーフリー」という言葉から、ジェンダーという概念まで毛嫌いされているせいでしょうか(なお、専門家の間では「ジェンダー・フリー gender-free」という言葉が使われ、性差を抹消するものとして批判の対象となっている造語「ジェンダーフリー」とは区別しています。性差は抹消することも、無視することもできません)。性別役割、良妻賢母を肯定したいという思いをひそかに込めつつ、表向きには「男らしさ」や「女らしさ」を強調する形で主張を展開しているケースが、バックラッシュの影響で多くなっているようにも思います。しかし、それは女性解放史上何度も用いられてきた男女特性論の繰り返しにすぎず、あまり説得力を持っているとは思えません(矛盾しているかもしれませんが、男女特性論は女子の特性=セクシャリティ・ジェンダーを強調することで男女平等を図ろうとする女性解放思想の一つとして位置づけられます。最終的には問題を個人の内面へと矮小化してしまうため、批判にさらされます)。

 私からすれば「共学」派への最も有効な反論は、実はジェンダー概念を活用することで成り立つと思うのですが。例えば、こうです。
 ジェンダーは、そもそも法理念的には男女平等が達成されているはずなのに、現実として性差別的階層構造が残っていることから、その問題的状況を効果的に捉えるために登場した概念である。社会規範や秩序を再生産するという学校機能の観点から見れば、男女共学制度が全国的には広く実施されているにもかかわらず、実態として社会ではジェンダー秩序(男が標準、普遍、女は差異、特殊というタテ型社会の階層性)が再生産されている。これは、「共学」になったからといって、ジェンダー秩序が即解消されるとは限らないことを意味している。むしろ、その再生産が助長される可能性すらある。だが、例えば女子校ならば男子の介入を問題視することなく、すべての事を女子自身の手で行うわけだから、男主女従という秩序にはまらずに、リーダーシップなどの資質が性差にとらわれることなく育成される可能性がある、云々。

 坂本辰朗さんは、アメリカでも男女別学をめぐるさまざまな試みが実施されており、論争が起こっていることを、以下の事例を挙げながら指摘しています。
①1972年改正教育法(公立の別学校の共学化)
②1980年代末からの、公立学校による男女別学の試み(例 ヤング・ウィメンズ・リーダーシップ・スクール)
③2002年教育法(別学校や別学クラスを維持するために、地方教育当局による革新的教育プログラム資金の使用を可能にし、論争に)。
④カリフォルニア州における大規模な公立学校での別学パイロット・プログラム(男女別の12校のシングル・ジェンダー・アカデミーの確立)
⑤公立学校における別学への反対論(全米女性機構(NOW)とアメリカ女性大学人協会AAUW)、米国自由人権協会(ACLU)など)
〈註〉坂本辰朗「ジェンダー・フリーな教育からジェンダー・センシティブな教育へ」、東北大学21世紀COEプログラム「男女共同参画社会の法と政策」公開研究会資料、2004年9月24日。
 報告のまとめで坂本さんは、ジェンダー・バインド対ジェンダー・フリーという二分法の罠に陥らないよう指摘し、ジェンダー・センシティブな教育の理想像の追求により、ジェンダーの関係そのものが変わってゆく可能性について主張しました。これは「別学」か「共学」かという外的形態にこだわらずとも、ジェンダー・センシティブになることは可能だということを示唆する主張でした。

 結局、どのような条件がジェンダー不平等を改善する手がかりとなるのかは、私には依然としてわからない状況です。ですから、なお議論を継続する必要があります。坂本さんが指摘されたように、「共学」「別学」といった既成の枠組み自体を再考の対象としていくことが、現在の議論を進展させるきっかけになるのではないかと思います。

【追記】私は福島県の男子高の出身です。周知の通り、現在は共学化されています。だからといって、私はそのことに大きな問題を感じてはいません。むしろ「新たな伝統の芽吹き」を喜んでいます(過去の歴史において女子生徒が在籍したという時期がすでにあったようです)。伝統とは自ら創るものであって、すでにあるものとして外から強要されるものではありません。
 たしかに世間は、私が「古き良き伝統」の中で高校生活を送ったと見るでしょう(部活動は男子高を象徴するような体育会系に在籍していましたし)。しかし、私が高校生活から得た「伝統」観は、私固有の、私自身が選び取ったものであって「古き良き伝統」といった特定のイメージに解消されるような質のものではありませんし、周囲からも特定の「高校生」像に矮小化されて見つめられたくはありません。それに、もし共学校であったなら、またちがった素敵な生活を送れたかも知れないとも思っています。

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雑感~居合と学問~

今年に入ってから、まだほとんど居合の稽古をしていません。
寒いとか以前に、忙しいのです(でもやっぱり寒い…この寒波は)。
一つ論文を書くと、また一つ論文…というふうに、課題が次々と降りかかってきます。
「それで論文を書いてみたら」と言われるようになっただけマシですが。
このブログも、何とか更新が滞らないようにがんばります。

そういうわけで、今日は居合道関連の記事です。
以前、私を居合道へと誘ってくれた稽古仲間のすだっちと、
「想定」と「理合」の違いについて、会話をしたことを思い出しました。
どちらとも、意識しないとごっちゃにして使ってしまいそうな言葉です。
私も、すだっちに言われるまでまったく意識したことがありませんでした。
自分は次のように整理し、すだっちの掲示板に書き込んで、応えたと思います。

「居合においては、(仮想敵などの)具体的状況を明確にし、
その状況下で自分はどうすべきかを考える作業が肝要である。」
この場合の、「具体的状況を明確にする」のが「想定」、
そして、「自分はどうすべきかを考える」ことで導き出されるのが「理合」。

それほど本筋を外れてはいないと思います、たぶん(;^_^A (お詳しい方、ご教示ください)というか、そのように捉えると、自分にとっては整理しやすいのです。
居合の世界と学問の世界とを結びつけて捉えるうえで。

以上の認識に基づくなら、
学問も、居合と同様、「具体的状況を想定して、その上でどうすべきかを考える」作業(抽象化)を通して、理論(理合)が確立し、現実の分析などに役立つ装置となりうるわけです。
具体的状況を詳細に想定できなければ、自分が何をしているのかという認識に欠け、自分自身に無自覚になり、具体的な状況とかけ離れた高級な抽象論を展開してしまうという結果に陥りやすくなります(=具体的状況を想定できなければ、技のための技に堕する)。

このように考えれば、学問領域に身を置く者として、居合道に刺激されるところが大きいわけです。

以上からわかるように、私は、居合は具体的な状況から抽象化された法則(理論)であると考えています。ですから、現実そのままというわけではありませんし、あらゆる現実に対応できるとは思いません。
もちろん、だからといって、「居合はだめだ」とか「この流派はだめだ」などと、それをすぐに放棄するような、すぐに思考停止してしまうような軽率な考えを起こしたりはしません。リアルな現実から試行錯誤を経て確立した法則ならば、古いも新しいも、良いも悪いもありません。私たち、これから居合を学んでいく人間が、その法則をより精巧たらしめていけば、という以前にきちんと理解していけば済む話のはずです。
大学時代の剣道部の恩師は、日本剣道形を「剣道の憲法」と表現していましたが、それと同じ認識でいます。
今年はそのような眼でもって、居合道に向き合いたいと思います。
ていうか、稽古してから言えって感じですね(;´▽`A``

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