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戦後初期の自由研究~総合学習の系譜?~

何とか週一での更新には間に合いましたφ(ー"ー ) ウ~ン...

さて、以下は、戦後まもなく―1946(昭和21)年~1951(昭和26)年―における、福島県のある小学校での通信簿です。「通信箋」という名が付けられています。

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通信簿考としても、とても面白いものが書けそう(とはいえ、自分にその器量はありません)。
その特徴として、例えば、次のようなものを挙げることができます。
①紙の質は、今日とは比較にならないほど悪い。
②昭和21年度においては、まだ小学校ではなく「国民学校」であり、教科目名も国民学校時のままである。「修身」「国史」「地理」の欄は空欄となっている。
③評価は1~5の五段階ではなく、(-2)~(+2)の五段階となっている。
④昭和23年度の「通信箋」から、自由研究という項目があるのが確認できる。
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自由研究というのは、どのようなものだったのでしょうか。この自由研究に評価が付けられているのは、昭和25年度(小学5年生時)だけ、それも○が付けられているだけです。この「通信箋」の所有者(親ですが)に聞いてみましたが、どんなことをしたかは覚えていませんでした。

これについて、M1のときに受けた元指導教官の講義資料(「現代日本の教育課程改革」)にその概要が論じられていたことを思いだし、それを引っ張り出して確認してみました
(「・・)ドレドレ..,
 書いてありました。資料によれば、この自由研究は『学習指導要領 一般編(試案) 昭和22年度』によって定められたものです。しかし、この指導要領が出された時期は、まだ教育基本法と学校教育法の制定前であり、指導要領は基準性・法的拘束性をもってはいません。

「試案」としての指導要領は、教師の研究の手引きとしての性格を意味していました。序論「なぜこの書はつくられたか」からは、権力による上からの画一主義が教師を国家のロボットにしてしまったことを反省し、教師自身が、実践の経験と意見とを反映する仕方で、かつ地域の教育要求も反映する仕方で学習指導要領を作成することが望ましいとの主張を看取できます(戦後まもなくの混乱期とはいえ、教師の自由裁量をこれほど大幅に認めている点は画期的です)。

昭和22年度指導要領では小学校の教科は、国語・社会・算数・理科・音楽・図画工作・家庭・体育・自由研究となっています。自由研究に割り当てられた時間は、4年生からの週約2-4時間、年間で70-140時間です。

自由研究はどういう位置づけなのか。学習指導要領の説明では、「児童の個性によっては、その活動が次の活動を生んで、一定の学習時間では、その活動の要求を満足させることができないような場合」が想定されています。例えば、以下のようなものです。
(1)教科の発展としての自由学習
(2)クラブ組織による活動
(3)当番や学級委員の仕事
昭和26年度学習指導要領で、自由研究は「教科以外の活動」へと変更されました。これについて、先生の資料では、(1)の側面は教科学習で対応できると判断し、「教科以外」の教育的意義を積極的に見出す方向へと向かったのだと、評価していました。

このような指導要領上の変更により、自由研究はたった4年の寿命しかもち得ませんでした。実態としても、先の通信簿を見る限りでは、積極的活動の跡は確認できません(もっとも指導要領が試案ですから、その設定に従う理由もないわけですが…)。
 教師の裁量が自由研究においてどう発揮されていたのか、自由研究設置について政策サイドではどのような議論が交わされたのか。自由研究の実態の解明は十分に進んでいるとはいえない状況です。とくに(1)の可能性が消えていく経緯については。自由研究が総合学習の系譜に位置づくのか否かは、自分で書いておきながら何とも言えないわけですが(その前に総合学習の定義を明確にできていないなあ)、とはいえ、これがすぐに消えてしまった経緯についての歴史的検討は、総合学習の観点からも有効ではないかと思います。

1958年には、朝鮮戦争以降の動向と「学力」低下への批判(戦後の新教育の潮流となっていた経験主義や単元主義に偏り過ぎる傾向を改め、各教科の系統性を重視する方向に改める)から、「試案」であった学習指導要領が法的拘束性をもつことになります。この1958年における教育課程行政上の転換点は不動のままに、今日の「教育改革」へと至ったと考えると、「総合的な学習の時間」は、教師の裁量を認めている点で、1958年以来の大きな変化であるといえるわけです。が、「学力」低下という批判にさらされ、変更への世論が刻々と高まっています。「歴史は繰り返す」ことになるのでしょうか。「総合的な学習の時間」の寿命は、4年ももたずに終わってしまうのでしょうか。

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 中山文科大臣が昨日、総合的な学習の継続方針を示しました。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050221-00000003-san-pol  おそらくは文部科学省の官僚に「ご説明」を受けて、ようやく学力低下論と総合的な学習の短絡が床屋政談レベルの議論であることに気づいたのではないかと推測します。そういう人を文科大臣にする総理大臣の考えも興味深いですが、それは置いておきましょう。  ともかく、現在の枠組みがそのまま残るかどうかはわかりません..... [続きを読む]

受信: 2005/04/18 21:35

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