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『山びこ学校』は語りかける

 一昨日(2005年3月7日)、山びこ学校のルーツを探る幻の回覧文集『山峡』が見つかったという記事を読みました。
自分にその資料的価値を見定めるだけの力量はありません。ですが、ぜひ多くの人が読める形でデータベース化してもらいたいものです。

 『山びこ学校』は山形県山元村の中学校において無着成恭氏が行った教育実践の成果であり、子どもたちが書いた綴方(=作文)が豊富に掲載された文集です。初版は1951年、サンフランシスコ講和条約締結の年に出版されました。現在、岩波文庫の一冊として出版されており、簡単に手に入れることができます。

 『山びこ学校』は出版後まもなく、教育界のみならず一般読者層の間でも大きな反響をよび、ベストセラーになりました。東北の一地方(それも決して裕福とはいえなかった地域)の学校から発信されたこの『山びこ学校』が、当時社会に大いに歓迎された理由はなんだったのでしょうか。
 すでに周知のことかもしれませんが、自分なりに整理してみたいと思います。
戦前-戦後の生活綴方運動の中心的存在であった国分一太郎は、次のように述べています。

「戦前にあれほど盛んだった生活綴方のしごとも、敗戦後のわが国教育界では、いたってふるわなかった。その原因として(中略)もっとも大きなひとつをあげれば、戦後口やかましくいわれた、いわゆる新教育への幻想にあったということができる。今この解説を書いているわたしをふくめて、たいていのものは、日本の戦後教育の方向の新しい確認と、アメリカで行われている進歩的教育運動(いわゆる新教育の方法の重視)の移入とを、ゴチャマゼにして考えていたのである。」
〈註〉国分一太郎「解説」無着成恭編『山びこ学校』岩波文庫、1995年、332-333ページ。
戦後初期の日本では、社会科を中心にアメリカから新教育が導入され、新しい価値観のための教育が展開されました。しかしながら、それら流行のカリキュラムづくりや教育方法は、必ずしも当時日本の現実に根ざしたものとはいえず、ともすると、「形式主義のごっこ遊び」、「はいまわる経験主義」に陥る可能性がありました。そのような教師たちの実践上のとまどいに応えるように登場したのが、『山びこ学校』であったといえます。

 『山びこ学校』は単なる作文集とは異なり、先生と生徒が直面する具体的な暮らしの問題を取り上げ、ともに考え、解決しようという生活探求の姿勢が披瀝されたものです。この綴方による実践は、当時の苦しい農村の現実と社会科教科書の記述との乖離を自覚し、現実を変える実際の行動まで進むに至りました。認識-行為の接続に成功した、すぐれた実践例です。戦前の修身のように、「忍耐」や「勤勉」の徳目を伝達する心理主義的な授業とは異なり、「貧乏を運命とあきらめる道徳にガンと反抗して、貧乏を乗り超えて行く道徳」無着成恭「あとがき」)へと進んでいるのです。
 
 東北の風土が、このように〈生活に密着した〉すぐれた実践を生んだということは非常に興味深いことです。『山びこ学校』に限らず、戦前の「北方教育運動」など、今日的にきわめて評価の高い教育実践が東北では展開され、日本の教育遺産として戦後の教師たちに感銘を与えてきた経緯があります。「総合的な学習の時間」、さらに「生活科」の見直しが叫ばれる中で、先の文集が見つかったことには、何か因縁めいたものを感じます。

 『山びこ学校』は、日本土着のすぐれた教育実践例として、今日の教育にも大きな示唆を与えるものです。さらに同書は、子どもの教育のみならず、大人たちの、おとなが書く生活綴方、「生活記録運動」(=敗戦後、大人たちが行った価値観の再構築運動の一つ)が広がってゆくきっかけをもつくりました。
 
 よくよく考えれば、現在わたしはブログという媒体を使って綴方をしているともいえるわけで、アメリカ生まれのブログを日本の生活現実に根づかせ、うまく活用していくヒントを『山びこ学校』は語りかけてくれる、そんな気すらしてしまいます。

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