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なぜ節目なのか

 この時期、各学校は卒業シーズンです。ですが、なぜこの時期が(少なくとも制度上の)節目になるのでしょうか。なぜ4月が学校の、学年の始期になっているのでしょうか(アメリカなどは9月ですよね)。

 管見の限りで、この疑問に答えてくれるのは、佐藤秀夫『学校ことはじめ事典』(小学館、1987年。現在絶版)。教育制度・政策史関連で多大な功績を残している(例えば、みすず書房『続現代史資料 教育』全三巻)佐藤さんが、学校慣行史・文化史について一般向けに書いた本で、とても面白く読めます(仙台市図書館には一冊あるようです)。

 佐藤さんは、「日本でも近代化のスタートを切った明治前半期では、大学をはじめ小学校まで9月始期制が多かったのであり、帝国大学や旧制高校ではなんと1920(大正9)年まで9月新学年制だった」(32ページ)といいます。夏目漱石の『こころ』(初版、1914年10月、岩波書店刊)には、そのことを裏づけるような部分が登場しますね。例えば、「その年の六月に卒業する筈の私(大学生-引用者注)は、是非共この論文を成規通り四月一杯に書き上げてしまわなければならなかった」(『こころ』新潮文庫、64ページ)。

 学年始期を4月にした最初は、1886(明治19)年の東京高等師範学校でした。1888年には府県立尋常師範学校が文部省の指示により、これに続きます。佐藤さんによれば、その理由には三点があげられていました。

①陸軍との人材獲得競争のため
②公費支出の便宜さ
③学年末試験がむし暑い中下旬に行われるので、学生の健康上よろしくないというもの

 ①について。1886年12月に「徴兵令」が改正され、装丁の届出期日が従来の9月1日基点から4月1日基点に改められた。当時の高師や師範には20歳以上の新入生が多かったから、学校が9月始期のままだと、壮健で学力のある人材が先に陸軍にとられる。そこで、学年始期を4月1日にくり下げた。「陸軍の都合に学校が引きずられてしまったのである」(32ページ)。

 ②について。国や県の会計年度は1886(明治19)年から、以前の7月~翌年6月を、4月~翌年3月に改正された。徴兵事務はこの新会計年度に合わせたものであり、学校もそれにならった。「つまり、お役人の都合だった」(33ページ)。

 ③について。4月始期では、寒さきびしい2月・3月に試験が行われるから、五十歩百歩のちがいで、付け足しの理由にすぎない。

要するに、現在実施されている「4月はじまり」に教育的意義はない、というのが佐藤さんの本旨です。それどころか、「4月はじまり」のために、例えば、「夏休み」のような休暇期間と「学期」との調整をどうするか、そのバランスの悪さをどう改善するかという問題が登場することなります。例えば、休み期間の登校日や宿題(「夏休みの友」なんてありましたよね)などは、ようやく慣れてきた学校生活途中の空白を埋めるためのもの(休み期間中が休みでなくなるという矛盾)。夏休み自体は、欧米の外国人教師を通じて導入されたもので、米作りを核とした日本の伝統社会にはなかったといいます(34ページ)。

 「桜の花とともに」新しい門出を祝う(実際には気象条件によって地域差を伴う)。なんとも美しい情景です。ですが、それはあと付けの理由、というより制度上の規定にのせて、人々が描いた色々な思い出の結晶といえばよいでしょうか。少々、センチになりました(もし、9月始期制だったら、花見もそこそこに溜息まじりの卒業研究、ということになるか)。
 学校慣行によって私たちの精神・身体は知らず知らずのうちにつくり上げられている。少なくとも、そういう部分がある。佐藤秀夫さんの本(=教育史研究)は、私たちのもつステレオ・タイプを相対化してくれます。それこそ、私が先に「面白い」と述べた、もっとも大きな理由です。

〈追記〉佐藤秀夫『教育の文化史2 学校の文化』阿吽社、2005年、103-116ページにより詳しい説明があります(2005年4月20日、記す)。

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