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HANA-MI

 ――まさに戦闘地域。桜の樹の下で繰り広げられる人間ドラマ。ある者は歓喜の雄叫びをあげ、ある者はKOされたボクサーのようにうずくまったままピクリともせず、また、ある者は負傷した兵士のように味方に担がれ……
 仙台でもようやく桜が開花(木曜日、平年より2日、昨年より7日遅れ)。でもまだ、二分、三分咲きといったところです。しかし、crazyな[drinking party]は早くもたいそうな盛り上がり。桜の花[HANA]を見[MI]るという行為[cherry-viewing]は、大勢としては、完全に形骸化され、飲むための手段的位置に置かれている観があります(じっさいに深く観察してみると、さまざまな嗜好による花見活動が展開されるのかもしれません)。

 しかし桜の花を見るといっても、そのほとんどは、ソメイヨシノ。〈桜=一斉に咲き乱れるソメイヨシノ〉という桜景色のイメージは広く浸透していると思います。その桜景色の画一性・均質性が、花をじっくり見る行為より、酒を飲み交わす行為の重視へと人々を向かわせるのかな、と思ったりもします。

 毎年桜を見ていても、その経験は私に、桜ほか植物に関する知識の定着を何ら保障してくれません。およそ植物に関してはまったくの無知野郎な私。あるとき、ソメイヨシノについての新聞記事を見て、ちょっと気にかかったことがあります。以下の記事です。

「最も身近だが、謎のサクラである。明治期に突然広がる。それに最初に気づいたのは藤野寄命。明治18、19年の上野公園の調査で見いだした。園丁係から、江戸の花産地・染井から来たサクラが多いと聞き、吉野のヤマザクラと区別し染井吉野と名づける。雑種だが、いつ誕生したか、定かでない。」
〈註〉「花おりおり ソメイヨシノ」『朝日新聞』、2002年3月25日。

 「えっ、新しい桜なのか」。でも、無知で好奇心薄弱な私はそこで思考停止。しかし、人によっては、その不全感から自分の眼を広げていくんですよね。最近読んだ佐藤俊樹著『桜が創った「日本」』(岩波新書、2005年)は、自分と似た感覚を出発点として、縦横に視野を拡大させていく、そして自分の眼を高度化していく知的思考のおもしろさを、桜を素材として教えてくれました。

「過去のさまざまな出来事の連鎖のなかに、新しい出来事が接続されることで、過去の出来事たちの意味も新たな出来事の意味も更新されていく。『日本』も『桜』もそうやって創られている。」
〈註〉佐藤俊樹『桜が創った「日本」―ソメイヨシノ 起源への旅―』岩波新書、2005年、203ページ。

現前する出来事のイメージ(表象)が、過去の記憶や歴史のイメージをも再構築していく。だから、記憶というものは単に蓄積されていくものではないし、歴史は現代の問題状況とそれに対する我々の構えに密接に関わってくる。この文章を受けて、そんなことを考えたりしました。

〈参考〉
・「桜図鑑」 http://www.hananokai.or.jp/zukan/zukan.htm
・「桜便り」 http://www.e087.com/sakura/

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