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認識と行動が結びつくためには

 自分の所属講座の演習室に、自分が設置したゴミ箱があります。段ボールの空き箱にゴミ袋をかけただけの簡易なものですが、演習室の利用者にはかなり重宝されていたと思います。もちろん、たまったゴミは自分が捨てていました。

 しかし、今回、このゴミ箱を撤去しようと思い至りました。なぜか。マナーが悪いからです(教員も含めて、ていうかむしろそっち)。何から何までお構いなく捨てられます(ワケル君が怒るぞ!)。コピー用紙の包装紙は資源回収にまわすことができるので、そのための回収箱も設けたのですが、ほとんど利用されず、クチャクチャのまま捨てられている現状です。資源回収スペースが設けられているというのに、講座の人間のほとんどが無頓着。ほかにも気がつくと、変な荷物や機器が増えていたりで、うかうかできません。誰かが整理整頓しなければ、あの演習室は物置同然のゴミ屋敷になりかねません(それはそれで見てみたいが)。そんなわけで私もかなり奉仕してきたのですが、そろそろ我慢の限界です。学生に向かって環境教育の開発だ何だと高唱するならば、その学問的認識と日常生活上の行動とが結びついた姿勢も見せてもらいたいものです。

 ゴミ箱をなくさずとも張り紙程度で済むのではないかとも思いましたが、その案は退けました。それは結局、道徳教育でいう徳目主義でしかないからです。単にこうしろ、ああしろというよりは、捨てたいゴミを前にどうするか思考せざるを得ない外的条件を作り出させたほうがよいと、まずは考えました。ゴミ箱を撤去したことで、みながどういう反応をみせるか、その行動パターンを観察してみたいと思います。その人の「人となり」というのは日常のさりげないところにこそ表れるはずですから( ̄ー ̄)フッ ただし、ウチの教授陣については、すでにその行動パターンについて、(絶望的な)予測がついてますが。ヤバイ、今日はかなり辛口だ。

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三年目の船出

 昨日(24日、日曜日)は長い一日でした。あの花見の後、大学の研究室へ行き、今朝5時近くまでいましたから。今日も3時間ほどしか眠れていません。これこそ、院生のノーマルな生活実態なのだー。

 それはさておき、居合道昇段審査、無事(笑)合格されたみなさん、おめでとうございます。花見の準備のためじっくりと拝見できませんでしたけれども、実技に関していえば、日頃の稽古以上の、いい居合を抜いていたと思います。プレッシャーを感じている様子はなかったし。「本番に弱い」自分からすれば、うらやましい限りです。学科に関しては、過去問とその解答(自身が書いた中身)を審査経験者が保管しておき、同好会として蓄積していくという方法がありうると思いました(もちろん、丸写しではなく、勉強のためとして。えぇ、自分もおこぼれに預かりたいなんて発想は微塵もございぁせん)。

 そして、審査会終了後の花見。新入会員の参加が予想以上で、昨年よりもにぎやかなものとなりました(2年生の勧誘の成果がうかがえます)。たまには、ソメイヨシノ以外のサクラ(あれはたぶん、ヤマザクラ)の下で花見をするのも乙ではないかと思い、今回あのような静かなところにセッティングしました(ていうか、結局、場所が取れなかっただけ。ペットには恰好のお散歩コースらしく、場所取りしてた時間帯にはピンク縁のサングラスを掛けたファンキーな犬も見かけました)。

  結局、夕方の6時くらいからのスタートでしたけれども、花見どころか、お互いの顔さえよく見えない状況の中ギリギリまでやり続けたあの執念、そして、メインの会場に場所を移してまた飲み直し、消灯(午後10時)を過ぎても、なおやめない執念。「夜ノ寒サヤ暗サニモ負ケス」、最終的に夜11時近くまで続行した執念という名の収拾の悪さ「粘り強さ」という同好会のカラーの萌芽を感じる一時でした。

 年度はじめによいスタートが切れたと思います。この雰囲気をこのまま継続させ、大いに活動を盛り上げていきましょう。自分もがんばります。

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貧食カレー

 昼、郵便局に行ったついでに、「貧食」(「貧民(救済)食堂」、正式名「川内第二食堂」)でカレー(「おふくろカレー」)を食べました。久々です。今は、サラダ・バーもあるんですね~。

 大幅な建て替えを経ることもなく、あのまま生き続けていることに感銘を受けます。最新設備を備えたマルチメディア棟とのコントラストはたまりません。その空間だけ時間が止まっている感じです。

 ここのカレーを食べると、自分がまだ若かかりし頃、月~金曜日まで毎日カレーにまみれていた頃の風景を思い出します(「貧民」ですから)。「大」「中」という略称で注文が通じる、普通の食堂ならありえない驚異的な意思疎通の速さ。10円キャベツ。カレー中央に生卵を流し込む強者たち。「○○さん! 昼飯! 押忍! ごっつあんでーす!!(ごちそうさまで~す!)」という、今はもう聞くことができない応援団員のごっつあん文句……。貧食にはまった中毒患者はたくさんいたはず。

                    ◇

 カレーといえばインドですが、しかし、私たちが日ごろ食べるようなとろみのあるカレーは、インドにはないと言います。というより、「カレー(ライス)」と呼ばれる料理がないといいます。「カレー」という概念がないといっていいのかもしれません。インドにあるのは日本のカレーとは違って、スープ状で、多種多様なスパイスを使用する料理です。

 フォト・ジャーナリストの森枝卓士さんは、日本のカレーのルーツはイギリスにあると指摘します。肉や野菜を煮込み、小麦粉でとろみをつけるシチューのような料理は、昔からイギリス(ほかヨーロッパの国)にはありました。そこに植民地であったインドからカレー粉(はじめからスパイスを混ぜ合わせた物)を持ち帰り、それを加えるようなやり方でイギリス式のカレーがつくられ、その後明治期に日本に到達し、今のようなかたちになっていったといいます。いまのような日本式のカレーが成立したのは大正時代で、それが津々浦々にまで普及する原動力となったのは、軍隊生活と学生寮での食事で愛用されたことが大きいとも森枝さんは述べています。学生とカレー、その結びつきは固い。(貧食)カレーが学生に愛される理由も何となくわかります。「学校の食文化史」なんて項目が、教育史のテーマにあってもよかないかと思ったり。

 巷にあふれるカレー商品の数々。日本の食文化にカレーは深く根付いています。私たちの経験・認識には「カレー」という媒体が分かちがたく作用している=「カレー論的転回」。あほです。さっさと明日のゼミの用意します(-_-)

〈参考〉
森枝卓士『カレーライスと日本人』講談社現代新書、1989年。
同『月刊たくさんのふしぎ カレーライスがやってきた』1988年12月号(第45号)。

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HANA-MI

 ――まさに戦闘地域。桜の樹の下で繰り広げられる人間ドラマ。ある者は歓喜の雄叫びをあげ、ある者はKOされたボクサーのようにうずくまったままピクリともせず、また、ある者は負傷した兵士のように味方に担がれ……
 仙台でもようやく桜が開花(木曜日、平年より2日、昨年より7日遅れ)。でもまだ、二分、三分咲きといったところです。しかし、crazyな[drinking party]は早くもたいそうな盛り上がり。桜の花[HANA]を見[MI]るという行為[cherry-viewing]は、大勢としては、完全に形骸化され、飲むための手段的位置に置かれている観があります(じっさいに深く観察してみると、さまざまな嗜好による花見活動が展開されるのかもしれません)。

 しかし桜の花を見るといっても、そのほとんどは、ソメイヨシノ。〈桜=一斉に咲き乱れるソメイヨシノ〉という桜景色のイメージは広く浸透していると思います。その桜景色の画一性・均質性が、花をじっくり見る行為より、酒を飲み交わす行為の重視へと人々を向かわせるのかな、と思ったりもします。

 毎年桜を見ていても、その経験は私に、桜ほか植物に関する知識の定着を何ら保障してくれません。およそ植物に関してはまったくの無知野郎な私。あるとき、ソメイヨシノについての新聞記事を見て、ちょっと気にかかったことがあります。以下の記事です。

「最も身近だが、謎のサクラである。明治期に突然広がる。それに最初に気づいたのは藤野寄命。明治18、19年の上野公園の調査で見いだした。園丁係から、江戸の花産地・染井から来たサクラが多いと聞き、吉野のヤマザクラと区別し染井吉野と名づける。雑種だが、いつ誕生したか、定かでない。」
〈註〉「花おりおり ソメイヨシノ」『朝日新聞』、2002年3月25日。

 「えっ、新しい桜なのか」。でも、無知で好奇心薄弱な私はそこで思考停止。しかし、人によっては、その不全感から自分の眼を広げていくんですよね。最近読んだ佐藤俊樹著『桜が創った「日本」』(岩波新書、2005年)は、自分と似た感覚を出発点として、縦横に視野を拡大させていく、そして自分の眼を高度化していく知的思考のおもしろさを、桜を素材として教えてくれました。

「過去のさまざまな出来事の連鎖のなかに、新しい出来事が接続されることで、過去の出来事たちの意味も新たな出来事の意味も更新されていく。『日本』も『桜』もそうやって創られている。」
〈註〉佐藤俊樹『桜が創った「日本」―ソメイヨシノ 起源への旅―』岩波新書、2005年、203ページ。

現前する出来事のイメージ(表象)が、過去の記憶や歴史のイメージをも再構築していく。だから、記憶というものは単に蓄積されていくものではないし、歴史は現代の問題状況とそれに対する我々の構えに密接に関わってくる。この文章を受けて、そんなことを考えたりしました。

〈参考〉
・「桜図鑑」 http://www.hananokai.or.jp/zukan/zukan.htm
・「桜便り」 http://www.e087.com/sakura/

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教育史的テレビ番組

 日曜日(9日)夜、NHKで沢柳政太郎にスポットを当てた番組「NHKスペシャル シリーズ明治 第一集 ゆとりか、学力か」をみました。「学力低下」「ゆとり教育見直し」といった現代の問題に、教育史的視点から問いかけた番組です。当時の教育を伝える貴重な資料の紹介やそれにもとづく授業や試験の再現、沢柳の肉声など盛り沢山でした。教育史をテーマにした番組をみる機会は、そう多くありません。今回の番組は、学術的にもおもしろい論点を含む、興味深いものでした。

 少し前の記事でも紹介しましたが、沢柳は文部官僚から民間教育家(大正期新教育運動の担い手)になるという経歴の持ち主です。 この文部官僚としての沢柳と新教育運動の担い手としての沢柳とをトータルにつかまえる鍵概念は何か。これは、教育史研究上の一つの大きな問題です。明治-大正の教育をめぐっては、〈形式的・画一的な明治教育の否定→「個性尊重」「児童中心主義」をスローガンとする大正新教育〉という認識枠組みが支配的です。この枠組みにしたがい、新教育運動の批判対象として、明治期の教育行政を否定的に捉えるとき、その双方において中心的存在であった沢柳の立場は、一見矛盾するものにみえてしまいます。

 番組では、この問題に対して、一つのヒントを提示しています。それが、番組のタイトルである「ゆとりか、学力か」。これは、教育内容からの視点といえると思います。

 沢柳は1900年第三次小学校令制定の際、普通学務局長として教育内容の合理化に大きな役割を果たします。しかし、その結果、「学力低下」の批判を受けることになってしまいます。政策の当事者沢柳はこの「学力低下」批判をどう受け止めていたのでしょうか。皮肉にも、彼の教育改造は、彼自身の願いでもあった就学率向上の実現により、さらなる受験競争激化の問題に直面することになります。なお、この時期の「学力低下」は、授業時間の削減によって引きおこされたとみるより、授業料不徴収による就学率の向上に伴って、児童生徒間の学力格差が拡大した結果とみるほうが実態に即しています(「個性」という概念は、この学力格差による一斉教授の弊害という問題状況を背景として登場する)。 

 彼は、主に試験目的から百科全書的にただ多くの文字やコトバを伝達、暗誦するという教授-学習過程への批判として、教育内容の改良を図りました。それは、子どもの発達段階・学習理解の実態を考慮に入れたものであり、教育の中身(カリキュラム)に積極的に切り込んだものでした(例えば、代表的なものとして、国語科の設置。他にも、尋常小学校の算術では、10以下の加減乗除→10,000以下の加減乗除と進んでいたのを、中間に100以下の加減乗除を教えるという段階を作った。地理・歴史では、郷土の地理・歴史から入る従来の方式を変え、全国の地理・歴史で日本全体の概観を作らせてから部分へ進む方式を取り入れた、など)。

 肝心の中身の問題ですから、当然民間から批判が起こるだろうと予想していたら、これが非常に少ない。「量的に減った」「点数が下がった」という表面的な批判しか出てこない。子どもの発達段階や認識能力の視点からの批判がない。このような指摘は、教育関係者への痛烈な批判を意味します。

 彼が文部官僚の職を辞して後、民間に飛び込み、実験学校成城小学校を創設したのは、「(カリキュラムについて)だれも検証しないなら、オレがする」という、教育内容への積極的姿勢と教育学者としての自信のあらわれからではないか。今回の番組は、彼の活動の軌跡を捉える、そのような新しい視点を示唆していました。

〈参考〉
・沢柳政太郎「改正小学校令ニ対スル批評ヲ論ズ」(『澤柳政太郎全集』第三巻、国土社、1978年所収)。
・成城学園教育研究所ホームページ:
http://www.seijogakuen.ed.jp/kyoikuken/index.html

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「ゆとり教育」見直し、そのビジョンは

 「ゆとり教育」が批判にさらされています(「『ゆとり』見直しに賛成78% 本社世論調査」asahi.com、2005年03月15日)。今回の教科書検定結果は、その「ゆとり」見直しが反映されたとみられています(「教科書検定:中学で「発展的学習」初導入 「ゆとり」見直し反映--検定結果を公表」毎日新聞、2005年4月6日)。

 「ゆとり教育」批判の根拠として大きく影響したと考えられるのが、PISA(「ピサ」)とTIMSS(「ティムス」)、「学力」に関するこの二つの国際比較調査の結果です。TIMSSはIEA(国際教育到達度評価学会)の国際数学・理科教育動向調査、PISAはOECD(経済協力開発機構)が行う学習到達度調査です(出題例)。TIMSSが数学・理科という従来の教科の枠組みのなかで知識理解の達成度を測るのに対し、PISAは、その枠組みを越えて「問題解決能力」「数学的活用力」といったように、知識活用力と課題の解決力をみる試験が中心となっています。

(1)

この調査結果から、「学力低下」という問題を読みとって憂慮しているという現状なわけですが、順位・点数の結果だけをみて一喜一憂するだけでは、各分野の学習到達度・能力を今後どう伸ばしていくかという視点が欠落する、一時的アセスメントの弊害を誘発することになると予想します。
 点数から読みとれない部分は多々あります。例えば、試験内容を教えられている中でいい点を取った上位国と、教えられていないのに上位国に食い込んだ(踏みとどまった)国では、どちらを評価すべきでしょうか。TIMSS2003に関して、日本は後者に入るとする教育学者の見解があります(日本教育学会第8回研究集会「授業において『わかる』とは何か」2005年1月29日、大野栄三氏報告)。そう捉えるなら、問題とすべきは子どもたちの学力低下ではなく「教えられていないことは何か」ということになります。

 ただし、削減した項目を復活するだけでは、振り出しに戻るだけで問題が解決することにはなりません。本来の問題は、例えば、算数・数学であれば、公式の羅列的暗記や「不全感のなさ」(分数÷分数、マイナス×マイナス等を気にしない、など)といった学習者の認識過程の現状のはずですから。
 指導要領改訂の際に、小学校算数において台形の面積を教えないということが問題となりましたが、ある数学教育の先生は「そんなくだらない議論には付き合いたくない」と言います。そんなことより「すべての多角形は長方形になおして計算できる、そのことのほうが基礎的で重要だ」といいます。教育内容に踏み込んで「われわれ大人が何を身につけさせたいか」を具体的に示す、そんな議論が必要です(「試されているのはわれわれの学力」)。

(2)

 PISAとTIMSS、二つのテストに対する各国のスタンスにはかなり違いがあります。日本では、今回の結果を強く問題視した。一方で、一つの国際指標としての位置づけでしかない(それより他にいくらでも重要な指標がある)、PISAには参加してもTIMSSには参加していなかったりという各国の現状があります。例えば、PISA2000、2003でトップの成績をあげたフィンランドはTIMSS2003には参加していません。それぞれの国には、それぞれの「学力文化」とでもいうべきもの、各国の文化のなかで形成されてきた知性観といったものがあり、したがって、めざすべき「学力」像が異なっているのではないかと思います。そして、それを達成するために国際調査を一つの指標としてみているのではないでしょうか。日本はどうでしょうか。「情報蓄積」といった学力像しか描けていない現状はないでしょうか。

 当事者である小中高生たちは、問題の本質を見抜いていると思います。アサヒ・ドットコムの記事(「ゆとり教育見直し、子は複雑 小中高校生の意見」asahi.com、2005年04月05日13時33分)からは「なぜ学ぶのか」「なぜ競争しなければならないのか」という子どもたちの疑問を看取できます。この疑問に対し、どの程度教育内容に踏み込んだ形で応えられるかが重要だと思います。

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教育会研究

3日土曜日は、「地方教育会の総合的研究」会(5回目)にはじめて参加。
メンバーは、リーダーのかじやま先生をはじめ、旧教育行政専攻の大先輩&日本教育史研究の牽引役をつとめている人たちばかり。参加するってだけで緊張します。盟友すだっちにも、久々に研究の場で会いました。

それにしても、研究レベルが高い高い。そこまで緻密にやりますかって感じです。
地方の行政文書はもちろん、なかなか見ることができない学校、個人所蔵の文書を駆使し、その断片をつないで教育史像を構築していく、その困難な「足で書く」作業を淡々としている凄さ。そして、「教育」という枠を越え、政治や一般行政との関わりを通して、地域固有の歴史的状況をダイナミックに描く、さらに、その個別の事例を通して一般(通説)を捉え直していく、そのスゴ技を見せつけられました。感嘆の溜息をもらさずにはいられません。「この一枚の表つくるのに、20年かかってます」なんて言われたら、「ははーっ」というしかありません。

これで科研費が取れたら、全国レベルで研究を展開するようで、各地区の錚々たる顔ぶれがメンバーとして名をつらねる予定です。「いい勉強になるなあ」と思っていたところ、「もし、科研費が取れなかった場合、次回5月の研究会はあなたが発表してください」と。
(ー◇ー;)エッ!……ナンテコッタ、あぁ。展望もないぞ。どうすんのよ、オレ。
そんなわけで、5月は更新が滞ることまちがいなしです。4月だって論文書かなきゃならないってのに。

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「筆とれば物書かれ」

 前回の記事でふれた原稿、無事依頼主に送りました。
一つの仕事を終えたこの快感は、何ともいえません。
さあ、次は4月末だ。GWまでに書き上げるぞー。

 それにしても、100%満足のいく文章というのは書けないものです。
一つ一つの文の細かい箇所(言葉の使い方、表現の仕方)に目を向けたらきりがなく、「これでいいだろうか」と、不安は尽きません。二、三度朱を入れて「これでいいだろう」と踏ん切りをつけても、一日寝かせると「ああ、やっぱりダメだ」。かと思いきや、数ヶ月後に改めて見直すと「うん、まあまあよく書けてる」と思い直したり。

 文章を書くというのは、本当に難しい。しかし、いい文章を書こうと思ったら、それこそ書き続ける以外に上達法はない。書けないからといってもう投げ出すことはできない。書き上げられたものだけが真に評価に値するのであって、何も書かずに「そんなこと俺はとっくに考えていたよ」と言ったところで、研究の世界では、全く通用しません。
どれほど砂を噛む思いをしようとも、書き続ける。いつかは日の目を見ることを信じて。そんな私のブログは、イロモノサイト…。

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