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「ゆとり教育」見直し、そのビジョンは

 「ゆとり教育」が批判にさらされています(「『ゆとり』見直しに賛成78% 本社世論調査」asahi.com、2005年03月15日)。今回の教科書検定結果は、その「ゆとり」見直しが反映されたとみられています(「教科書検定:中学で「発展的学習」初導入 「ゆとり」見直し反映--検定結果を公表」毎日新聞、2005年4月6日)。

 「ゆとり教育」批判の根拠として大きく影響したと考えられるのが、PISA(「ピサ」)とTIMSS(「ティムス」)、「学力」に関するこの二つの国際比較調査の結果です。TIMSSはIEA(国際教育到達度評価学会)の国際数学・理科教育動向調査、PISAはOECD(経済協力開発機構)が行う学習到達度調査です(出題例)。TIMSSが数学・理科という従来の教科の枠組みのなかで知識理解の達成度を測るのに対し、PISAは、その枠組みを越えて「問題解決能力」「数学的活用力」といったように、知識活用力と課題の解決力をみる試験が中心となっています。

(1)

この調査結果から、「学力低下」という問題を読みとって憂慮しているという現状なわけですが、順位・点数の結果だけをみて一喜一憂するだけでは、各分野の学習到達度・能力を今後どう伸ばしていくかという視点が欠落する、一時的アセスメントの弊害を誘発することになると予想します。
 点数から読みとれない部分は多々あります。例えば、試験内容を教えられている中でいい点を取った上位国と、教えられていないのに上位国に食い込んだ(踏みとどまった)国では、どちらを評価すべきでしょうか。TIMSS2003に関して、日本は後者に入るとする教育学者の見解があります(日本教育学会第8回研究集会「授業において『わかる』とは何か」2005年1月29日、大野栄三氏報告)。そう捉えるなら、問題とすべきは子どもたちの学力低下ではなく「教えられていないことは何か」ということになります。

 ただし、削減した項目を復活するだけでは、振り出しに戻るだけで問題が解決することにはなりません。本来の問題は、例えば、算数・数学であれば、公式の羅列的暗記や「不全感のなさ」(分数÷分数、マイナス×マイナス等を気にしない、など)といった学習者の認識過程の現状のはずですから。
 指導要領改訂の際に、小学校算数において台形の面積を教えないということが問題となりましたが、ある数学教育の先生は「そんなくだらない議論には付き合いたくない」と言います。そんなことより「すべての多角形は長方形になおして計算できる、そのことのほうが基礎的で重要だ」といいます。教育内容に踏み込んで「われわれ大人が何を身につけさせたいか」を具体的に示す、そんな議論が必要です(「試されているのはわれわれの学力」)。

(2)

 PISAとTIMSS、二つのテストに対する各国のスタンスにはかなり違いがあります。日本では、今回の結果を強く問題視した。一方で、一つの国際指標としての位置づけでしかない(それより他にいくらでも重要な指標がある)、PISAには参加してもTIMSSには参加していなかったりという各国の現状があります。例えば、PISA2000、2003でトップの成績をあげたフィンランドはTIMSS2003には参加していません。それぞれの国には、それぞれの「学力文化」とでもいうべきもの、各国の文化のなかで形成されてきた知性観といったものがあり、したがって、めざすべき「学力」像が異なっているのではないかと思います。そして、それを達成するために国際調査を一つの指標としてみているのではないでしょうか。日本はどうでしょうか。「情報蓄積」といった学力像しか描けていない現状はないでしょうか。

 当事者である小中高生たちは、問題の本質を見抜いていると思います。アサヒ・ドットコムの記事(「ゆとり教育見直し、子は複雑 小中高校生の意見」asahi.com、2005年04月05日13時33分)からは「なぜ学ぶのか」「なぜ競争しなければならないのか」という子どもたちの疑問を看取できます。この疑問に対し、どの程度教育内容に踏み込んだ形で応えられるかが重要だと思います。

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