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発表終えて…

 一週間ぶりのご無沙汰でした。
もうすぐ6月ということで、衣替え。デザイン・テンプレートを新しくしてみました(「若葉」)。

               ◇

 さて、研究発表は終わりましたが、いわゆる「玉砕」ですね。
やはり付け焼き刃では、太刀打ち出来ませんでした。

〈今回の反省〉
(1)史料分析が少なすぎるということ。
 史料が命の教育史研究。もっと「生の史料」を足を使って探してこなければいけません。
やはり発表を聴いてくださる方々が「勉強になった。得した」という中身でなければ。
むしろ、こちらが勉強になってしまいました。史料の所在について本当に貴重なアドバイスを頂きました。そして、その史料を閲覧することが極めて困難であるということも―『学校沿革誌』を閲覧することは難しいようです。宮城県の場合、教育委員会を通す必要があり、それでも無理なことがあるとのこと。本当は残さなければいけないのだけど、残ってないこともあるでしょうし。とりあえず、残ってそうなところを教えていただきました。―
 6月、一つ論文を書く予定ですが、これに生かしたいと思います。まず史料閲覧のための戦術づくりからはじめなければ。

(2発表方法の工夫(レジュメの中身の工夫、聴き手の関心がどこにあるかの想定)
 いつものように、字が並んだレジュメ。しかし、今回の発表は学会発表とは異なり、発表時間は固定されていませんでした。1時間とっても大丈夫でした。実際、その後の質疑応答に1時間程度かけましたから。話題提供としてでもいいわけだから、もっと史料をつけておけば、その分、討論の内容も、アドバイスの質も濃くなったと思います。

               ◇

 帰宅して夜8時に寝たら、朝8時に起きました。全然寝てなかったから相当疲れがたまっていたようです。
午前中は部屋の掃除をして、午後は居合道同好会の稽古へ。その後、会員の皆様とおっきなパフェを食べに街へ。しばしの休息になりました。
 また明日から研究出直しです。

この間、宮城県図書館みやぎ資料室、宮城県公文書館の方にお世話になりました。とはいえ、これからはさらにお世話になることはまちがいなし。今後ともよろしくお願いします。

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認識を媒介するもの

前回、千葉市動物公園のレッサー・パンダ、風太君について触れました。
二本足で立つ姿が意外で、かわいらしく映り、思わず取り上げてしまいました。
 
しかし「意外」といっても、自分のもつ既成のイメージに照らし合わせての意外性であって、じっさい動物の世界は未知のことに溢れています。タコだって二足歩行するわけですし。
私たちは何かを知るとき、すでに自分の中にある既成のイメージ(認識枠組み、ア・プリオリ)を介して認識しています。それが時に、生物たちが見せる豊かな表情を捉える眼を狭めていることがあるかもしれない。そう考えたりしました。

               ◇

「動物」に限りません。「人間」にしてもそうです。例えば、凶悪犯罪が起こったとき、「人間のやることとは思えない」などといわれたりしますが、そのように報じられるにつけ、「では人間以外に誰がやるのか。ケダモノだってあんなことはしないぞ」と言いたくなります。それら犯罪を非人間的と断定して道徳的非難を加えることは簡単です。しかしそれは、思考停止と同義のものです。より重要なことは、その非人間的とされる中にある極めて人間的な部分をあぶり出すこと、そして、既成の「人間」のイメージを、さらに、その「人間」が営む「社会」のイメージを問い直していくことではないかと思います。

今日は宮城県図書館に、資料を探しに行きました。森の中に浮かぶ近未来的な建築がかなり気に入っているのですが、如何せん、東北の県立図書館の中でもっとも郊外に位置する図書館。行くだけで大変です。
 1920年代の『河北新報』を閲覧していたのですが、「意外」だったのが、今日凶悪犯罪とされるものと変わらない犯罪が当時もかなり頻繁にあったということ。犯罪数の比較はできませんが、「児童虐待」の語を当時すでに確認できますし、中学生が包丁で小学生を脅して殺害するなんて犯罪記事が確認できました。
 「青少年の凶悪化」が叫ばれる昨今ですが、この「青少年」イメージにも再検討が必要かも知れません。教育社会学者の広田照幸さんは、戦後の犯罪・非行統計を検討して、「青少年凶悪化」が幻想であることを指摘、その幻想がセンセーショナルなマスコミ報道によって構築されていると述べています(広田照幸『教育には何ができないか』春秋社、2003年、175-188ページ)。

メディアの発達、それに伴う高度情報化が私たちの認識に与える影響。すでに学術の世界では「メディア論的転回」ということが言われています。私たちが何かを知るとき、そこにはメディアの存在が、先験的なものとしてあるということ。これからはこの認識媒体としての「メディア」への視点がますます重要となってきそうです。

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クララが立った

風太君も立った!

・・・

すいません。テンパってます、かなり。

彼のように意外性のある発表にしたいなぁ・・・。いい研究って、自分でも予想もしてなかったような結論に行き着く、意外性のあるもののはずですから。

〈参照〉
千葉市動物公園ホームページ:http://www.city.chiba.jp/zoo/

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新聞斬り―居合に求められる繊細な知覚―

15日の日曜日、居合道同好会の稽古。
自分がいろいろと準備をして、皆と「新聞斬り」を行いました。一年ぶりです。
新入会員のみならず、結構熱中してしまうものですよね。
新入会員のみなさんが、「わざ」の精妙さを追いかけていくむずかしさと楽しさを感じてくれたのであれば幸いです。

わからない人のために言っておくと、新聞紙一枚、一面分を相手に持ってもらい、それを木刀もしくは竹刀で真っ二つに切るというものです(こちらのサイトにその風景が掲載されてます。風景。心に残るアルバム、ありがたや)。
簡単に切れそうで、これが以外と切れない。
たいていの場合、真っ二つに切れずグシャッとつぶれてしまいます。
自分も成功率は、三回に一回程度でした(一回目は必ず失敗してた)。

むろんコツは覚えています。一回で切ろうと思えば切れないことはありませんでした。
しかし、そのコツは今回は使いませんでした。
なぜか。それを使うと、普段の素振りとは異なるものになってしまうからです。

「新聞斬り」のコツ、それは「引き斬り」です。もう少し言えば、
自分からは見えない新聞紙の裏面に剣をあてるように、剣先から振り下ろす。
そうすると、けっこう間単に真っ二つに切れます。あくまで自分の感覚ですけど。

しかし、その振りだと刀は水平で止まりません。また、手だけの振りになってしまいがちです。
「剣は肚(はら)で振る」という教えに反します。「新聞斬り」と日頃の素振りが乖離してしまっては意味がありません。

では、どうすればよいか。
正直わかりません。もしかしたらという気にもなるけれども、確証はありません。
「きわめて繊細な知覚が求められる。したがって、自分の身体動作に意識的になることが重要だ」。それだけは理解しています。
今まで気にもしなかった一つ一つの細かい動作に眼を向けてみることで、見えてくるものがあるかもしれません。

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読書会―読書と聴き上手―

今日は、後輩たちとかねてから提案されていた読書会を開催。
自分自身、これまで先輩方から誘われて読書会を行い、いろいろと教わってきた経験があります。
しかし、いざ自分が上の学年になり、かつて先輩が起こしたように後輩を巻き込んだ活動をしてきたかというと、怠けてきたといわざるを得ません。
今回後輩からの要望に際し、これまで自分が受けた恩恵を下の世代に“pay forward”していく責務を強く感じた次第です。

それにしても、読書会というのは難しいものです。
わかりきっていることですが、
○本をどう読むか、
○読書会をどうすれば、実りのある、持続的でかつ楽しい場にすることができるか、
つまり、「本の読み方」「会のもち方」の二つが、会を充実させる上でネックになってきます。
皆であつまって一つの本を読むとなると、一人ひとりの研究関心が違うこともあって発言があちこちに及び、ズレが生じてきてなかなかスムーズに会が進行しないことがしばしば。かといって、強引にまとめようとするとかえってズレは大きくなり、会の雰囲気を壊すことも。

経済史家の内田義彦さんは、読書会が楽しく育ってゆくかどうかの鍵は、参加者の一人一人がどの程度聴き上手かどうかにある、と指摘します。
聴き上手どころか、話し上手でも読み上手でもない自分は、この点、今回の会では皆にずいぶん助けられました。内田さんの次の指摘を書き留めることで、次回以降、読書会充実に寄与する足がかりとしましょ。

報告をし発言した人が、私の下手な話をよくもこうまで聴きとって下さった、本当はそう思っていてうまく言えなかったんだというように事が運べば、そのような聴き上手に皆がなり、聴き上手を得て皆の考えがそれぞれに伸びてゆけば、万事目的は達する。会運営の要は、他人の言をいかに聴くかにあり、そして、その聴き上手には、本を大事に読むという仕事―大事に取扱って「聴きとる」風習と技術ですね―を深めてゆくことによってなれる、もともと本とはほんらいそう読むべきもの、と私は思うんです。
〈註〉内田義彦『読書と社会科学』岩波新書、1985年、10ページ。

〈補〉Tゼミには体調不良で参加しなかったHさんが、読書会には来たというのがちょっと面白かった。

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居合の白装束

白道着・袴という白装束。一度やってみたいスタイルです。
夢想神伝流だし。今までやったことがないし。
白は膨張色だから体を大きくみせることができるかもしれないし
(黒の道着だと、ただでさえ細身の自分がさらにスリムになってしまうし(* ̄ー ̄)> )。

居合で白道着袴というと、まず夢想神伝流が想起されます。
そして、その先には中山博道
そう、〈白道着袴のルーツは中山博道〉という捉え方は、一般的な通説になっていると思います。
彼が剣道師範を務めていた東京大学、皇宮警察は今も白道着袴のスタイル。
中山道場、有信館も白道着。その弟子であった檀崎友彰ほか、その門下もまたしかり。

しかし、なぜ白なのでしょうか。今の視点からみれば、「伝統の白」といった見方もできますが、なぜ、博道は白装束というスタイルをはじめたのでしょうか。「白装束は本来死者の装束であり縁起が悪い、しかし、だからこそ死を覚悟して稽古・試合に臨むという決意の表現である」といったりすると、最もらしく聞こえますが、どうもそんな思弁的な理由からではないようです。むろん、白は映えるし、格好いいじゃんといった好みの問題でもありません。
 博道自身は次のように述べています。孫引きですが引用してみます。

「稽古着や袴がとても汚れ易いので、黒色や当時流行した縞柄の袴をやめて、白い木綿布で作らせてしまった。かくのごとくすると汚れがすぐ目立つから、結局、洗うことになる。したがって衛生的で結果は洵(まこと)によかった。初めは弟子達も厭な様子であったが、次第に慣れてきて、稽古の終わった後洗濯する者もだんだん増えてきた。
 私は自分の道場ばかりでなく、どこへ行ってもこれで押し通した。当時白袴は神官の常用袴で、稽古人がつけることなど、凡そ異常に思われていた。ところが数年経つと京都の大会にもボツボツ白があらわれて、昭和に入って俄然増加し、今日に至った次第である。白袴は中山道場の印などと噂をするものもいたが、実はただ、以上のごとき理由でしかなかった」
〈註〉「白い道着袴にはワケがある」『月刊 剣道日本』2001年6月号(No.304)、スキージャーナル社、140-141ページ(原資料は、堂本昭彦編『中山博道剣道口述集 善道聞書』スキージャーナル社、1988年)。

武道の世界では伝統が大切にされますが、博道が白を採用したのは衛生面、「清潔さ」という実に合理的な理由からであり、白道着袴はむしろそれまでの伝統を打ち破ることでした。

「伝統」を考える上で、この事例は重要なことを示唆しています。それは、「伝統」とは単に旧いものに理由もなく固執するところには成り立たない、それは現在という時間の中で新しくつくられていくものだということです。単に「伝統」だからという思考の中では「伝統」は成り立ち得ないものだということです。

今日において白を着る意味は何か。これは私たちに課せられた課題です。
んっ? 今まではなぜ黒だったのかって。なぜでしょう。

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防具の救世主―汚れ対策/居合道では?

 前回、剣道の防具について触れましたが、多くの人が防具特有のアノ臭いがたまらないという思いを抱いていると思います。通りがかりの女子高生に「くさ~い」と言われる、酸っぱい経験をした剣道人もいることでしょう(→オレ)。そういえば大学剣道部時代、稽古を終えてその足で、バイト先の某蕎麦屋にむかい、その手でそばを盛っていたという先輩の話を聞いたことがあります。かなり危険です。

 しかし、それだけ臭いことを身に沁みてわかっているわけですから、一方で剣道人は臭いに敏感で、自覚的であるということも確かです(上のような先輩の事例もあるとはいえ)。そして、また少しでも臭いを緩和する努力を行ってきていることも確かです。
 防具は高価ですから、そう簡単に換えることはできません。ですから、何度も修理したりして使うわけです。とくに小手は野球のグローブと同じで、使い古した、手に馴染むものが一番なわけで、私の経験で言うと修理の回数はダントツです。しかし、その小手こそが強烈臭の元凶であるわけで。

 そこで以前、剣道雑誌で紹介されていた方法を試してみたことがあります。それは、小手を水に浸すという方法です。バケツに水を入れ、そこにズブズブと小手を漬ける。そうして一晩おく。そうすると浸透圧の関係で、小手の中に吸収されていた汗などの汚れが水の中に染み出してくるというわけです。一晩たって今まで見たこともない色の液体を見たときのアノ興奮といったら、言葉では表せません。

 なんと現在では、剣道の防具をクリーニングしてくれる業者さんもあります(ココとかココ)。愛着のある防具を少しでも長生きさせてくれる、まさに「防具の救世主」です。

               ◇

 居合道で臭いや汚れの問題はあまり大きな問題とはなりませんが、刀の柄につく手垢の問題や、道着、袴の色落ち、しわの問題(剣道の道着よりデリケートに扱わないといけないと思う)などは、決して看過できるものではありません。これについて、イアイダーのみなさんはどんな対策をしているのでしょうか。教えを乞いたいところです。

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次から次へと

 これって、マーフィの法則ってやつですか。忙しい時に限って、次から次へと用事やお誘いが舞いこんできます。

 すだっちからのバーベキューの誘いも、となりの講座のO澤さんからのいわき行き(M口さん家へおしかけ+行楽)への誘いも、未だ書き上がらない論文のために断念です。残念。

 加えて、剣道部の後輩から、今月下旬の市民大会に出てくれという依頼。もう二年近く、稽古していない(前回竹刀を握ったのは、たしか一昨年の同じ市民大会)うえに、大会の前日には教育史に関する研究会での発表があるため、出場するとなれば、おそらくぶっつけ本番で臨まなくてはなりません。現役時代さながらに動こうものなら、まず間違いなくアキレス腱を切るでしょう。

それ以上に、

 防具、カビ生えてるかも…、取り出すのが怖い…。
 あの殺傷力十分の芳しい臭いに対する免疫力は間違いなく低下している(ファブリーズなんて効果なし、その凶暴性は実験済み)…。

 とりあえず、「補欠」ということで、出なくてもいいようにしてもらったけど、結局人数集まらなくて、「大将でお願いします」とくる確率、大です。

 救世主、出でよ!

〈追記〉
記事作成から7時間後→出た! ていうか,見つけた! 身近なところに! 頼むぜO塚君!!

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戦争のステレオタイプ

 憲法記念日の今日(3日)、しばしの息抜きに三崎亜記『となり町戦争』(集英社、2005年)を読みました。「戦争」という観念について深く考えさせてくれる本でした。過去の実際の戦争ではなく、架空の、それも「となり町同士」の戦争というありえない設定ですが、戦争に関するさまざまな問題要素が凝縮されている感じです。行政文書など細部にも凝っています。戦争を知らない世代が書いた物語。それゆえか、同じく戦争を知らない(少なくともそのリアリティを感じることができない)自分の胸に迫るものがあります。

          ◇

 ある日突然、役所からの依頼を受け、何が何だかわからないまま、覚悟も責任もないまま、「戦争」の「偵察業務」に関わるサラリーマンの北原修路、その北原を職場の同僚として面倒をみることになった役所勤めの香西瑞希は「行政の論理」に基づき、「戦争」についての自身の職務を遂行していく。
 二人のやりとりを通じて描かれる「戦争」像。それは、戦闘シーンのように激しい、残酷なものとしてではなく、「変わらぬ日常」の延長戦上として、穏やかに描かれる。いつ始まり、いつ終わったのかも知らない。自分のために人が死んでいるにもかかわらず、それをリアルに感じ取ることができない。そのように、容易に実体を掴むことのできないものとしての「戦争」。そして、それゆえにその「戦争」を「否定」することの難しさ。

・「僕たちの世代というものは、戦争というものの実体験もないまま、自己の中に戦争に対する明確な主義主張を確立する必然性もないまま、教わるままに戦争=絶対悪として、思考停止に陥りがちだ。戦争というコトバを聞くだけで、僕たちの頭の中に、普遍化されたモノクロの映像が浮かんでくる」(76ページ)
・「もちろん、僕たちは戦争を「否定」することができるし、否定しなければならないものだと感じている。ただしその「否定」は「あってはならないもの」「ありえないもの」としての消極的な否定であり、「してはならないもの」としての積極性を伴った否定にはつながりえないようだ。では、「現にここにある戦争」を、僕たちは否定することができるであろうか?」(77ページ)

 本書は、戦争のステレオタイプ(固定観念)を相対化する必要性を認識させてくれます。「来るべき冬を我々に無意識のままに植え付けていくように、意識させぬうちに人の心に入りこんでくる」戦争。改憲の動きが高まるなか、「戦争」を冷静に捉える眼がますます必要だと実感します。

〈追記〉「戦争のリアル」を感じることができないでいた主人公の北原。その彼がはじめて「戦争のリアル」を感じることができたのは……。モノの見方や感覚を一変させる人生上の大きな問題。本書では小説に欠かせない一つの重大要素が、「戦争」と絡まり合う形で展開されています。そのストーリー展開の見事さにも唸ってしまいました。

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認識と行動の結びつき―道徳教育の難問

 結局、今日も同好会の稽古には行けず。今週はまったく居合とは無縁の生活を送ってしまいました。連休明けまではかなり厳しい状況です。論文書いてます。

          ◇

 前回のつづき。今日はちょっと真面目に。
 「認識と行動の結びつき」、それは学校教育(とくに道徳教育)において幾度となく論じられてきた難問、近代学校の出発当初からの課題でした。その日その日に学校で学んだこと(客観的な認識)と、自分たちの「生き方」(主体のあり方、行動)。その両者をどう関わらせるかという課題。昨今の学校教育において「生きる力」というスローガンが掲げられたりするあたり、課題意識は依然として継承されているように思います。
 道徳教育の領域ではその具体的な解決策として、ボランティアなど奉仕活動をさせたり、「心の教育」などが提唱されたりするわけですが、それらは内面的感情や態度に訴える心理主義的道徳教育に陥りやすいゆえ、批判にさらされているのが現状です。

 自分が道徳教育を考える上で、大きな示唆を受けた本に、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫、1982年。初版は1937年、山本有三編『少国民文庫』の一冊として)があります。あまりにも有名な本です。自分が改めて言うまでもなく、この本が読み継がれるべき「古典」として評価される理由、それは人生いかに生くべきかという倫理(モラル)の問題が、社会(科学的)認識や思考の方法と切り離せないかたちで問われている、そのユニークさにあります(よくありがちな生活態度の改善的「人生読本」の域を超えて、ものを見る眼が問われている)。
 同書の岩波文庫版には、丸山真男「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」(1981年)が掲載されているのですが、この文章で丸山は次のように述べています。道徳教育を考える上では非常に示唆に富む指摘です。

 天降り的に「命題」を教えこんで、さまざまなケースを「例証」としてあげてゆくのではなくて、逆にどこまでも自分のすぐそばにころがっていて日常何げなく見ている平凡な事柄を手がかりとして思索を押しすすめてゆく、という教育法は、いうまでもなくデュウイなどによって早くから強調されて来たやり方で、戦後日本でも学説としては一時もてはやされましたが、果してどこまで家庭や学校での教育に定着したか、となると甚だ疑問です。むしろ日本で「知識」とか「知育」とか呼ばれて来たものは、先進文明国の完成品を輸入して、それを模範として「改良」を加え下におろす、という方式であり、だからこそ「詰めこみ教育」とか「暗記もの」とかいう奇妙な言葉がおなじみになったのでしょう。…(中略)…こういう「知識」―実は個々の情報にすぎないもの―のつめこみと氾濫への反省は、これまたきまって「知育偏重」というステロ化された叫びをよび起こし、その是正が「道徳教育の振興」という名で求められるということも、明治以来、何度リフレインされた陳腐な合唱でしょうか。その際、いったい「偏重」されたのは、本当に知育なのか、あるいは「道徳教育」なるものは、―そのイデオロギー的内容をぬきにしても―あの、私達の年配の者が「修身」の授業で経験したように、それ自体が、個々の「徳目」のつめこみではなかったのか、という問題は一向に反省される気配はありません。
 私は、こういう奇妙な意味での「知育」に対置される「道徳教育」の必要を高唱する人々にも、また、「進歩的」な陣営のなかにまだ往々見受けられる、右と反対の意味での一種の科学主義的オプティミズム―客観的な科学法則や歴史法則を教えこめば、それがすなわち道徳教育にもなるというような直線的な考え方―の人々にも、是非『君たちは……』をあらためて熟読していただきたい、と思います。戦後「修身」が「社会科」に統合されたことの、本当の意味が見事にこの『少国民文庫』の一冊のなかに先取りされているからです。
〈註〉丸山真男「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」吉野源三郎『君たちはどう生きるか』岩波文庫、1982年、325ページ。

道徳教育について考えるとき、この丸山の指摘は今なおもって、まったく色あせていない。そう思います。その丸山が「目から鱗」と絶賛した『君たちはどう生きるか』については言わずもがな! です。

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