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戦争のステレオタイプ

 憲法記念日の今日(3日)、しばしの息抜きに三崎亜記『となり町戦争』(集英社、2005年)を読みました。「戦争」という観念について深く考えさせてくれる本でした。過去の実際の戦争ではなく、架空の、それも「となり町同士」の戦争というありえない設定ですが、戦争に関するさまざまな問題要素が凝縮されている感じです。行政文書など細部にも凝っています。戦争を知らない世代が書いた物語。それゆえか、同じく戦争を知らない(少なくともそのリアリティを感じることができない)自分の胸に迫るものがあります。

          ◇

 ある日突然、役所からの依頼を受け、何が何だかわからないまま、覚悟も責任もないまま、「戦争」の「偵察業務」に関わるサラリーマンの北原修路、その北原を職場の同僚として面倒をみることになった役所勤めの香西瑞希は「行政の論理」に基づき、「戦争」についての自身の職務を遂行していく。
 二人のやりとりを通じて描かれる「戦争」像。それは、戦闘シーンのように激しい、残酷なものとしてではなく、「変わらぬ日常」の延長戦上として、穏やかに描かれる。いつ始まり、いつ終わったのかも知らない。自分のために人が死んでいるにもかかわらず、それをリアルに感じ取ることができない。そのように、容易に実体を掴むことのできないものとしての「戦争」。そして、それゆえにその「戦争」を「否定」することの難しさ。

・「僕たちの世代というものは、戦争というものの実体験もないまま、自己の中に戦争に対する明確な主義主張を確立する必然性もないまま、教わるままに戦争=絶対悪として、思考停止に陥りがちだ。戦争というコトバを聞くだけで、僕たちの頭の中に、普遍化されたモノクロの映像が浮かんでくる」(76ページ)
・「もちろん、僕たちは戦争を「否定」することができるし、否定しなければならないものだと感じている。ただしその「否定」は「あってはならないもの」「ありえないもの」としての消極的な否定であり、「してはならないもの」としての積極性を伴った否定にはつながりえないようだ。では、「現にここにある戦争」を、僕たちは否定することができるであろうか?」(77ページ)

 本書は、戦争のステレオタイプ(固定観念)を相対化する必要性を認識させてくれます。「来るべき冬を我々に無意識のままに植え付けていくように、意識させぬうちに人の心に入りこんでくる」戦争。改憲の動きが高まるなか、「戦争」を冷静に捉える眼がますます必要だと実感します。

〈追記〉「戦争のリアル」を感じることができないでいた主人公の北原。その彼がはじめて「戦争のリアル」を感じることができたのは……。モノの見方や感覚を一変させる人生上の大きな問題。本書では小説に欠かせない一つの重大要素が、「戦争」と絡まり合う形で展開されています。そのストーリー展開の見事さにも唸ってしまいました。

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