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認識と行動の結びつき―道徳教育の難問

 結局、今日も同好会の稽古には行けず。今週はまったく居合とは無縁の生活を送ってしまいました。連休明けまではかなり厳しい状況です。論文書いてます。

          ◇

 前回のつづき。今日はちょっと真面目に。
 「認識と行動の結びつき」、それは学校教育(とくに道徳教育)において幾度となく論じられてきた難問、近代学校の出発当初からの課題でした。その日その日に学校で学んだこと(客観的な認識)と、自分たちの「生き方」(主体のあり方、行動)。その両者をどう関わらせるかという課題。昨今の学校教育において「生きる力」というスローガンが掲げられたりするあたり、課題意識は依然として継承されているように思います。
 道徳教育の領域ではその具体的な解決策として、ボランティアなど奉仕活動をさせたり、「心の教育」などが提唱されたりするわけですが、それらは内面的感情や態度に訴える心理主義的道徳教育に陥りやすいゆえ、批判にさらされているのが現状です。

 自分が道徳教育を考える上で、大きな示唆を受けた本に、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫、1982年。初版は1937年、山本有三編『少国民文庫』の一冊として)があります。あまりにも有名な本です。自分が改めて言うまでもなく、この本が読み継がれるべき「古典」として評価される理由、それは人生いかに生くべきかという倫理(モラル)の問題が、社会(科学的)認識や思考の方法と切り離せないかたちで問われている、そのユニークさにあります(よくありがちな生活態度の改善的「人生読本」の域を超えて、ものを見る眼が問われている)。
 同書の岩波文庫版には、丸山真男「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」(1981年)が掲載されているのですが、この文章で丸山は次のように述べています。道徳教育を考える上では非常に示唆に富む指摘です。

 天降り的に「命題」を教えこんで、さまざまなケースを「例証」としてあげてゆくのではなくて、逆にどこまでも自分のすぐそばにころがっていて日常何げなく見ている平凡な事柄を手がかりとして思索を押しすすめてゆく、という教育法は、いうまでもなくデュウイなどによって早くから強調されて来たやり方で、戦後日本でも学説としては一時もてはやされましたが、果してどこまで家庭や学校での教育に定着したか、となると甚だ疑問です。むしろ日本で「知識」とか「知育」とか呼ばれて来たものは、先進文明国の完成品を輸入して、それを模範として「改良」を加え下におろす、という方式であり、だからこそ「詰めこみ教育」とか「暗記もの」とかいう奇妙な言葉がおなじみになったのでしょう。…(中略)…こういう「知識」―実は個々の情報にすぎないもの―のつめこみと氾濫への反省は、これまたきまって「知育偏重」というステロ化された叫びをよび起こし、その是正が「道徳教育の振興」という名で求められるということも、明治以来、何度リフレインされた陳腐な合唱でしょうか。その際、いったい「偏重」されたのは、本当に知育なのか、あるいは「道徳教育」なるものは、―そのイデオロギー的内容をぬきにしても―あの、私達の年配の者が「修身」の授業で経験したように、それ自体が、個々の「徳目」のつめこみではなかったのか、という問題は一向に反省される気配はありません。
 私は、こういう奇妙な意味での「知育」に対置される「道徳教育」の必要を高唱する人々にも、また、「進歩的」な陣営のなかにまだ往々見受けられる、右と反対の意味での一種の科学主義的オプティミズム―客観的な科学法則や歴史法則を教えこめば、それがすなわち道徳教育にもなるというような直線的な考え方―の人々にも、是非『君たちは……』をあらためて熟読していただきたい、と思います。戦後「修身」が「社会科」に統合されたことの、本当の意味が見事にこの『少国民文庫』の一冊のなかに先取りされているからです。
〈註〉丸山真男「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」吉野源三郎『君たちはどう生きるか』岩波文庫、1982年、325ページ。

道徳教育について考えるとき、この丸山の指摘は今なおもって、まったく色あせていない。そう思います。その丸山が「目から鱗」と絶賛した『君たちはどう生きるか』については言わずもがな! です。

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