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現実的かつ原理的に

 二回目の読書会。読んでいるのは丸山真男『現代政治の思想と行動』(未来社、1964年)で、現在、第一部のファシズム論に関する部分を皆と検討している最中です。
 なぜこれを読むことになったのか自分たちで決めておきながら謎なのですが、対象としては文句なし。読めば読むほど味がでる古典です。「自分の研究と結びつけるならば、この本は(そして著者は)どのようなヒントや問いを自分に与えてくれるか」。読書会の際は、そのことを考えながら読むことを心がけているのですが、そう強く意識しなくても丸山のほうから強烈に問題意識をもって迫ってくる、そんな感覚をもちます。それほど、同書から受ける刺激は強いものです。

 もっとも同書には時代的制約からくる問題点もあるかもしれません。しかし、だからといって同書ひいては丸山の思想を過去の一時代に属するものとしてしか捉えず(「これが限界だった」という批判)、イデオロギー的観点や時代を超越した今日的立場から断罪することほど無意味なことはないでしょう。そのようなかたちで読書会が進むことには警戒する必要がある。
 石田雄さんは、丸山思想の今日的意味について次のように述べています。
 

古くからある未解決の問題に、過去の丸山発言が意味を持つだけではなく、より積極的に、丸山先生の示された思考の方法が、将来にわたり私たちが当面するであろう課題ととりくむ際に持つ意味を考える必要がある。その方法とは、「肉体文学から肉体政治まで」(1949年、『丸山眞男集』第4巻)などに示されたように、極めて具体的な現実から出発して、それを人間とは何か、政治とは何かというような原理的立場から見すえていくという思考方法である。
 すなわちその方法は、一方では原理論の公式的適用による教条主義に陥ることなく、常に流動する現実に対応する弾力性を保ちながら、他方では現実に埋没して現実主義の名による現実追随に陥ることなく、動かない理念にむけた志向性を持ち続けるという、内面的緊張をはらんだ体系的思考の方法である。(中略)
 そしてこのような思考方法は一挙に身につけられるものではなく、最も日常的なものの中で、最も原理的な考え方をする不断の過程の中で、一歩一歩積みあげていくより外に近道はないだろう。そしてこの場合、原理的な考え方をするということは、何か与えられた理論や教条に頼ることではなく、人間性という共通の基盤の上に立った異質的な他者との対話によって、より普遍的なものを求めていく過程によってしかえられないだろう。
〈註〉石田雄「丸山思想の今日的意味」『世界』第627号、1996年10月(「追悼特集 『生き方』としての丸山真男」)、251-252ページ。

「何か与えられた理論や教条に頼ることではなく」という部分が眼にとまります。西洋の理論をひっぱってきて、その権威を借りて戦中の国家主義や戦後の安易な民主主義礼賛を批判するのではなく、他ならない日本の思想(『神皇正統記』、陸羯南など)を足場として日本の可能性を探っていった、丸山の思考方法を念頭に置いた記述だと思えるからです。本の内容はもちろん、このような思考方法=生き方についても読書会の過程で学び、その意味内容を深めていきたいと強く思います。

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