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この雨は院生会の涙なのか

 午前中は科長会見に出席。ところが、出席者が自分を含めて二名という始末。
いくら「月曜、雨の午前中」とはいえ、「二名」はないだろう。150人近くもいて。
院生会の(先生方にとっての)イメージがもろくも崩壊する現場に出くわし、心が痛む。ただでさえ院生の要求が容易に受け入れられない状況であるのに、院生自らその状況の悪化を加速させたといっていい。
 院生委員会のずさんな運営も問題だが、そのような院生委員にすっかり任せっきりにしている私を含めた院生にも問題がある。旧院生委員である私はこれまで静観する立場を取ってきたが、もう少し積極的態度に出ざる(お節介をやかざる)を得なくなりそうだ。

 本研究科の院生会は、大学院生の研究環境の整備、向上を目的とした自治組織である。そして、院生会はこの点について研究科へ要望すること(=「科長会見申入書」の提出-その回答を聞く)を承認されている。この点が、どこかの学生の自治組織とは大きく異なる点である。しかし、この承認は、院生会が院生の総意を代表する組織であることを前提としている。したがって、全院生の総意、そして熱意が眼にみえるかたちで研究科に終始伝わっていることが望まれる。
 今回の科長会見は、その総意への、さらには院生会を公認団体とすることへの研究科側の疑念を増幅するには十分であった。その意味で、今年度院生会の責任は重い。

上記のような意味での院生会という団体があること、それ自体稀少なことであり、貴重である。研究科によっては、単なる行事開催団体としてしか機能していないケースもある(もっとも、研究環境に何の不満もないのだろうけど)。

 我々が日頃何気なく使用している院生室や図書館の書庫への入室などは、(他の研究科も含む)歴代の院生会活動の延長線上にあるのであり、最初からポンと与えられていたのではない。まさにそれは先輩方が「苦難」の末に勝ち取った権利なのである。もっとも新入りの人間にはそれは見えにくい。しかし、物事を歴史的に見る眼は重要である。それは過去に対してよりも、未来に対しての責任である。どうか、現在の自分のことだけを考えるのではなく、今後入ってくる未来の院生たちの環境づくりのためにも、院生会の活動に眼を向けてほしい。

今日は久々の雨となったのに、「恵み」よりも「悲しみ」を象徴しているようだった。

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