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それは「スバラシイ」ところ?

 今日は、オープンキャンパス。キャンパス内はまちがいなく高校生たちでごった返すので、自分は一時、自宅に避難する(後で聞いたところによると、自分の所属講座のところだけでも、約300人が通ったとか)。
 同じ講座のO寺先生によると、オープンキャンパスに来た高校生の約7割は本学を受験しているということだ。本学が全学的な取り組みとしてオープンキャンパスを始めたのはごく最近のことだが、法人化や大学全入時代の到来といった背景とも関わって、学生獲得のための必須事業として今後ますます拡大・充実していくと思われる(理系キャンパスの取り組みは、現時点ですでに「豪華」の一言に尽きる)。さらに、O寺先生から聞くところによると、ある大学では、オープンキャンパスに来た学生に学食をタダで奢るということもしているという。ただし、来る高校生の数は数十人程度とか。その大学側の意図はわからないが、学生獲得競争がアカデミックにではなく、商業主義的なかたちでもって熾烈化していくとしたら、学生の側から見ていてもそのさまは痛々しく映るだろうと思う。

               ◇

 自分の研究室では昨日、バイトの学生たちがいろいろと掲示物を作っていた。
その一つに、この講座の「こんなところがスバラシイ」といったタイトルのものがあり、模造紙に以下の四つが挙げられていた。

・個性あれる教授陣
・遊び心あふれる学生陣
・物があふれる研究室
・知性あふれる研究テーマ

「個性」ってほんと使い勝手のきくコトバだなぁ、なんて思っていたら、三つめのコピーでヤラれた。その意味を理解できる高校生はまずいないだろう。でも、経験的に知ってる人には大受け。ていうか、すでに、研究室外に溢れてますからぁ! これを見たK先生の反応がみたかった(これも聞くところによると、三つめには触れなかった=触れたくなかったみたい)。

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「身体」からの視点

 斎藤孝『「できる人」はどこがちがうのか』(ちくま新書、2001年)を読む。内容は、その道の達人と呼ばれる人々のエピソードをもとに技の習得・修練のプロセスを論じ、普遍的(「領域またぎ越し」)な上達の秘訣を探るというもの。
 何かを学んだり、習得するというとき、どうしても頭(思考・認識)と体(作業・実践)は切り離されて捉えられがちだが、この本を読むと両者の密接な関係性について深く考えさせられる。スポーツとか武道とか学問とかいった領域を越えて、普遍的な学習の論理を教えてくれる。居合道に勤しむ自分の経験と照らし合わせたり、また大学院生として机に向かって物を書く経験と照らし合わせたりして読んでいて、なるほどと目から鱗であった。村上春樹が、走ること(ランニング)や音楽を通してリズムとテンポを体に染み込ませ、それを動力にして自分の仕事の、そして文章のスタイルをつくりあげていったという指摘など、へえと思わせる。
 斎藤さんは、東大大学院教育学研究科に在学していた。『東京大学教育学部紀要』には「教師における自己の確立―芦田恵之助における岡田式呼吸静坐法体験を主題として―」(第31巻、1991年)といった論文も書いている。単に言説のみならず、斎藤さん自身の身体経験に基づく芦田の世界への接近を通して、言葉の背後にある事実の豊かさ(教師の経験の世界)に迫る手法は、教育実践史の観点からも独創的と評価されている(吉村敏之「教育実践史の可能性―教師に学び、教師とかかわることをめざして―」『日本教育史研究』第14号、1995年)。本書もそのような斎藤さん自身の経験に裏打ちされたものといえ、その意味で説得力がある。

 目下、自分にとっての切実な課題は、限られた時間の中、高い集中を発揮して研究作業をこなすことだが、その解決のヒントについても同書は教えてくれる(それは斎藤さんにとっても切実な課題のはず)。本当はそんなことを大いに期待しながら読んだ一冊。

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「時間」―この悩ましき問題

 公立の学校機関は夏休みに突入。そして、大学も夏期休暇期間に入る。だが、自分の研究はこれからが本番。さっそく明日東京(玉川大学)に資料を調べに行く。しかも日帰りで。土曜日は研究会出席と、のっけから忙しい。来週は学内のバイトやオープンキャンパス、そして再来週は駒込先生の連続講義、それに居合の暑気払いもある。その次の週には読書会。もちろん、その間学会の準備も、いつもの事務補佐のバイトもある。体力勝負だ。まだ先生方の忙しさに比べれば序の口だが、それでもキツイものはキツイ。

              ◇

 さて、「夏休みのはじまり」といえば、ラジオ体操を思い出す。夏休みに入って、さっそくぐうたらできると思ったのに、いきなりいつも以上の早起きをさせられる。あの経験は忘れられない。現在もその習慣は続いているようで、アパート近くの公園でその「午前6時の風景」をみることができる。中には、体操そっちのけでおにぎりを食べている小学生(だれがにぎったの?)もいたりする。

 ラジオ体操がはじまるのは、1928(昭和3)年11月。逓信省(総務省の前身)簡易保険局主導の下で展開される。「かんぽ」と関わりがあるというのが面白い(日本で簡易保険が実施されるのは1916年・大正5から)。簡保の実施は、一般庶民、とくに都市に台頭しはじめた労働者階級の人々にとっては、生命保険への加入を容易ならしめるという意味で画期的であった。そして簡易保険事業は単にその加入者を増やすばかりでなく、被保険者の健康の保持増進をもその使命としなければならなかった(被保険者がバッタバッタ倒れてもらったらたまらない)。そこで、単なる宣伝イベントの意味を越える本質的な事業として「ラジオ体操」が登場する(アメリカの生命保険会社のラジオ体操事業をヒントに)。
 ラジオ体操は全国の郵便局という巨大なネットワークを通じて、ラジオの普及以上に普及していくことになる(日本のラジオ放送開始は1925年・大正14から)。それは、西洋的身体への憧れなどをともなって、やがて集団規律の内面化などの面で国家的にも利用されていく。朝早起きしてのラジオ体操など、まさに「早起き」規範の集団統制といえる。しかし、この近代的「時間」に関わる規範への同調こそが日本の近代化の基礎を支えたことも確かである。
 『ラジオ体操の誕生』を書いた黒田勇さんは、時間の(近代的)再編成過程で、ラジオ放送によって人々ははじめて日本中の時間が単一に、そして普遍性をもって時を刻んでいることをリアルに認識できるようになったことを指摘する。ラジオ体操はいわば、身体の近代的「時間」への同調と生活時間の能率向上をうながす装置でもあった。

 「時間が欲しい」という悩み。しかし、一方で資本としてのからだがヘロヘロという今の自分には、ラジオ体操が必要なのかも(無理!)。

〈参考〉
黒田勇『ラジオ体操の誕生』青弓社、1999年。
ラジオ体操の歴史:
http://www.kampo.japanpost.jp/kenkou/radio/history.html

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「まっすぐな風」で行こう

まず無事に家に着くことができましたので、ご報告します。ありがとうございました。

 今日は朝から宮城県居合道大会。いろんな意味でアツかった。自分も、試合の補助員を兼ねつつ(忙しかった~)、二段の部に出場。山形大会の反省を生かし、そしてすだっちが選手宣誓で唱えたように「平常心」を心がけて演武に臨む。もちろん、日頃から平常心で臨むように心がけてはいるが、改めて「平常心」と言葉にして、一つ一つの動作を心がけることで、今回は大きなミスは避けられたと思う。そして、結果から言えば、最高の評価を得ることができた。先生が喜んでくれたのが何よりもうれしい。

 今回はビデオで録られていたため、自分の居合を外から視覚的に確認することもできた。正直恥ずかしい部分もあったが、勉強になった。自分が所有しているイメージのズレと重なって、「まだまだだ」と思う部分が一気に見えてくる。
腰の位置が高いこと斜め納刀顎が上がる、そして荒々しさが足りないこと
いずれも今まで先生から指摘されたことばかりである。それが視覚的な説得力を持って迫ってくる。さらに、それが「あそこの感覚はもう少し○○か」といったような、既有の身体的感覚と結びついて、さっそく稽古で修正、実践してみたくなり、ウズウズする。文明の利器の力はすごい。

さて、試合シーズンはこれで一区切りついた。だが、秋には昇段審査が待ちうけている。
「まっすぐな風」(会長挨拶)のように、今後も謙虚に稽古に精進して、自分自身を鍛えていかねば。

※大会の詳しい結果は宮城県剣道連盟居合道部会で公開中。

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誰もいない院生室より

 今日(16日)は午後から院生発表会。昨日、M2のマチコさんがマイッチングしてしまったときは、「また年中行事(=某研究室の定例行事)のはじまりか」と思ったが、とりあえず今日出席されたことで、最悪の事態は免れた(とおもぅよ)。とはいえ、発表レジュメをみる限り、マチコさんの混迷ぶりがよほど深刻であることを容易に察することができたので、かなり心配。よその研究室とはいえ、他人事ではない。発表の場でもできる限りアドバイスしたつもりだが、今後も出来る限り、支援していきたい(研究以外の「戦略」の面でも)。

 夜は、来仙したミティ女史をイタバシさんと囲んで飲み会。「詰められる」といった業界用語を聞いたりして、SS(これも業界用語か)のたいへんさを知る(忘れないうちに記録!)。

 会終了後、大学へ戻ってきた午前0時すぎ、なんとまだカジヤマ先生の部屋の明かりがついているではないか。さすがとしか言いようがない。単身赴任だからこそできることなのかもしれないが、それにしても、教授陣の中で最高齢のグループに入る先生の研究への執着心をみたら、自分も負けずにはいられない(某先生も見習ってほしい)。ということで、これから少し勉強していきます、はい。

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「授業をつくる」とは

 そんなようなタイトルの授業=講義(正式名は伏せる)が、所属講座の先生の下で行われている。対象は学部一年生、いわゆる全学教育の一科目である。事務補佐員の作業と時間帯が重なっているので、私はこの授業を盗み聞きすることができる。
 「自分がもし教師だったらこんなことを生徒に学ばせたい」という問題意識の下、受講者各自が素材を持ち寄り、それについて担当教員を含むみんなで検討する。講義の概要はそのようにまとめることができる。
 だが、この講義で学生たちは何を学んだのだろうか。少なくとも、私が遠くから眺めている限りでは、授業づくりを支える〈理論〉を学生が学んだと評価することはできない。単に井戸端会議でもしているようにしかみえなかった。学生が持ち寄った素材に対し教員が「なぜそれを学ばせるのか」と問いを発して、ああだこうだとクレームを付ける。学生は自分はこう思うからと反論する。それに対し、教員が自身のイデオロギーの吐露としかいいようのない持論を展開し、逆に反論する。そんなことが繰り返される……。
 自分からすれば、なぜ「すぐれた」授業理論がすでにいくつもあるのに、それを先に学生に提示しないのか疑問でならない(昨年の学生はこんな授業を創ったという例を出せというのではない。そうではなく、それを「すぐれた」授業と理解できる眼=理論を提示せよということ)。先にそれを提示せずに、教室から離れた抽象的な空間でいきなり授業を創れといっても作れるわけがないだろう。

 私は、先に「素材」という言葉を使った。講義ではこの「素材」をめぐって、それが「教育内容」に値するのかどうかを議論していた。「教育内容」とは授業のあり方とは無関係に(その意味で抽象的に)考えられた体系的な教授内容を意味する。一方、授業のあり方と関係する形で考えられたものは「教材」となる。つまり、「教材」とは、「どのような質の学習者に対し、どんな方法で授業するかという構想にともなって具体的に考えられた内容」を指す。ある「教育内容」が達成されるかどうかは、ひとえにこの「教材」の良し悪しにかかってくる。しかし、講義ではこの「教材」への視点にまで話が及んでいたとは到底思えない。そのような認識にまで到達していたのなら、「そのこと(=教育内容)を教えるために、どうしてその知識をその順序で教えていくのか」、「はじめにどんな情報を出しておき、どの情報は隠しておくか」といった教授・学習過程への議論が起こるはずである。しかし、少なくとも自分が教室にいたときに、そのような「どう教えるか」という次元での発言はほとんど出なかった。「何を学ばせるか」から学生は考えなければいけないのだから、無理もないかもしれない。

 どのような認識・思考のすじみちをたどるかたちで教えると、もっとも「教育内容」、あるいは授業の目的に達することができるか。そのことへの視点を含んではじめて「授業をつくる」ということになるはずである。先生はこの「教材」への視点と方略をもって、自身の講義の進行を考えたのだろうか。その点が最も疑問である(少なくとも自分には、講義の「あの進め方」は、相当無理のあるものだと思った)。

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教育実践を研究する難しさ

 この週末の集中力と緊張感の欠如といったら、あまりに甚だしいものがあった。学会発表を前にして、はやくも現実逃避、敵前逃亡の構えに入ってしまった。どうも、からだ以上にこころのほうが夏バテしている気がする。

 10月の発表における自分の研究領域は、教育実践史の範疇に入ると思う。そのときそのときの時代の流れのなか、教師たちは現場においてどのような問題を受け止め、そこからどのように課題を構成し、解決へと実践を具体化していったのか。それを同時代の広い文脈(政策・制度、社会的状況との関わり)のなかで捉えていく。それが当該研究領域の課題であり、醍醐味だろう。
 だが、例えば、見田宗介さんが書いた以下のような文章を読むと、およそ教育実践を対象とする研究というものがいかに困難かと知り、暗澹たる気持ちになってしまう。

 「子どもってほんとにすばらしい」「先生ありがとう!」といった、ことばだけをとりだしてみると「気恥ずかしくなる」ようなことばも、このような〔固有の実践の―引用者注〕記録の中では生きている。これらのことばは、それが思わず生み落とされるその固有の場所の中では、それぞれに一回かぎりの、真実のことばなのである(そうではいことももちろんあるが、そうであることも一生に一度はあるのだ)。同時にこのような鮮度の高いことば、言葉がその中で生きている〈関係の海〉の中から言葉として釣り上げられるとき、たとえば「子どもはすばらしかったのです」という観念の一般性として抽出され、流通するとき、それは「教育くさい」言説として、あのわたしたちをへきえきさせる特有のにおいを発散しはじめる。(中略)
 教育にかぎったことではないが、教育の現場でことばが輝いたり踊ったりするというとき、その輝きや躍動は、その時その場に立ち会った子どもたち、大人たちの中でだけ新鮮に生きつづけられる。それが他人に伝えられ、後世に残されようとするとき、苛酷な変質を開始するのだ。大事なことばだからしまっておいた方がいいのだよ、とでもいうように。
〈註〉見田宗介「言葉の鮮度について―教育のことばの困難」『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫、1995年、158-159ページ。

 教育の実践家が固有の状況のなかで生み落としたことば(実践の記録)も、その固有の文脈を離れることで、単なる美辞麗句へと転換してしまう可能性が高い(「生き生きとした活動」とか「子どもたちの輝いた眼」とか「確かな学力」など)。過去の教育実践家たちの言説にも、極めて抽象的・思弁的な言辞が多く見受けられる。しかし、その中にはまぎれもない真実が含まれているとすると、そのことば・言説を理解する側は、それらが生み落とされた固有の状況(ことばの指示対象)にも考えを及ばさなければならない。しかし、教育実践史の領域では、今は亡き先人にこれを直接確認することはできない(イタコさんにお願いして実践家の霊を呼び寄せてもらって聞き出した言葉って史料になるのだろうかと、以前仲間内で爆笑話をしたことがあったが)。当時の子どもをとりまく実態など多くの状況証拠を探りあてる過程を通して、固有の状況と、そこから生み出されたことばの意味内容を深めていくしかない。そう考えるとき、これから自分がやろうとしていることの途方もない道のりに愕然とし、一気に脱力してしまう。この先もこころの夏バテに苦しめられそう……。

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ブログという短冊に願いをこめて

 どうか、博士論文が書けますように。その前に、どうかいい学会発表ができますように……

 教育史学会で発表することに「なってしまった」。かじやま先生に押し切られてしまった(開催校の勢いがほしいらしく)。今回の件に限らず、後悔することが多いのに、なぜか先生からの「お願い」は断ることができない。なぜだろう、不思議だ。もちろん、引き受けた以上は全力を尽くすしかない。

 教育史学の世界では史料の重要性は絶対的である。研究者はいわばホームズやコナンのような名探偵の役回りで、犯人の残した証拠物件=史料をもとに、「じっちゃんの名にかけて」(でなくともいいが)事件の謎を解決していく。事件解決の鍵は、史料の中にある、というかそこにしかない。「史料をして語らしめる」ことで、事件を解決しなければならない。それ以外から(例えば、自分の足りない頭で考えた貧困な発想や借り物の理論的仮説から)事件解決の鍵=歴史解釈の論理を持ってくることは、むしろ批難の対象である。
 自分のあらかじめ持つ仮説の証拠になるような事実だけ集めるのではなく、ほんとうにこんなものが事件解決に役立つのかと思われるようなものも見過ごさず敏感に反応し、それら集めた資料体からその断片をつなぎ合わせていくことで、自分の中の仮説や常識、通説を捉え直していく(だから、「いい発表」というのは、自分でも思いもしなかったような結論に至ることだろう。「そうか、オレは大事なことを見過ごしていた」なんてセリフがでるような)。それは、ときに「財力」がものを言うほど、地道な作業である。それを10月までに自ら体現しなければならない…トホホ。だが、もうやるしかない。

 仙台は、最近になってようやく太陽が顔を覗かせない梅雨らしい天候が続いている。今日も日中はパッとしない天気だった。夜はいたばしさんと生協のビール祭りを楽しむ(気楽に飲んでる場合かとツッコまないで)。ちょうど生協も閉まるころになって星がみえるようになってきた。どうかこの願いが天に届きますように……。

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そして「深酒」へ

 昨日は山形県村山市での全国各流居合道大会に参加。
すだっちが四段の部で優勝する快挙!(おめでっトゥ!) その他、高段者の先生方の、そして日頃みることのできない他流派の演武をみて、多くを学ぶ。大会の意義はやはり何といってもココだろう。また今回は、とくに一つ一つの動作の「間」をみるよう意識した。あの流れる動作の中にみる躍動感(静と動のメリハリ)には、本当に溜息がもれてしまう。それを少しでも盗みたかった。

さて、一方の自分の試合はどうだったかというと、これこそ「不覚」といえる痛恨の「凡ミス」であえなく敗退。
前回の記事(「『不覚』の自覚」)において、今大会では昨年とは異なる「不覚」に遭遇するであろうと書いたが、このミスはさすがに想定できなかった。
 自分の持てる力を発揮した上で負けるのであれば問題はないのだが、「明らかにやっちまった」系のミスで負けるとさすがにヘコむ。居合の試合は(対戦相手はいるが)「独演」のかたちをとるので、勝敗の結果とその要因はすべて自分の技倆にかかってくる。それ以外に言い訳を見出すことはできない。どこまでいっても自分の問題として厳しく迫られる。そして、最後は「もっと修業せねば」という悲しき決まり文句へとつながっていく(もっとも今回の経験は「強烈」だったので、単なる心構えとしてだけでなく、「具体的に」反省することができた)。

 夜の打ち上げ(祝勝会/反省会)は、日曜だからさくっと終わろうという予定のはずが、予想以上に盛り上がってしまった。みんな今日大丈夫だっただろうか。自分はかなり「深酒」していたことを翌日になってようやく「自覚」する(ちなみに打ち上げの際のポリシーは、「反省すべき部分は反省して、悔しい気持ちは飲んで忘れる」と決めている)。年をとったのか、どうも翌日に酒が残る。そのため、今日のゼミでの発表はグダグダ。もちろん、それは自分の責任であり、誰かに転嫁することなどできない。

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