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ブログという短冊に願いをこめて

 どうか、博士論文が書けますように。その前に、どうかいい学会発表ができますように……

 教育史学会で発表することに「なってしまった」。かじやま先生に押し切られてしまった(開催校の勢いがほしいらしく)。今回の件に限らず、後悔することが多いのに、なぜか先生からの「お願い」は断ることができない。なぜだろう、不思議だ。もちろん、引き受けた以上は全力を尽くすしかない。

 教育史学の世界では史料の重要性は絶対的である。研究者はいわばホームズやコナンのような名探偵の役回りで、犯人の残した証拠物件=史料をもとに、「じっちゃんの名にかけて」(でなくともいいが)事件の謎を解決していく。事件解決の鍵は、史料の中にある、というかそこにしかない。「史料をして語らしめる」ことで、事件を解決しなければならない。それ以外から(例えば、自分の足りない頭で考えた貧困な発想や借り物の理論的仮説から)事件解決の鍵=歴史解釈の論理を持ってくることは、むしろ批難の対象である。
 自分のあらかじめ持つ仮説の証拠になるような事実だけ集めるのではなく、ほんとうにこんなものが事件解決に役立つのかと思われるようなものも見過ごさず敏感に反応し、それら集めた資料体からその断片をつなぎ合わせていくことで、自分の中の仮説や常識、通説を捉え直していく(だから、「いい発表」というのは、自分でも思いもしなかったような結論に至ることだろう。「そうか、オレは大事なことを見過ごしていた」なんてセリフがでるような)。それは、ときに「財力」がものを言うほど、地道な作業である。それを10月までに自ら体現しなければならない…トホホ。だが、もうやるしかない。

 仙台は、最近になってようやく太陽が顔を覗かせない梅雨らしい天候が続いている。今日も日中はパッとしない天気だった。夜はいたばしさんと生協のビール祭りを楽しむ(気楽に飲んでる場合かとツッコまないで)。ちょうど生協も閉まるころになって星がみえるようになってきた。どうかこの願いが天に届きますように……。

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