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「時間」―この悩ましき問題

 公立の学校機関は夏休みに突入。そして、大学も夏期休暇期間に入る。だが、自分の研究はこれからが本番。さっそく明日東京(玉川大学)に資料を調べに行く。しかも日帰りで。土曜日は研究会出席と、のっけから忙しい。来週は学内のバイトやオープンキャンパス、そして再来週は駒込先生の連続講義、それに居合の暑気払いもある。その次の週には読書会。もちろん、その間学会の準備も、いつもの事務補佐のバイトもある。体力勝負だ。まだ先生方の忙しさに比べれば序の口だが、それでもキツイものはキツイ。

              ◇

 さて、「夏休みのはじまり」といえば、ラジオ体操を思い出す。夏休みに入って、さっそくぐうたらできると思ったのに、いきなりいつも以上の早起きをさせられる。あの経験は忘れられない。現在もその習慣は続いているようで、アパート近くの公園でその「午前6時の風景」をみることができる。中には、体操そっちのけでおにぎりを食べている小学生(だれがにぎったの?)もいたりする。

 ラジオ体操がはじまるのは、1928(昭和3)年11月。逓信省(総務省の前身)簡易保険局主導の下で展開される。「かんぽ」と関わりがあるというのが面白い(日本で簡易保険が実施されるのは1916年・大正5から)。簡保の実施は、一般庶民、とくに都市に台頭しはじめた労働者階級の人々にとっては、生命保険への加入を容易ならしめるという意味で画期的であった。そして簡易保険事業は単にその加入者を増やすばかりでなく、被保険者の健康の保持増進をもその使命としなければならなかった(被保険者がバッタバッタ倒れてもらったらたまらない)。そこで、単なる宣伝イベントの意味を越える本質的な事業として「ラジオ体操」が登場する(アメリカの生命保険会社のラジオ体操事業をヒントに)。
 ラジオ体操は全国の郵便局という巨大なネットワークを通じて、ラジオの普及以上に普及していくことになる(日本のラジオ放送開始は1925年・大正14から)。それは、西洋的身体への憧れなどをともなって、やがて集団規律の内面化などの面で国家的にも利用されていく。朝早起きしてのラジオ体操など、まさに「早起き」規範の集団統制といえる。しかし、この近代的「時間」に関わる規範への同調こそが日本の近代化の基礎を支えたことも確かである。
 『ラジオ体操の誕生』を書いた黒田勇さんは、時間の(近代的)再編成過程で、ラジオ放送によって人々ははじめて日本中の時間が単一に、そして普遍性をもって時を刻んでいることをリアルに認識できるようになったことを指摘する。ラジオ体操はいわば、身体の近代的「時間」への同調と生活時間の能率向上をうながす装置でもあった。

 「時間が欲しい」という悩み。しかし、一方で資本としてのからだがヘロヘロという今の自分には、ラジオ体操が必要なのかも(無理!)。

〈参考〉
黒田勇『ラジオ体操の誕生』青弓社、1999年。
ラジオ体操の歴史:
http://www.kampo.japanpost.jp/kenkou/radio/history.html

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コメント

ウワァ!コメントを誘う文章ですね!うずうず。ってもう書いてますが(笑)
みんな「はじめて」が好きですね。「身体の近代的時間」とか。
なんか笑えてきちゃいますが、真剣です、わかります。
わたしは学校と「時間割」が集団規律の内面化に果たした役割にも注目していたわけですが、
ラジオ体操にも、やはり大きな声では言えないような国家的で大きな力は確かに働いていたのだと思っています。
でも、ラジオ体操から「普遍性をもって時を刻んでいることをリアルに認識できるようになった」かどうかは疑わしいと思ってしまいますが…
あ、そんなこと言ったら自分の4年間が覆ってしまうのでしょうか?笑。

投稿: ミティ | 2005/07/24 17:11

 我々の時間認識がいかにして植え付けられてきたのか、ということは、すごく気になるところですよね。遅刻しないように慌てる姿とか(笑) その認識が何ら普遍的なものではなく、近代に入ってから作られてきたものであるという指摘は、すでにいくつかの研究でなされています。
 黒田さんの本は今手元にないので確認できませんが、
ラジオが〈正確に〉そして〈全国均一に〉時間を知らせる、そこで人々ははじめて〈リアルに〉時間というものを認識したということであれば、直感的に理解できるところではあります。ラジオ体操もまた、そのような時間認識とそれと結びついた社会規範などを身体を通して感得させる点で機能したとはいえるのではないかと思います(ラジオ体操によってはじめて「時間」を認識できたというのではなく)。では、そのような時間認識のはじまりはどこに求めればよいのかというと、もうちょっと勉強しなければわかりません。

投稿: タカキ | 2005/07/24 20:48

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