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教育実践を研究する難しさ

 この週末の集中力と緊張感の欠如といったら、あまりに甚だしいものがあった。学会発表を前にして、はやくも現実逃避、敵前逃亡の構えに入ってしまった。どうも、からだ以上にこころのほうが夏バテしている気がする。

 10月の発表における自分の研究領域は、教育実践史の範疇に入ると思う。そのときそのときの時代の流れのなか、教師たちは現場においてどのような問題を受け止め、そこからどのように課題を構成し、解決へと実践を具体化していったのか。それを同時代の広い文脈(政策・制度、社会的状況との関わり)のなかで捉えていく。それが当該研究領域の課題であり、醍醐味だろう。
 だが、例えば、見田宗介さんが書いた以下のような文章を読むと、およそ教育実践を対象とする研究というものがいかに困難かと知り、暗澹たる気持ちになってしまう。

 「子どもってほんとにすばらしい」「先生ありがとう!」といった、ことばだけをとりだしてみると「気恥ずかしくなる」ようなことばも、このような〔固有の実践の―引用者注〕記録の中では生きている。これらのことばは、それが思わず生み落とされるその固有の場所の中では、それぞれに一回かぎりの、真実のことばなのである(そうではいことももちろんあるが、そうであることも一生に一度はあるのだ)。同時にこのような鮮度の高いことば、言葉がその中で生きている〈関係の海〉の中から言葉として釣り上げられるとき、たとえば「子どもはすばらしかったのです」という観念の一般性として抽出され、流通するとき、それは「教育くさい」言説として、あのわたしたちをへきえきさせる特有のにおいを発散しはじめる。(中略)
 教育にかぎったことではないが、教育の現場でことばが輝いたり踊ったりするというとき、その輝きや躍動は、その時その場に立ち会った子どもたち、大人たちの中でだけ新鮮に生きつづけられる。それが他人に伝えられ、後世に残されようとするとき、苛酷な変質を開始するのだ。大事なことばだからしまっておいた方がいいのだよ、とでもいうように。
〈註〉見田宗介「言葉の鮮度について―教育のことばの困難」『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫、1995年、158-159ページ。

 教育の実践家が固有の状況のなかで生み落としたことば(実践の記録)も、その固有の文脈を離れることで、単なる美辞麗句へと転換してしまう可能性が高い(「生き生きとした活動」とか「子どもたちの輝いた眼」とか「確かな学力」など)。過去の教育実践家たちの言説にも、極めて抽象的・思弁的な言辞が多く見受けられる。しかし、その中にはまぎれもない真実が含まれているとすると、そのことば・言説を理解する側は、それらが生み落とされた固有の状況(ことばの指示対象)にも考えを及ばさなければならない。しかし、教育実践史の領域では、今は亡き先人にこれを直接確認することはできない(イタコさんにお願いして実践家の霊を呼び寄せてもらって聞き出した言葉って史料になるのだろうかと、以前仲間内で爆笑話をしたことがあったが)。当時の子どもをとりまく実態など多くの状況証拠を探りあてる過程を通して、固有の状況と、そこから生み出されたことばの意味内容を深めていくしかない。そう考えるとき、これから自分がやろうとしていることの途方もない道のりに愕然とし、一気に脱力してしまう。この先もこころの夏バテに苦しめられそう……。

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コメント

こんにちは。はじめまして。
私も、教育実践史に位置する研究をしています(していました)。
教育実践の場にいた人々の言葉を大切にしながらも、研究者として何をなすべきか、とても難しいです。でも、実践家の言葉にふれることは、嬉しいことでもあります。
実践者の言葉を解釈し、紡ぎ直していく方法は、まだまだ開拓されなければならない部分で、そこに挑戦できるって、幸せだなぁと思ってみたりします。
学会発表、有意義な時間になるといいですね★

投稿: ゆう | 2005/09/12 16:10

ゆうさん、励ましのコメント、ありがとうございます。

「教育実践の場にいた人々の言葉を大切にしながらも、研究者として何をなすべきか」というお言葉。それを〈実践の理論的意味づけ〉として捉えるならば、過去だけでなく、今の教育に対しても同様に、研究者が心がけなければならないスタンスだと思っています。自分の実践は理論的にどのような意味を持っているのかを知りたいという欲求から、大学院に来られる(入学される)現職の先生も多いです。

「実践者の言葉を解釈し、紡ぎ直していく」ことは確かに難しく、時代的文脈や地域性の把握など地道な作業を必須とするものだと思います。
しかし、その地道な作業を怠ることなく、自分なりに材料を捜しだし作り出す作業も(できれば)こなしながら、学会発表につなげたいと思います。

投稿: タカキ | 2005/09/12 22:41

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