« 2005年7月 | トップページ | 2005年9月 »

挑戦的研究発表―思考実験―

 I田先生から、ジェイン・ローランド・マーチン(Jane Roland Martin)の本(訳書)に関して、「人物注」部分の確認・修正作業を頼まれた。翻訳本はおそらく東大の出版会から刊行されるはずである。まもなく(午前2~4時の間には)イタバシさんと東京へ出発する(帰省に便乗して、相乗りさせてもらう)ため、それまでに一通り作業を終わらせなければならず、ついさっきまで必死に作業していた。教育史学会の発表要旨提出も迫っており、スケジュール的にはかなりキツイ。これから忙しくなるという時に限って、いろいろと用事が舞い込んでくるから、ほんと笑うしかない。
 
               ◇

 マーチンは、“Fifty Modern Thinkers on Education”(現代の教育思想家50人)の一人にも選ばれるほど高名な教育哲学者である(※)。昨年11月、COE主催の国際シンポジウムにパネリストとして来仙した。一週間ほど仙台でシンポジウムへの参加ほか、教育学部でレクチャー二つをこなし、東京でもいくつかの大学に招かれて講演を行った。
 自分はマーチンの講演を三つも聴くことができたのだが、その内容をきちんと理解できたかと尋ねられると、「はい」と即答できる自信はない。もちろん、それは自分自身の理解力・英語力のなさゆえなのだが。
 しかし、彼女の一言一言は極めて強いメッセージ性を持っていた。そのため、(よくないことだが)どこか理解した気持ちになり、ある種の満足感を得ることができた。「書き手・話し手の責任 writer/speaker-responsibility」の風土に生きる研究者の姿勢を見せつけられたという感じだ。
 理解した気持ちになったというのは、とくに彼女の講演内容に対して明快に「疑問」をもつことができたからである。それは「この人は何が言いたいのかよくわからない」というのとは無縁のものである。彼女の講演を聴いていくうちに、そのような「疑問」が浮かび上がり、それを受けて自分の内的思考が誘発されていくのを感じた。
 「疑問」をもったのは、「家庭の道徳的等価物としての学校」―“School As a Moral Equivalent of Home”や、合理的・意図的教育の認識ではとらえられない「教育的変身」―“Educational Metamolphoses”といった教育のあり方についてであった。
 それらの見慣れない、新しい言葉を提示するという作業は、何か事実の証明というよりはむしろ、一種の「思考実験」であるといえる。各言葉はそこでは、我々の教育認識の根本的転換を図るための概念装置として働くことになる。

 彼女は哲学者。その役割は〈複雑な教育の現実を整序し、説明する(視点を提示する)ことである〉とするなら、彼女の講演は我々の現実をみる眼を変え、さらなる思考へと誘うきっかけを創ってくれたといえる。彼女は自分たちが漠然と抱いている疑問に、「さしあたって」(≠「あらかじめ一義的に確定したものとして」)しっくりくる言葉・概念―問題の現状をうまく説明してくれる視点―を提供し、我々を挑発してくれたのだと思う。

 論争を引き起こすであろう、新たな概念・言葉を試みとして投げかけるという挑戦的な研究発表。学会発表でそれをやるには相当の力量がいる(自分は恐くてできない)が、そんな研究発表の仕方もあることを、そして、それがはまるととても場が盛り上がるということを、マーチンの講演を振り返って思い出した。忘れないように書きつけておこう。

(※)
①J.R.マーチン略歴
1929年ニューヨーク生まれ。ハーバード大学においてイズラエル・シェフラーに師事し、同大学において博士号(Ph.D)を取得。現在、マサチューセッツ大学ボストン校名誉教授(教育哲学)。John Dewey SocietyやAERAの招待講演者、アメリカ教育哲学会会長などを務めた。専門は教育哲学およびフェミニズム哲学。著書に『女性にとって教育とはなんであったか―教育思想家たちの会話―』(村井実監訳、坂本辰朗・坂上道子共訳、東洋館出版、1987年)、The Schoolhome:Rethinking Schools for Changeing Families(Harvard University Press, 1992)など多数。
②“Fifty Modern Thinkers on Education”
 同名の著書。 Palmar, A., ed., Fifty Modern Thinkers on Education : From Piaget to Present, Routledge, 2001.

〈参考〉
・東北大学21世紀COEプログラム「男女共同参画社会の法と政策―ジェンダー法・政策研究センター」『研究年報 特集号2-Ⅱ』、平成16(2004)年度。

上述したように、東京出張のため、しばらくブログ更新をお休みします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

8・16―揺れる―

 8月16日午前11時46分、宮城県沖を震源とする強い地震(マグニチュード7.2、震度6弱)がおこった。そのとき、仙台(震度4~震度5弱)の自分は……

ぐっすり寝ていた(なにせ朝8時に眠りについたばかりだったから)。もちろん、寝ぼける意識の中でも、自分にはその強さが十分感じられた(ただし、震度3以下だったら気づかなかったかも)。
 
 なのに、何ら行動を起こせなかった自分――こんなパンツ一丁で横になったままでいいのか、かといってこのまま外へ出ていったら恥ずかしい――、結局地震がおさまるまで待つしかなかった(おさまってよかった)。
 今回とほぼ同規模の地震は、一昨年(2003年の5月)も経験している。そのときは、夕食時、まさに生協で「いただきます」と手を合わせた瞬間にやってきた。テーブルの下に隠れ、「やれやれおさまった」とテーブル上をみたら、みそ汁が無残に飛び散っていた。
 地震はいつも気まぐれ。こちらの都合は考慮してくれない。

 今回の地震、アパートのほうはたいした問題にはならなかったが、大学のほうでは、所属講座の院生室で一部、本が崩れるなどの被害が出た。8階の演習室ではあやうくテレビが台から落ちそうになっていた。コピー機はカバーが開いて、内部がむき出しになっていた。おとなり人間発達講座の院生室では、プリンタが棚から落下するという被害に遭った。人間形成論講座では、S水さんの部屋で本が崩れて大変だったらしく、I田先生は、腰を抜かし(そうになっ)たらしい。

 残念なことに、今回の地震は想定されている「宮城県沖地震」ではないとのことである(政府地震調査委員会まとめ)。
「地震の巣」である宮城県沖。「不覚」とは反対の心構えを身体化しなければと、改めて思う。ほんとうに強い人間(剣士)は、恐れを知る臆病な人間だというから。
 とりあえず、防災マニュアルを読みながら、今回行動できなかった点を反省しておこう。朝日新聞社から配布された『地震・防災ガイド2005』では、家の中にいるという想定のとき、地震の際には次の行動をとるように記している。
 
 ・グラッときたら火のしまつ
 ・机の下にもぐり、頭をまもる
 ・ドアや窓を開ける(開かなくなるから)
 われたガラスに気をつける(ガラス窓が倒れてくる可能性も考えていたほうがいい)
 ・いったん出たらもどらない
 ・避難は歩いて(そもそも動いてすらいないし)
 ・家族や知り合いに連絡する
 ・噂にまどわされない
(太字箇所は今回対応出来なかった。以後注意)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

戦後教育の出発点

 永井健児『教師は敗戦をどうむかえたのか』(教育史料出版会、1999年)を読む。17歳で群馬県高崎市下の国民学校助教(旧制中学卒、代用教員)となった著者の記録である。敗戦直前の昭和20(1945)年4月から、退職する1947(昭和22)年4月までの著者の教師体験、敗戦当時の教育現場の状況がリアルに語られている。まさに「第一級の記録」である。
 終戦60周年の今年、改めて戦後教育の出発時の現状に思いを馳せてみる。

               ◇

 日記を通して見えてくるさまざまな現場の問題は、専門書などを読んでいてもなかなかイメージできない部分である。空襲警報のたびに下校させ、警報が解除されてはまた登校、授業を再開する、その繰り返しの実態などは「学校崩壊」を思わせる(「ただし学力は崩壊していなかった」とは、ある年配の方の意見)。また、「弁当盗難」の続発など、安易なヒューマニズムではどうにも解決できない命に関わる食問題についてもリアルに記されている。そのような問題に直面した教師の無力感などは、さすがに想像できない。

 終戦してまもなくの秋(と思われるが年は明記されていない)、著者は「ある無力感」と題して、次のように綴っている。

 近ごろ子どもがわからなくなった。
 終戦を転機に、以前の五カ月近い戦時教育に責任の如きものを感じ、子どもたちへの弁明に迷い苦しみ、自らも模索していた。
   (中略)
 だがどうだろう、最近の子どもたち。注意しても進駐軍にむらがり、『自由詩』や、『雨の一日』『運動会』などの作文を読んでも、また、毎日の教室の生活でも、二カ月前の、あの悲しみや怒りは何も感じられない。戦時中との意識のつながりも見いだせない。たった二カ月間にである。
 喜ぶべきなのか。悲しむべきなのか。
 いったい、子どもは何を考えているのだろうか。その心に何を感じているのだろうか。
 終戦以前の教育で、私は、白紙の子どもに対して加害者だったのではあるまいか、傷つけたのではあるまいか、と自責したが、ある意味で、結果的におれが子どもにほんろうされ、傷つけられているのかもしれない―とさえ思えてくる。
   (中略)
 教育とは、人間の前に力があるのか、ないのか。
 最近、大きな無力感と挫折を感じている。子どもたちの袋だたきにでもあったかのようである。「教育とはなんだろう」「教育とは、知識の伝授以外に無力なものなのか」
 近ごろ、ばかにみじめに思えてくる自分。(146-147ページ)

ここには、戦前の教育に対する、実践的なリアリティに基づく疑問が芽生えていることを確認できる。
 のちに、他の教員たちの議論を経て、著者は「押しつけ教育はだめ」という結論に至っている。

「日本は神の国」「天皇は現人神」「戦争は正しい」「米英は鬼畜」「必ず勝つ」など、すべて子どもに押しつけ、おれもまた、押しつけられて育ってきたわけだ。押しつけられたものが、メッキがはげただけで、子どもは戦中も戦後も別に変っていないのであろうと思う。
 これからは、子どもに考えさせる教育、子どもの個性を伸ばす方向に転換していこう。また、文化面で国を伸ばすため、絵や作文など、おれの得意な科目にも力を入れてみよう。(154ページ)

教師たちが、戦後教育への転換に対し、どのような主体的判断によって対応していこうとしたのか。その一例をココに看取できる。

 戦後教育の出発点が求められるとすれば、それは何より当時の教師たちが直面した敗戦の現実から受けた挫折と、教師自身のそれまでの教育に対する自問自答の中にこそ求められるのではないか。「戦後教育」という言葉には、ややもすると、欧米からの輸入物(「押し着せられたもの」、それゆえに日本にはなじまない)といったイメージがつきまとうが、そのような固定的なものとは質的に違う、発展可能性をもった「戦後教育」へのイメージを、著者の文章からは受ける。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

変換ミスと「教育の話」

「変“漢”ミスコンテスト」なるコンテストがあるようだ。漢字を正しく使うことの大切さを改めて確認するのが狙いだとか(MSN-Mainichi INTERACTIVE, 毎日新聞 2005年8月9日 13時52分
 なんとも愉快な誤変換の数々を、以下のページでみることができる。 
 >http://www.kanken.or.jp/henkan/happyou.html

教育に関わる誤変換として、以下のようなものがあった。
 正:「研究指定校」→誤:「研究して行こう」
 正:「今日行くのは無し」→誤:「教育の話」

誤変換のほうも、それだけ取り出してみればまともな文である(上記の例について限っていうと)。言葉が使われる状況によっては矢印の向きが逆になる場合も想定される(さすがに「チクリ苦情大会」の場合は、その可能性は低いと思うが)。
 音(母音・子音)が少ない―同音語が多い、という日本語の特徴が、このような愉快な現象を引き起こすのだろうか。他の漢字文化圏でもこのような愉快な現象は起こっているのだろうか。ひょっとして、ダジャレという文化はこのような言語的特徴をもつ言語の場合にこそ、もっとも発展するのだろうか(「研究指定校へ研究して行こう」…すいません)。「空耳アワー」のような企画ができるのも、音の少ない言語だからこそ……もう、やめます。

 そういえば、「お金よりも愛だろ」→「お金よりモアイだろ」なんていう誤変換を、以前眼にしたこともあったなぁ。
 言葉・漢字の間違いを逆手に取ったこの企画。「漢字を正しく使うことの大切さを確認する」ということであれば、学校の先生にも関係する「教育の話」になってくる。授業に活かせば、子どものほうも学校に「今日行くのは無し」という無気力状態にならないかも!?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

現物貸借

 誠之学友会編(寺崎昌男監修)『誠之が語る近現代教育史』誠之学友会、1988年。

 このような本がある。東京都文京区立誠之小学校の同窓会組織にあたる誠之学友会が編集したもの。1000頁を越える大著である(しかもB5判)。新書感覚で手に持って読もうものなら、指が脱臼するんじゃないかと思うぐらいズシリと来る。一公立小学校が刊行する本のなかでも、これほどの大著はみたことがない。しかもこの本、いわゆる周年行事(=記念誌)ではない。このことは「極めて異例」である。

 寺崎昌男さんをはじめとする、東京大学教育学部日本教育史研究室の当時の面々(所沢潤・鈴木そよ子・木村元の四氏)が編集・執筆に加わっているところからして、教育史研究の見地からも、この学校とその所蔵文書がいかに貴重な存在かということがわかる。最初は執筆者の誰かがこの学校の卒業生なのかと思ったが、どうやらそうではなく、純粋に研究的観点からのよう。それにしても、こんな本があるとは、つい最近まで知らなかった。

 同書の説明によれば、この誠之小学校は「明治維新以来今日まで、一度も火災の被害を受けていない。関東大震災も、第二次世界大戦の戦災も、災害を直接受けることはなかった。したがって、開校以来の教育に関する資料が多数残されている」(「刊行にあたって」より)という。校内には「誠之史料館」があるようで(同小学校のWebサイトからは確認できないが)、ぜひ行ってみたいという欲求に駆られる。

 この本、自分の所属大学の図書館にはないため「現物貸借」を依頼したが、送料が(往復で)2000円近くかかってしまった。しかも、一週間以内に返却せよというのだからキビシイ(メールで連絡を受けてからだと実質六日以内)。1000頁以上もあれば目を通すだけでも大変だ。今回は、別にもう一冊依頼していたため、結局、この労作については自分にとって重要だと思われる部分をコピーして返却する。見逃している部分があるのではないかと不安だが、もう一度借用するのも(出費的に)勇気がいる。
 お金と時間、大学図書館の「相互利用」におけるこの二つの条件が、もう少し学生にとって望ましいものになってほしいなぁ。詳しい情報のわからない(=手にとって確認できない)本を借りるのは勇気のいることだから。それとも市民図書館などを利用するほうが安かったりするのだろうか。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

「ニッポンの夏!」に平和を想う

 今日の仙台は、今年一番の暑さ。七夕祭の期間中もうだるような暑さが続くらしい。今夜は前夜祭=花火大会である。

 (花火を含む)高度な科学・技術の発達=文明の発展を考えるとき、実はそこには戦争との密接なつながりがあるということを確認できる。日頃利用するインターネットの発達も、湾岸戦争との関係を抜きには語れないし、花火にしても、日本においては鉄砲伝来や戦国大名の火術(秘伝、秘術)といった史実と切り離して考えることはできない。中世ヨーロッパでは、花火は軍用爆薬と共に広がったとも聞く。
 そう考えていくと、最終的には〈文明は暴力性を本来的に内包する〉という考えに行き着いてしまい、せっかくの花火もそれでは興ざめしてしまうではないかと、自分でツッコミを入れたくなる。

 だが一方で、花火が魅せる瞬間瞬間の美しさは、ほんとうは、そのような〈暴力〉に対する裏返しの、それを忌避する〈平和〉への強い願望を表現したものではないかと捉えると、花火へのまなざしは変わってくる(花火師さんたちの思惑は、もっと別のところにあるのかもしれないが)。日本hanabi1ではじめて花火見物を行ったのは徳川家康だといわれ、また花火が流行しだしたのは江戸中期、とくに町人文化が花開いた元禄時代だといわれる。戦はなくなり、その意味で安定した時代でのことである。
 〈暴力〉から〈平和〉の象徴へと事物・知識の意味や活用方針を転換していくその背景についてどう考えるか、また事物・知識が〈暴力〉に利用されないためにはどうすればよいのか、そんなことに考えをめぐらせながら、つくづく「平和はいいなあ」とほろ酔いした今夜。

〈参考〉
細谷政雄『花火の科学』東海大学出版会、1980年。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「昔と今」の二分法を越えるには

仙台もいよいよ梅雨明け。夏到来!
そんな中、久々に連続講義(集中講義)に出ているφ(。。;)
「植民地支配と教育」というテーマからして難しそうなイメージを持ってしまうが、K先生はきわめて懇切丁寧にひとつひとつの事柄について説明してくれる。「植民地支配という過去の問題に対して関心が持てない・現在の自分とのつながりがみえない」(=教育の歴史を学ぶ意義がわからない)という学生からの反応にもゆっくりとした口調で対応してくれる(一度説明の手順を頭の中で構築し、確認してから話し始めているような印象を受ける。当たり前のようなことかもしれないが、自分だったら絶対に慌ててしまい、早口となって、結果しどろもどろになるだろう)。

 以下は、(ある学生が上記のように素朴に感じた疑問とも関わる)歴史認識の問題について、講義資料中印象に残っている箇所の一部。テッサ・モーリス=スズキ『批判的想像力のために―グローバル化時代の日本』(平凡社、2002年)からの引用文である。

○「連累」(implication)
わたしの言う「連累」とは、過去との直接的・間接的関連の存在と、(法律用語で言うところの)「事後共犯(an accessory after the fact)」の現実を認知する、という意味である。(中略)
 「連累」とは以下のような状況を指す。
わたしたちは直接に土地を収奪しなかったかもしれないが、その盗まれた土地の上に住む。
わたしは虐殺を行わなかったかもしれないが、虐殺の記憶を抹殺するプロセスに関与する。わたしは「他者」を具体的に迫害しなかったかもしれないが、正当な対応がなされていない過去の迫害によって受益した社会に生きている。
 わたしたちが今、それを撤去する努力を怠れば、過去の侵略的暴力行為によって生 起した差別と排除(prejudices)は、現世代の心の中に生きつづける。現在生きているわたしたちは、過去の憎悪や暴力を創らなかったかもしれないが、過去の憎悪や暴力は、何らかの程度、わたしたちが生きているこの物質的世界と思想を作ったのであり、それがもたらしたものを「解体(unmake)」するためにわたしたちが積極的な一歩を踏み出さない限り、過去の憎悪や暴力はなおこの世界を作り続けていくだろう。
 すなわち、「責任」は、わたしたちが作った。しかし、「連累」は、わたしたちを作った。

過去の問題がどのように現在につながり、今日の自分の生活意識に及んでいるのか。それを課題化するのはとても難しい。ついさきほどみた番組「クローズアップ現代」でも“ヒロシマが伝わらない”という問題(広島の教師の悩みやアメリカにおける原爆認識の実態など)が取り上げられていた。

 どんな過去の問題もどこかで自分の身近な問題とつながっている、という〈意外性のある〉事実がみえてくると、俄然歴史は面白くなる。そう思う。K先生の場合、自身の父親とある日本軍「慰安婦」との偶然的な関係からそのつながりを見出すという作業を行うことで、我々受講者にその一例を示してくれた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

意識の介入

 昨日は、居合道同好会の稽古に参加。実際に相手(=すだっち)を立てて稽古を行う。相手を立てることで、技の想定、そして各動作の意味内容=理合を、より具体的に深めていくことができる。とともに「なぜこのような動きなのだろう」という疑問も湧いてくる。
 このような稽古法は、他の会員もぜひ行うべきだ。ただダベッているだけではいけない。頭の中にある既成のイメージは概して貧困なものであり、また文字・音声だけの情報に頼れば頼るほど誤った認識構造を構築してしまうという結果に陥ることが多い。そのような頭の中にある土着の認識構造の修正を、具体的な現実を想定することで直観的に行う(何とも教育学的な見解)―師匠がいない時に自身の技の修正点を意識化するという点から考えれば、このような方法こそが最も効果的であるといえる。

 日頃の生活で行う動作がほとんど無意識から成り立っているのに比べ、居合の「わざ」はかなり特異な動作の連続であり、それが体系化された「型」である。したがって、居合の稽古には日常の動きとは異なる意識の介入が、稽古する者=学習者に必要とされる。この「意識の介入」という作業は、極めて難しい。身体に関わる知(覚)は「暗黙知」とも呼ばれる。何らかの形で意識の俎上に上げないと見えてこないものである。師匠からの指導、ディスカッションなどを経ることで、それは意識化されることがあるかもしれない(同好会という装置は、その意味ではきわめて有効である)。だが、その暗黙知が繊細な身体感覚であるとなれば、やはり自己の身体との対話を通してこそ、最も理解しやすい形で得られるのではないか(そもそも身体感覚など、師匠でも教えることはできない)。実際に相手を立てて稽古を行うことも、それによって身体から受けた刺激を自分の頭の中で意識化するという意味できわめて有効だと、そのような意義も自分は加えておきたい。

               ◇

 その道の達人は素人に比べ、技の動作における「意識のコマ割り」が多いという(斎藤孝『「できる人」はどこがちがうのか』ちくま新書、2001年)。刀の素振りを例にとった場合、初心者の場合は、ただ「振り下ろす」という動作の瞬間でしかない。それ以外に意識は働かせられないだろう。だが、達人はその瞬間をいくつものコマに割り、そこで多くの判断をする。だから、ほんの瞬間でも、達人には流れる時間が遅く感じられるという。これを自分なりに解釈すると、達人は「ココの感覚はこう」といった、日常生活では絶対に浮かべない、極めて繊細な意識をいくつも介入させることで、技の精度を高めているのではないかと思う。そして、そのような非常な事態を、日常化させてしまっているのだと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年7月 | トップページ | 2005年9月 »