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変換ミスと「教育の話」

「変“漢”ミスコンテスト」なるコンテストがあるようだ。漢字を正しく使うことの大切さを改めて確認するのが狙いだとか(MSN-Mainichi INTERACTIVE, 毎日新聞 2005年8月9日 13時52分
 なんとも愉快な誤変換の数々を、以下のページでみることができる。 
 >http://www.kanken.or.jp/henkan/happyou.html

教育に関わる誤変換として、以下のようなものがあった。
 正:「研究指定校」→誤:「研究して行こう」
 正:「今日行くのは無し」→誤:「教育の話」

誤変換のほうも、それだけ取り出してみればまともな文である(上記の例について限っていうと)。言葉が使われる状況によっては矢印の向きが逆になる場合も想定される(さすがに「チクリ苦情大会」の場合は、その可能性は低いと思うが)。
 音(母音・子音)が少ない―同音語が多い、という日本語の特徴が、このような愉快な現象を引き起こすのだろうか。他の漢字文化圏でもこのような愉快な現象は起こっているのだろうか。ひょっとして、ダジャレという文化はこのような言語的特徴をもつ言語の場合にこそ、もっとも発展するのだろうか(「研究指定校へ研究して行こう」…すいません)。「空耳アワー」のような企画ができるのも、音の少ない言語だからこそ……もう、やめます。

 そういえば、「お金よりも愛だろ」→「お金よりモアイだろ」なんていう誤変換を、以前眼にしたこともあったなぁ。
 言葉・漢字の間違いを逆手に取ったこの企画。「漢字を正しく使うことの大切さを確認する」ということであれば、学校の先生にも関係する「教育の話」になってくる。授業に活かせば、子どものほうも学校に「今日行くのは無し」という無気力状態にならないかも!?

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