« 変換ミスと「教育の話」 | トップページ | 8・16―揺れる― »

戦後教育の出発点

 永井健児『教師は敗戦をどうむかえたのか』(教育史料出版会、1999年)を読む。17歳で群馬県高崎市下の国民学校助教(旧制中学卒、代用教員)となった著者の記録である。敗戦直前の昭和20(1945)年4月から、退職する1947(昭和22)年4月までの著者の教師体験、敗戦当時の教育現場の状況がリアルに語られている。まさに「第一級の記録」である。
 終戦60周年の今年、改めて戦後教育の出発時の現状に思いを馳せてみる。

               ◇

 日記を通して見えてくるさまざまな現場の問題は、専門書などを読んでいてもなかなかイメージできない部分である。空襲警報のたびに下校させ、警報が解除されてはまた登校、授業を再開する、その繰り返しの実態などは「学校崩壊」を思わせる(「ただし学力は崩壊していなかった」とは、ある年配の方の意見)。また、「弁当盗難」の続発など、安易なヒューマニズムではどうにも解決できない命に関わる食問題についてもリアルに記されている。そのような問題に直面した教師の無力感などは、さすがに想像できない。

 終戦してまもなくの秋(と思われるが年は明記されていない)、著者は「ある無力感」と題して、次のように綴っている。

 近ごろ子どもがわからなくなった。
 終戦を転機に、以前の五カ月近い戦時教育に責任の如きものを感じ、子どもたちへの弁明に迷い苦しみ、自らも模索していた。
   (中略)
 だがどうだろう、最近の子どもたち。注意しても進駐軍にむらがり、『自由詩』や、『雨の一日』『運動会』などの作文を読んでも、また、毎日の教室の生活でも、二カ月前の、あの悲しみや怒りは何も感じられない。戦時中との意識のつながりも見いだせない。たった二カ月間にである。
 喜ぶべきなのか。悲しむべきなのか。
 いったい、子どもは何を考えているのだろうか。その心に何を感じているのだろうか。
 終戦以前の教育で、私は、白紙の子どもに対して加害者だったのではあるまいか、傷つけたのではあるまいか、と自責したが、ある意味で、結果的におれが子どもにほんろうされ、傷つけられているのかもしれない―とさえ思えてくる。
   (中略)
 教育とは、人間の前に力があるのか、ないのか。
 最近、大きな無力感と挫折を感じている。子どもたちの袋だたきにでもあったかのようである。「教育とはなんだろう」「教育とは、知識の伝授以外に無力なものなのか」
 近ごろ、ばかにみじめに思えてくる自分。(146-147ページ)

ここには、戦前の教育に対する、実践的なリアリティに基づく疑問が芽生えていることを確認できる。
 のちに、他の教員たちの議論を経て、著者は「押しつけ教育はだめ」という結論に至っている。

「日本は神の国」「天皇は現人神」「戦争は正しい」「米英は鬼畜」「必ず勝つ」など、すべて子どもに押しつけ、おれもまた、押しつけられて育ってきたわけだ。押しつけられたものが、メッキがはげただけで、子どもは戦中も戦後も別に変っていないのであろうと思う。
 これからは、子どもに考えさせる教育、子どもの個性を伸ばす方向に転換していこう。また、文化面で国を伸ばすため、絵や作文など、おれの得意な科目にも力を入れてみよう。(154ページ)

教師たちが、戦後教育への転換に対し、どのような主体的判断によって対応していこうとしたのか。その一例をココに看取できる。

 戦後教育の出発点が求められるとすれば、それは何より当時の教師たちが直面した敗戦の現実から受けた挫折と、教師自身のそれまでの教育に対する自問自答の中にこそ求められるのではないか。「戦後教育」という言葉には、ややもすると、欧米からの輸入物(「押し着せられたもの」、それゆえに日本にはなじまない)といったイメージがつきまとうが、そのような固定的なものとは質的に違う、発展可能性をもった「戦後教育」へのイメージを、著者の文章からは受ける。

|

« 変換ミスと「教育の話」 | トップページ | 8・16―揺れる― »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/69457/5487500

この記事へのトラックバック一覧です: 戦後教育の出発点:

« 変換ミスと「教育の話」 | トップページ | 8・16―揺れる― »