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タカキに逢いたい!

 タカキに逢いたい! そんな女性募集中!! ここでいう、タカキとは、自分のことではない。 そうではなく、私ことタカキが逢いたがっている、別の「タカキ」くんがいるということ。
それは、子ども向け日本史学習ソフト『日本歴史トラベラーズ』の主人公の、この子である。
「タカシ」や「タカユキ」などと比べると、「タカキ」はメジャーな名前とはいえない。
自分と同じ名の人物に直接出会ったことは今まで一度もないし、小説のマンガの登場人物といった形で眼にすることもほとんどない(ところが、ネット検索という情報時代のスグレモノは、自分と同姓同名の人物の存在をすら教えてくれる。まったくスゴイ時代になった)。そのため、稀に同じ名前に巡り逢うと、強烈に惹かれてしまう。
 なぜ、よりにもよって「タカキ」と名づけたのだろう。気になるので、販売元の株式会社がくげいさんに問い合わせてみたところ、

「ソフトの企画段階で、制作担当者からいくつか名前の候補を募り、キャラクターデザインに合った音の響きのよいものを、という視点で選ばれたと聞いております」

との回答を頂いた。「タカキ」という名は、音の響きがよいのだろうか。そんな風に自分の名前について思ったことはなかったが(音については、「言いにくい」というイメージしかなかった)。
 『日本歴史トラベラーズ』のタカキくんは、「学校の授業のなかでも、日本史が最も苦手な子」、「明るくハキハキした子なんだけど、どうも押しに弱いとこがある」という設定となっている。お、同じ匂いを感じるゾ。
 指導教員に購入してもらうべく、目下、戦略会議中… (^_^;)\('_' ) 自分で買え

〈注〉
・日本歴史トラベラーズ
http://www.gakugei.co.jp/products/rekishi/
・タカキ
http://www.gakugei.co.jp/products/rekishi/rchara/ctakaki.htm
・株式会社がくげい
http://www.gakugei.co.jp

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「実際の理論化」という思想

 東京市富士尋常小学校(現台東区立富士小学校)。大正末期から昭和初期にかけて「新教育」実践を展開し、海外の著名な教育思想家も来校するなど、高い注目を受けた学校である。
 同校では、校内に「学習指導研究会」を設け、教師たちによる自主的な教育実践研究の成果を、学校発の雑誌『実際の理論化』を通して発表していた。当時においては、このような機関誌を学校単位で発行するだけでも相当の努力を要したはずである。創刊の第一集こそ活版印刷での発行となっているが、そのほかは謄写版(ガリ版)印刷である(東京大学教育学部図書室所蔵)。
 しかし、それ以上に驚くのは『実際の理論化』というそのタイトルである。教師の主体性をこれほど明確に表明したタイトルも珍しい。
 明治期の「公教育教授定型」成立(稲垣忠彦『明治教授理論史研究』、1966年)に代表されるように、日本における教育実践は、あらかじめ与えられた「理論」に基づく画一的な「実践」というパターンをとってきた傾向が強い。戦後における新教育(あるいは今日の教育)もまた、一見自由で活動的な教育形態をめざしていてようであっても、「理論の実施」を志向する限りでは基本的に類似したものであった。
 生活綴方運動などに代表される一連の民間教育運動は、そのような「理論の実施」というかたちでの教授形態(それは主に画一的な様相を呈する)が社会や子どもの現実に対応していない、という反省や批判に立脚して展開されたものであった。例えば、戦後教育のなかで一大センセーションを巻き起こした無着成恭の『山びこ学校』は、整合的で首尾一貫してはいてもいかにもよそよそしい、そんな新しい「理論の実施」への痛烈なアンチ・テーゼであったと見ることができる。これらの運動には、教育実践は、単に「理論の実施」であるべきではなく、その理論自体が実践のなかから導きだされなければならないという思想が共有されている。
 富士小の教師たちも、まさにこの立場に立って「新教育」を展開した。上沼久之丞校長は次のように述べている。

かつてヘルバルトの教育原理を実際に適用せんと努力した過去に於ては、歓喜に充ちた努力が続かなかつたから創造的生命は味へなかつた。規定を束縛的機械的に感じて不満に充ちた生活であつた。限りなき発展の文化に参加してゐる心持ちになれなかつたから理論の知的蓄積に了つてゐた。子供に教へられて自己の歩むべき道を見出してからは、理論を現実の中に見つけて、自己の構成的態度を育てて歓喜に充ちた創造的生活を味ふことが出来る様になつた。
〈註〉上沼久之丞「教育に於ける実際の理論化」東京市富士小学校学習指導研究会編『実際の理論化』(第一集)、1928年、2ページ。

このような主張は、「理論の忠実な実施者・遂行者」という教師観とは真逆の、教師の主体性の確立と不可分のものである。どこかに「すばらしい、万能の(授業・学習の)理論」が先天的なものとしてあって、何の思想的対決を経ることもなくただただそれを利用しようとする、そんな受け身の姿勢からは「実際(=実践)の理論化」という発想は生まれない。それどころか、その「万能の理論」すら使いこなせないだろう(このように書くと、丸山真男の「『である』ことと『する』こと」を思い出す)。そのような理論(思想)受容の仕方とは訣別した、きわめて能動的な思考のあり方として「実際の理論化」は捉えられる。彼らが遺したメッセージは、今日の段階からみても、決して色褪せてはいない(ただし、富士小の教師たちがどれほどその思考を貫けたかについては、疑問の残る部分もある)。
 富士小の「新教育」は実施当初から「学力低下を招く」「子どもの行儀が悪くなる」など数々の酷評にさらされ続けた。が、そのような非難の嵐の中でも、研究活動は長期間継続された。昭和前期の、波乱に満ちた時代状況の中では特異な例である。そして皮肉なことに、戦時期国民学校教育のモデル校的存在として、文部省側からも注目されるようになっていく。

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日本語に賭けた人物の生涯

 高田宏『言葉の海へ』(岩波書店同時代ライブラリー341、1998年)、読了。
日本初の近代国語辞典『言海』をつくった大槻文彦の生涯を描いた伝記文学であり、『言海』完成にうちこむ文彦の苦悩や情熱が感動的に描かれている。詳細な時代描写と関わらせることで、大槻文彦の個性が鮮やかに、説得力をもって読者に示される。それゆえに、読み応えがある。当時の時代状況をもっと勉強した上で読み直せば、さらに面白く読めるようになるはず。
 国語の統一は、一国の独立の基礎、近代国家には近代国家の辞典が要る―そのような文彦のナショナリズムが「洋学」と「仙台」という二つの「根」から育まれてきた、という見方などはとくに心にひっかかり、以下の文章などはチェックせずにはいられなかった。

 西国に居ては分らないかもしれない、はっきりした北辺への感覚が、奥羽の人びとの血には、流れている。その感覚は同時に外国への感覚であり、それがこの土地から多くの洋学者を生み出した。この土地が生んだ洋学者は外国の技芸学術の習得に止まろうとしなかった。国際関係への関心と国防への熱い思いが誰をもつらぬいていた。蝦夷地が目前にあったからである。そのことが「日本」を嗅ぎ取らせていた。(162ページ)

 洋学は、熱地に蜜蜂を移入するためのものではない。ヨーロッパに蜜蜂のあることを識れば、熱地には熱地の蜜虫を見つけ出して、育てる。それが見識であり、また、利にもつながるはずだ。自らの土地のものを創り出さないでは、他の土地の人たちと肩をならべて付合えるわけがない。
 大槻文彦は、西洋文法と西洋辞書に良質の蜜を見た。そして、この日本の土地にふさわしい蜜を、足もとから見つけ出し、育てようとした。日本文法と日本辞書を、この国に育てなければならぬ。それなくして欧米人と付合うのは不見識であり、恥ずべきである。
 文彦の「洋学」は、そういう「洋学」であった。
(170ページ)

                    ◇

 この本、以前から、というか仙台赴任当初から梶山先生が皆にお薦めしている本である。先生が好きだというのがよくわかる。史料によるあとづけを行いながら人物の個性を生き生きと描く、そんな歴史研究をしてみたい、という欲求に駆られてしまう(もっとも、作家の歴史の捉え方をそのまま歴史研究に活用することはできないが)。
 なお、『言海』は、現在ちくま学芸文庫から出版されており(文庫としては異例のぶ厚さ、値段も文庫としては異例)、手軽に読むことができる。

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過去の「忘却」から「想起」へ

――「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は,またそうした危機に陥りやすいのです。」
(ヴァイツゼッカー『荒れ野の40年―ヴァイツゼッカー大統領演説全文』岩波ブックレット、No.55、1986年)

                    ◇

 「ドイツの歴史・政治教育と教科書」をテーマとする連続(集中)講義を受ける。名大の近藤先生の講義である。日本の歴史教育問題と重なる部分もあり、とても興味深い内容であった。ドイツを含むヨーロッパ各国が抱えている歴史教育問題の詳細について詳しく聴くことができた。

 (講義内容から)独りよがりの自国史とその美化をめぐる問題が、必ずしも日本(と近隣諸国)だけの問題ではないことがわかる。
 ドイツ(およびその隣国、ポーランドやオーストリア)においても歴史教育をめぐってはさまざまな紆余曲折を経て、今日に至っている。ただし、問題改善をめぐる取り組みについてみると、日独の間で相当の開きがあるといえる。(戦争)被害国との対話の積み重ね歴史教科書の比較研究の実績を比較した場合に、日本はドイツから30年近くは遅れている。
 日本以上に、戦後ドイツの歴史教育問題をめぐる条件は厳しかったはずである。ドイツにおいても、「ナチスの暴力的支配」を強調することによって、広く国民に問われるはずの戦争責任を回避してきたという問題はつきまとう。加えて、冷戦とそれによって規定された思考の枠組みが、歴史教育の桎梏となり、教科書問題に大きく影響していたことは否定できない(その点は、日本も同じか)。
 しかし、そのような状況下でも、戦後ドイツはポーランドとの教科書対話を開始(1972年2月~)、共同教科書勧告を作成・蓄積してきた。
 記憶を忘却の彼方へ追いやろうという過度の抑圧的姿勢は、ドイツでは見られない。むしろ逆で、絶えず過去の歴史を「想起」しようという歴史政策に踏み切っている(この5月10日にもホロコースト記念碑が完成したばかりだ。そのような戦争と植民地支配の犠牲者を哀悼する反省的な記念碑を国内につくろうという動きは、日本ではなかなか表面化してこない)。

 そのように過去の反省的記憶をたえず想起(追想)するかたちで自己批判的に歴史を学ぶことは、過去をウザイものとして嫌悪し、記憶を忘却する=学びを拒否する姿勢よりも、はるかに困難でときにしんどいものである。被害者の視点からとなると、なおさらである(だからこそ、そこに「国際教科書対話」の意義が認められることになる)。
 そして、そのような歴史教育の達成は、決して短期間で実現するものではない(そもそも歴史教育論争は圧倒的多数の大人の間で起こっているのであって、隣国の感情的反発を煽るようなナショナリズムを超える新しい歴史観が未来の世代に浸透していくかどうかは、何十年という長いスパンで捉える必要がある)。ドイツは、そのしんどい運動を継続してきた。日本にもその萌芽はすでにあるはずである。それがいずれ見事な開花へとつながることを自分も期する。

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「高度のプラグマティスト」

 衆院総選挙が近づく。国民の「改革」への期待(日本経済の再生、利権をめぐる癒着構造の改善など種々の思惑)が、「郵政民営化」という一つの言葉によって象徴されているような印象を受ける。「民営化」を主張する側からすれば、それが国民が望む「改革」への重要手段だ―郵政民営化もできなくて、どうして「改革」が遂行できるのか―といった論法・戦略である。ほんとうにそうなのかどうかは「よくわからない」。ただ、〈「民営化」=何かが変わる〉という可能性への国民的期待は、〈「非民営化」=何も変わらない〉という期待?よりは当然大きくなるだろう。むろん、対立の構図はそう単純なものでないことは承知しているが、そのような構図で理解されている可能性が高いのではないか。とすれば、この「何かが変わる」という期待(イメージ)をどう取り込めるかが、選挙結果を最終的に左右するのではないか。だから、単に小泉批判をするだけでは……などと素人分析してみる。

               ◇

 衆院総選挙を前に、丸山昌男「ある自由主義者への手紙」(『世界』昭和25年9月号、1950年。『増補版 現代政治の思想と行動』未来社、1964年所収)を読み返してみる。50年以上前のもので、文章が書かれた時代的文脈は今日とは著しく違うが、それでも、政治的意思決定のあり方を考える上で勉強になる。とくに以下の文章など。

「僕のいわんとするところは自由人をもつて任ずる無党派的な知識人もその主体性を失わないためには無党派的知識人の立場からの現実政治に対する根本態度の決定とそれに基く戦略戦術を自覚しなければならない段階が来ているということだ。」(135ページ)

「僕は少くとも政治的判断の世界においては高度のプラグマティストでありたい。だからいかなる政治的イデオロギーにせよ、政治的=社会的諸勢力にせよ、内在的先天的に絶対的真理を容認せず、その具体的な政治状況における具体的な役割によつて是非の判断を下すのだ。僕はいかなるイデオロギーにせよそのドグマ化の傾向に対しては、ほとんど体質的にプロテストする。」(149ページ)

感心するは易いが行うは難し。郵政と「絡む」問題に関する多くの意見に耳を傾けつつ、また各政党候補者の過去の発言・行動をも振り返りながら、総合的に政策の「是非の判断を下す」しかないだろう。幸い、ネット上には渉猟するのがとても困難なほどの情報が溢れている。

 とりあえずは、選挙に行かなければならない。現時点で自分は、「投票しない」という行為に政治的意思表示としての積極的意味を見出せていない。投票しなかったならばそれは、「投票しない」という形で、結局は現在の政権・政策に盲従したことと同義であること。もし、このとき自分を含む国民が行った政治的選択が、結果として大きな国家的問題を招来することになったとき、その要因を作ってしまった自分たちが「自分は投票しなかったから関係ない」では、未来の世代に対して無責任であること。このような認識を越えることが現時点でできていない以上、投票に行くしかない。

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発表要旨提出のマナー

 S水さんの指示のもと、T田さん、Cさんたちと史学会の発表要旨とりまとめや名札作成の作業を手伝う。学会が着々と迫っている。それに合わせて自分の首も少しずつ締まっていく、そんな息苦しさに似た焦燥感に駆られる。
 各発表者から送られてきた封筒を開封し、原稿とフロッピィを別々に順番通りに整理していく。この郵送の仕方一つ一つに、発表者の研究姿勢を垣間見ることができた。
 原稿は折らないように、クリアファイル(ホルダー)に入れる。
 フロッピィは傷つかないようケースに入れ、その上からさらに包装する(あのプチプチとやりたくなるやつで)。
 そして、一筆添える。

そんな気配りができる人は、今度の発表内容も細部に眼の行き届いた、しっかりしたものなのだろうなぁ、と思ってしまう(自分のいい加減さを自覚する)。そういった気配りと研究の精度は、決して無関係ではないはずだ(こんなことを言ったら、まだ発表要旨を提出していない人は起こるだろうか)。こういった研究の表には出てこない部分に思いを至らせながら、自己を反省した一日。

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