« 「高度のプラグマティスト」 | トップページ | 日本語に賭けた人物の生涯 »

過去の「忘却」から「想起」へ

――「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は,またそうした危機に陥りやすいのです。」
(ヴァイツゼッカー『荒れ野の40年―ヴァイツゼッカー大統領演説全文』岩波ブックレット、No.55、1986年)

                    ◇

 「ドイツの歴史・政治教育と教科書」をテーマとする連続(集中)講義を受ける。名大の近藤先生の講義である。日本の歴史教育問題と重なる部分もあり、とても興味深い内容であった。ドイツを含むヨーロッパ各国が抱えている歴史教育問題の詳細について詳しく聴くことができた。

 (講義内容から)独りよがりの自国史とその美化をめぐる問題が、必ずしも日本(と近隣諸国)だけの問題ではないことがわかる。
 ドイツ(およびその隣国、ポーランドやオーストリア)においても歴史教育をめぐってはさまざまな紆余曲折を経て、今日に至っている。ただし、問題改善をめぐる取り組みについてみると、日独の間で相当の開きがあるといえる。(戦争)被害国との対話の積み重ね歴史教科書の比較研究の実績を比較した場合に、日本はドイツから30年近くは遅れている。
 日本以上に、戦後ドイツの歴史教育問題をめぐる条件は厳しかったはずである。ドイツにおいても、「ナチスの暴力的支配」を強調することによって、広く国民に問われるはずの戦争責任を回避してきたという問題はつきまとう。加えて、冷戦とそれによって規定された思考の枠組みが、歴史教育の桎梏となり、教科書問題に大きく影響していたことは否定できない(その点は、日本も同じか)。
 しかし、そのような状況下でも、戦後ドイツはポーランドとの教科書対話を開始(1972年2月~)、共同教科書勧告を作成・蓄積してきた。
 記憶を忘却の彼方へ追いやろうという過度の抑圧的姿勢は、ドイツでは見られない。むしろ逆で、絶えず過去の歴史を「想起」しようという歴史政策に踏み切っている(この5月10日にもホロコースト記念碑が完成したばかりだ。そのような戦争と植民地支配の犠牲者を哀悼する反省的な記念碑を国内につくろうという動きは、日本ではなかなか表面化してこない)。

 そのように過去の反省的記憶をたえず想起(追想)するかたちで自己批判的に歴史を学ぶことは、過去をウザイものとして嫌悪し、記憶を忘却する=学びを拒否する姿勢よりも、はるかに困難でときにしんどいものである。被害者の視点からとなると、なおさらである(だからこそ、そこに「国際教科書対話」の意義が認められることになる)。
 そして、そのような歴史教育の達成は、決して短期間で実現するものではない(そもそも歴史教育論争は圧倒的多数の大人の間で起こっているのであって、隣国の感情的反発を煽るようなナショナリズムを超える新しい歴史観が未来の世代に浸透していくかどうかは、何十年という長いスパンで捉える必要がある)。ドイツは、そのしんどい運動を継続してきた。日本にもその萌芽はすでにあるはずである。それがいずれ見事な開花へとつながることを自分も期する。

|

« 「高度のプラグマティスト」 | トップページ | 日本語に賭けた人物の生涯 »

教育」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/69457/5851909

この記事へのトラックバック一覧です: 過去の「忘却」から「想起」へ:

« 「高度のプラグマティスト」 | トップページ | 日本語に賭けた人物の生涯 »