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「実際の理論化」という思想

 東京市富士尋常小学校(現台東区立富士小学校)。大正末期から昭和初期にかけて「新教育」実践を展開し、海外の著名な教育思想家も来校するなど、高い注目を受けた学校である。
 同校では、校内に「学習指導研究会」を設け、教師たちによる自主的な教育実践研究の成果を、学校発の雑誌『実際の理論化』を通して発表していた。当時においては、このような機関誌を学校単位で発行するだけでも相当の努力を要したはずである。創刊の第一集こそ活版印刷での発行となっているが、そのほかは謄写版(ガリ版)印刷である(東京大学教育学部図書室所蔵)。
 しかし、それ以上に驚くのは『実際の理論化』というそのタイトルである。教師の主体性をこれほど明確に表明したタイトルも珍しい。
 明治期の「公教育教授定型」成立(稲垣忠彦『明治教授理論史研究』、1966年)に代表されるように、日本における教育実践は、あらかじめ与えられた「理論」に基づく画一的な「実践」というパターンをとってきた傾向が強い。戦後における新教育(あるいは今日の教育)もまた、一見自由で活動的な教育形態をめざしていてようであっても、「理論の実施」を志向する限りでは基本的に類似したものであった。
 生活綴方運動などに代表される一連の民間教育運動は、そのような「理論の実施」というかたちでの教授形態(それは主に画一的な様相を呈する)が社会や子どもの現実に対応していない、という反省や批判に立脚して展開されたものであった。例えば、戦後教育のなかで一大センセーションを巻き起こした無着成恭の『山びこ学校』は、整合的で首尾一貫してはいてもいかにもよそよそしい、そんな新しい「理論の実施」への痛烈なアンチ・テーゼであったと見ることができる。これらの運動には、教育実践は、単に「理論の実施」であるべきではなく、その理論自体が実践のなかから導きだされなければならないという思想が共有されている。
 富士小の教師たちも、まさにこの立場に立って「新教育」を展開した。上沼久之丞校長は次のように述べている。

かつてヘルバルトの教育原理を実際に適用せんと努力した過去に於ては、歓喜に充ちた努力が続かなかつたから創造的生命は味へなかつた。規定を束縛的機械的に感じて不満に充ちた生活であつた。限りなき発展の文化に参加してゐる心持ちになれなかつたから理論の知的蓄積に了つてゐた。子供に教へられて自己の歩むべき道を見出してからは、理論を現実の中に見つけて、自己の構成的態度を育てて歓喜に充ちた創造的生活を味ふことが出来る様になつた。
〈註〉上沼久之丞「教育に於ける実際の理論化」東京市富士小学校学習指導研究会編『実際の理論化』(第一集)、1928年、2ページ。

このような主張は、「理論の忠実な実施者・遂行者」という教師観とは真逆の、教師の主体性の確立と不可分のものである。どこかに「すばらしい、万能の(授業・学習の)理論」が先天的なものとしてあって、何の思想的対決を経ることもなくただただそれを利用しようとする、そんな受け身の姿勢からは「実際(=実践)の理論化」という発想は生まれない。それどころか、その「万能の理論」すら使いこなせないだろう(このように書くと、丸山真男の「『である』ことと『する』こと」を思い出す)。そのような理論(思想)受容の仕方とは訣別した、きわめて能動的な思考のあり方として「実際の理論化」は捉えられる。彼らが遺したメッセージは、今日の段階からみても、決して色褪せてはいない(ただし、富士小の教師たちがどれほどその思考を貫けたかについては、疑問の残る部分もある)。
 富士小の「新教育」は実施当初から「学力低下を招く」「子どもの行儀が悪くなる」など数々の酷評にさらされ続けた。が、そのような非難の嵐の中でも、研究活動は長期間継続された。昭和前期の、波乱に満ちた時代状況の中では特異な例である。そして皮肉なことに、戦時期国民学校教育のモデル校的存在として、文部省側からも注目されるようになっていく。

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