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戸詰! 戸脇! …どういう意味だ?

 居合の稽古は、遂に新技に突入した(水曜日は稽古参加者が少ないので、先生の指導を受けやすいよ。先週はマンツーマンだったし)。「戸詰」「戸脇」の二つである。教本では「四方切」が先に記されているが、私の場合は旧い順番で教わることとなった。
 さすがに、奥伝ともなると人物としての仮想敵だけではなく、障害物までその想定に入ってくるのでおもしろい。その分、これはいったいどんな状況で相手に斬りかかっているのか、話を聞いてもよく呑み込めない。「いろいろ矛盾な点もある」と先生自身がおっしゃったこともあり、そう簡単に理解できるものではないことは明らかだ。
 だから当然、現段階(昨日の今日の話)での自分の技は、単なる「形」の模倣の域を出ていない。
 そもそも技の習得のはじまりとはそういうものだ。日常の動きとはまるで違う武道特有の動きを、師匠の範にしたがって、一つ一つなぞっていく、その「模倣の体験」から技の習得は始まる
 そして、師匠の「形」を「模倣」する作業を反復するなかから、学習者は各技を成り立たせている一つ一つの「形」の意味を自ら納得したいという欲求を持ち、身体全体を通して「解釈の努力」を始めるようになるのが、技の習得における次の段階である。それを経て(その間にもいくつかの段階があるはずである)、ようやく歴史性を備えた技(「型」)の習熟に至るのである。単に外見的な「形」=(結果まね)に満足していることも、逆にあっさり見切りをつけて似非「創造」に走ることも、習得のプロセスからすれば、逸脱でしかない。
 だが、この思考をつらぬくことは難しい。動作の反復を繰り返す中で、どうすればもっとスムーズに動けるかといった点には思いをめぐらせても、なぜこのような動作なのか、自分の理解を絶えず再検討・修正する作業にはなかなか至らない。
 教本にそう書いてあるからだ、と簡単に納得してしまうのではなく、その文言を自分の頭で再解釈する作業を怠らないようにしなければならない。講座の先輩Kさんの言葉を借りていえば、「文献中の情報を自ら検証できる“厳しい”眼」と、それによってはじめて形成される「実験的思考」を持たなければならないといえようか。
 今回の技の場合、教本を読んでもなお想定が呑み込めない。早くも「判断の回避」癖が起きそうだ……

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「時代を語る雑誌たち」を観る

 現在東北大学附属図書館で開かれている特別展示「時代を語る雑誌たち―雑誌メディアと戦時動員」に足を運んでみた。メディアをシンポジウムのテーマとする教育史学会の開催に合わせて、この特別展は企画された。今月24日まで開かれている(10:00~17:00)。入場は無料。10月15日付の毎日新聞河北新報には、この展示に関する記事が掲載された。大学外の一般の方も関心をもたれているようだ。
 戦時中の雑誌には、まさに「メディアは武器」という意図が貫かれている。事実、そのような趣旨の文句を雑誌中から拾うこともできる。さすがに四コマ(国策)漫画に関しては笑いのツボを共有できなかったが、いろいろな表現による戦時教化の実態(どのようなプロパガンダを行ったか)を読みとることができる。

 個人的な感想としてとりわけ強く感じたのは、〈女性の力〉である。
表紙に描かれた女性(子どもも含めて)は、美しく健康的で溌剌としている。勤労女性として、母として、「優しさ」と「強さ」の象徴としての女性像が、視覚メディアを通して迫ってくる。もちろん、それらは意図的に作られた、いわば発明された女性像だが、それだけ切実に〈女性の力〉が必要とされたことの証左ともいえる。
 しかも、〈女性の力〉は戦前にとどまっていない。敗戦直後の雑誌メディアからも、その輝きを確認できる。敗戦直後に出された雑誌には、例えば、『月刊母親学校』(昭和21年3月1日~)、『女性』(昭和21年4月1日~)、『新婦人』(昭和21年4月1日~)、『主婦と生活』(昭和21年5月1日~)、『女性改造』(昭和21年6月1日~)といったものが挙げられる。『婦人倶楽部』、『主婦之友』といった雑誌も戦時から継続して刊行されている。数的にみて決して少ないとはいえないのではないか。
 この〈女性の力〉を考えるうえで、鶴見俊輔が語った、以下の言葉は示唆に富んでいる。

生活について、より大きな責任を負うとともに、家事全体を自分たちがとりしきる能力があるという自信をもって、主婦たちは、戦争を終りを迎えました。彼女たちに対して、男性本位の立場から命令を与え続けてきた日本帝国政府は、降伏しました。そして男たちは自信を失いましたが、女たちは、自分たちとその子どもたちとその他の家族全体を、夫たちを含めて、その命を保っていくという日常の仕事をいままでどおり続けていきました。このことは、彼女たちにこれまでの近代日本でいまだかつて経験したことのない権威を与えました。「わたしが一番きれいだったとき」という詩を、茨木のり子(一九二六- )は、書きました。彼女は日本が降伏のとき一九歳でした。この詩は、敗戦直後の時期に多くの女性たちによって共有されていた高揚した自信に満ちた気分を表現しています。
〈註〉鶴見俊輔『戦時期日本の精神史』岩波現代文庫、2001年(初版1982年)、202ページ。

生きるために誰もが法を犯さざるを得なかった戦争末期-敗戦直後、女性たちは現存の国家の秩序と正面から対決するのは避けながらも、その公認の秩序に取り込まれることなく「暮し」を成り立たせていた。「戦時日本国家の中に包み込まれていない、そこからはみ出すような思想を実際上使いこなして」いた(同上、203ページ)。

 混乱や疲弊の中でこそ〈女性の力〉が華やかなものとして際立ってくるとしたら、現在の「男女共同参画」の動向もまた必然的なものといえるのだろうか。また、現在多くの雑誌で見受けられる、表紙を女性グラビアで飾るというケース―これも戦前からの〈女性の力〉との関わりで捉えられるものなのか。そんなことを考えてみる。

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猫の手も借りたかったが

「嵐は去っていった・番外編」

学会準備の忙しさに猫の手も借りたい心境だったが、〈近所の住人〉は、以下のような有様。寝不足の自分に見せつけるようにお休みのご様子であった。

cat_1

無防備すぎるぞ。


一方、学会期間中も顔を出した〈キャンパスの住人〉は、日課のヨガに耽っていた。

cat_2

何ちゅう格好だ・・・


教訓:猫の手を借りたくても、彼(女)らが手をさしのべることはない。自分の力でがんばろうね。

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嵐は去っていった

 教育史学会は大きな問題なく(たぶん)、終了。
期間中、300人を越す方が受付を通られたとのこと。シンポジウム・懇親会も盛況だった。
みちのくYOSAKOIなどの大型イベントも開催されていた中、これだけの人数が地方での学会に参加されたというのは異例だと、先生方は言っていた。打ち上げ時の梶山先生はほんと上機嫌だった。
一方、ライティング(writing)・オールナイトの日々が続いていた自分は、二次会の記憶がほとんどない(どうやら爆睡してしまったらしい、首が痛い)。

 毎度ながら問題だらけの発表となったが、的確な指摘(指導)を頂くことができた(もちろん、そんな指導を受けるレベルの発表ではいけないのだが)。「他の対象との比較を通して、研究対象を相対化させておく(位置関係を捉える)ことは基本的な作業である」。前から同じことをいろいろな先生から言われてきたけど、まだまだ自覚出来ていないと反省した。とともに、次の課題が明確なかたちで見えてきた。
 もっとも、それ以前の問題として「キチンとゆとりをもって資料を準備しておく」という点こそ反省しなければ。あれもこれもやろうとして、結局は雑駁な内容にしかならなかったということを防ぐために。一度内容を寝かせ、熟成させる(ゆっくり考え直す)時間をとることも、研究には必要なのかもしれないし。

 それにしても、発表者の皆さんはあれだけコアな史料をどうやって見つけてくるのだろう。「宝物を見分ける眼」をどうやって鍛えているのか。「すでに与えられている史料を加工するだけではない、生産作業へと向かわなければ自分の研究に重みを持たせることはできない」。そう思う一方で、「宝を前にしてもそれが宝と気づかず、その価値に気づかないのではないか」とも思ってしまう。万一宝も見つけてもそれをどう処理していいかわからないという問題も加わるし、ほんと歴史研究ってむずかしいなぁ。とりあえず、嵐(=学会)のために資料でめちゃくちゃになった机の上の整理からはじめよう。

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