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「時代を語る雑誌たち」を観る

 現在東北大学附属図書館で開かれている特別展示「時代を語る雑誌たち―雑誌メディアと戦時動員」に足を運んでみた。メディアをシンポジウムのテーマとする教育史学会の開催に合わせて、この特別展は企画された。今月24日まで開かれている(10:00~17:00)。入場は無料。10月15日付の毎日新聞河北新報には、この展示に関する記事が掲載された。大学外の一般の方も関心をもたれているようだ。
 戦時中の雑誌には、まさに「メディアは武器」という意図が貫かれている。事実、そのような趣旨の文句を雑誌中から拾うこともできる。さすがに四コマ(国策)漫画に関しては笑いのツボを共有できなかったが、いろいろな表現による戦時教化の実態(どのようなプロパガンダを行ったか)を読みとることができる。

 個人的な感想としてとりわけ強く感じたのは、〈女性の力〉である。
表紙に描かれた女性(子どもも含めて)は、美しく健康的で溌剌としている。勤労女性として、母として、「優しさ」と「強さ」の象徴としての女性像が、視覚メディアを通して迫ってくる。もちろん、それらは意図的に作られた、いわば発明された女性像だが、それだけ切実に〈女性の力〉が必要とされたことの証左ともいえる。
 しかも、〈女性の力〉は戦前にとどまっていない。敗戦直後の雑誌メディアからも、その輝きを確認できる。敗戦直後に出された雑誌には、例えば、『月刊母親学校』(昭和21年3月1日~)、『女性』(昭和21年4月1日~)、『新婦人』(昭和21年4月1日~)、『主婦と生活』(昭和21年5月1日~)、『女性改造』(昭和21年6月1日~)といったものが挙げられる。『婦人倶楽部』、『主婦之友』といった雑誌も戦時から継続して刊行されている。数的にみて決して少ないとはいえないのではないか。
 この〈女性の力〉を考えるうえで、鶴見俊輔が語った、以下の言葉は示唆に富んでいる。

生活について、より大きな責任を負うとともに、家事全体を自分たちがとりしきる能力があるという自信をもって、主婦たちは、戦争を終りを迎えました。彼女たちに対して、男性本位の立場から命令を与え続けてきた日本帝国政府は、降伏しました。そして男たちは自信を失いましたが、女たちは、自分たちとその子どもたちとその他の家族全体を、夫たちを含めて、その命を保っていくという日常の仕事をいままでどおり続けていきました。このことは、彼女たちにこれまでの近代日本でいまだかつて経験したことのない権威を与えました。「わたしが一番きれいだったとき」という詩を、茨木のり子(一九二六- )は、書きました。彼女は日本が降伏のとき一九歳でした。この詩は、敗戦直後の時期に多くの女性たちによって共有されていた高揚した自信に満ちた気分を表現しています。
〈註〉鶴見俊輔『戦時期日本の精神史』岩波現代文庫、2001年(初版1982年)、202ページ。

生きるために誰もが法を犯さざるを得なかった戦争末期-敗戦直後、女性たちは現存の国家の秩序と正面から対決するのは避けながらも、その公認の秩序に取り込まれることなく「暮し」を成り立たせていた。「戦時日本国家の中に包み込まれていない、そこからはみ出すような思想を実際上使いこなして」いた(同上、203ページ)。

 混乱や疲弊の中でこそ〈女性の力〉が華やかなものとして際立ってくるとしたら、現在の「男女共同参画」の動向もまた必然的なものといえるのだろうか。また、現在多くの雑誌で見受けられる、表紙を女性グラビアで飾るというケース―これも戦前からの〈女性の力〉との関わりで捉えられるものなのか。そんなことを考えてみる。

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教育史ノート」カテゴリの記事

コメント

ブログの方にリンク貼らせてもらいました。
(拘泥場所としてのブログですが^^;)

「女性の力」について。
天野正子『「つきあい」の戦後史』(2005 吉川弘文館)の中で、主婦たちの「生活をつづる会」について書かれた項がありました。
「(1950年当時―引用者註)日本の主婦には自分の自由になる収入はもちろん、時間もなければ鍵のかかる『私だけの部屋』もなかった。内職や家事労働に追われる日々の生活の連続線上に、それも、家族や隣近所の目に自分をさらしながら、生活を見つめ記録していく。・・・」
この後も好きなんだけれど、この記述を読んで、女性のすごさと、書く・考えるということへの意味づけの強さを感じました。

投稿: ゆう | 2005/10/22 17:23

先日、ふと水戸黄門にチャンネルを合わせたら、小粋な娘3人がチンピラ相手に大立ち回り。劣勢になったところに助さん・格さんが登場し、そして三人娘は男たちを追っ払った。「おととい来やがれ」と言わんばかりの誇らしげな娘たちの顔。女性が強く、社会を引っ張る。そんな現代社会の女性像が反映されているように感じたなぁ。

君と僕の論文が載るCOE叢書が来月出るね。そこに僕は戦時中の「婦人常会」について書いたよね。「時代を語る雑誌たち」にも展示されていた雑誌「常会」を使った論稿。国策で女性だけの「婦人常会」が否定されつつも、実態としては全国的に広がる。それを後追いの形で公認し、「婦人常会指導者講習会」を開催する。銃後の担い手とされた女性たちの、国策の想定を超える、いわゆる主体性の発揮を垣間見た。双方があいまって銃後の担い手としての女性層が形成されていった。そんな論旨だった。なんだか「婦人常会」に現れた女性の活力が、戦後の女性像を準備していたとも言えそうだね。戦後、GHQの指示による内務省訓令で常会は廃止になるけど、そんな風に考えると「婦人常会」の社会教育史上における存在意義も浮かび上がってきそう。いろいろと考えさせられたよ。ありがと~~う。

投稿: すだまさし | 2005/10/22 23:55

 ゆうさん、すだまさしくん、コメントありがとうございます。
 今回展示されていた雑誌は、研究対象としてもかなり貴重な資料群でして、発案者のカジヤマ先生もこれを題材に読書会をやりたい(が、体は一つなのでちょっと厳しい)と言ってました。もちろん、〈女性の力〉の他にもいろいろな特徴を読みとることができると思います。そこに光をあてるだけの=史料をして語らしめるだけの眼→(-.-)を持ちたいものです。

>ゆうさん
天野正子『「つきあい」の戦後史―サークル・ネットワークを拓く地平』は、チェックしていた(がまだ読んでいない、手にも取っていない)本です。近いうち(といっても約束はできませんが)読もうと思います。
ブログ、拝見させて頂きます。

>すだっち
次第に婦人常会の形式が一般化していく過程は、すだっちの考察(COE『研究年報1』)の限り、なしくずし的という印象を受けます。
が、当事者である女性(主婦・婦人)側からすると、国策に動員される(場合によっては積極的に協力する)一方で、それを受け流し、生活の主体として自前の生き方を図太く守っていたのだろうとも予想します。

投稿: タカキ | 2005/10/24 23:49

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