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A penny seved is a penny earned.

―塵も積もれば山となる

 年越しを控えて、部屋の大掃除を行う。長いこと、部屋の掃除をしていなかったので、出るわ出るわ、ものすごい量の塵や埃や染みや油汚れや抜け毛が。頼んだわけでもないのに、どうしてこんなにたまるのか。
 1DKといえど、侮れない。終えるのに4時間ぐらいかかってしまった。日頃からマメに掃除しておけば、もっと楽になったものをと悔やんでも、後の祭りである。しかし、だからこそ、たまりにたまったものをきれいさっぱりした後の達成感・爽快感もまた一入だとみることもできる。
 どちらがいいかは、好みの問題だが、自分は前者を希望する(現状は、いつも後者)。いつだったか、部屋をほったらかしにしたツケが、床虱の繁殖となって自分を襲ってきたときはショックだった(バルサンで退治)。なにしろ、しつこい汚れは放っておくと簡単に落とせなくなり、とんだ苦労(ときに無念)を味わう。そして、その苦労が、テレビのお掃除裏技企画などへの関心の増幅につながる。「洗濯機の汚れにお酢」とか「窓ガラスを新聞紙でふく」といった、次々と繰り出される裏技に妙に感心し、思わずメモをとる自分がいることに気づくようになる。と、こんなふうに書くと、何だか後者をずいぶん持ち上げてしまっているような。いずれにしても、余計な苦労を味わわないために、ちょっとした掃除を継続的に行う習慣は付けておいて損はない。義務教育時代は、毎日授業後に掃除をして(させられて)いたが、その訓育はまったく今の生活に生かされていないと自覚した。

                ◇

 昨年12月からブログを始めて、早一年(第一回は「自分の『眼の構造』(その1)」、2004年12月12日)。今回でちょうど100回目の記事作成となった。キリがいいので、今年はこれで書き納め。
 場末のブログにお付き合い下さった方々のご厚情に感謝します。

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「象牙の塔」の中の懲りない面々

顔見知りに気づかれないように、ひっそり運営しているこのブログ。
しかし、“また”、新たに読者が身近にいることが発覚した。
もちろん、こちらからはブログの存在を匂わせたことなどないはずである。
いやはや、ネットってオソロシイ。
うかつに専門用語など使えない。
文章を書くにあたってリアルな読み手を想定できるというのは、文章修業としては好条件なのだが、正直、プレッシャーです、ハイ。

               ◇

 白雪の満員御礼もようやく落ちついた月曜の夜、ジェ○ダー法学会の打ち上げにお呼びいただく。
学会の運営を評価するのに、「空前絶後」という形容のしかたがあること、
でっかいおにぎり(こちらのHP http://www.k2f.jp/love-me/ で確認できます)を食したこと、など印象に残ったことは多い。
だが、それらを記憶の片隅に追いやってしまうほど強烈だったのは、
わが親愛なる師、Tの獅子奮迅っぷりに関するお話である(ご迷惑をおかけしてます)。
T先生の、TPOを一顧だにしないご活躍は、もはや一学問(学部)の垣根を超えて学際的様相を呈している。
あくまで聞いた話で自分はその場にはいなかったのだが、先生の行為(実践)を分析すると、

・自分の肉体という、誰にも共通する身近な事柄(共通の足場)を土台として話をすすめていく(学問の世界に長くいればいるほどむつかしくなる行為である)。
・自分の腕にはムダ毛がない、と微細な点にも目配りをできるよう聞き手に注意を促す(聞き手の観察眼を深化させる、「ミ!テ! ミテ、ミテ!」と)。
・腕相撲をすることによって、思考を頭でのみ楽しんでしまいがちな学者・研究者たちに、身体全体を使った、もう一つの知の習得プロセス(まさに「わざ」から知る)があることを気づかせる

といった具合に整理できよう。まったくもって、自分には真似できない高度な芸当である。
T先生とは、話題には事欠かない、得難き存在である。さすが、○間書房から最年少で本を出版し(本人言)、旧帝大教育学系で最も若い助教授となっただけのことはある。
そして、さらに世界の広さを感じさせるのが、
そんなT先生も、ウチの講座の中では「不動のクリーンナップ」「三羽烏」「フラット3」「サンバルカン」…、表現はどうでもいいが、その一人に過ぎないということである。

 以前、「『「象牙の塔」の中の懲りない面々』という写実文学を著してみたい」と仲間内に言ったことがあったが、しゃべったことをすぐ忘れてしまう自分も、この言葉だけは今もしっかり覚えている。
 このブログが、本人の眼に触れないことを願う(いや、誉めてますから)。

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Valuable Documents に囲まれて

 火曜、水曜と玉川大学の学園史料室へ調査に向かう。訪問した12月13日が、創立者小原國芳の命日(1977年12月13日)であったことを、行ってから気づく。学園史料室は小原記念館を兼ねており、「おやじ」こと小原翁が生前住んでいた住居が使用されている。最近改装されたばかりとかで、自分は改装後学外入居者第一号となった。
 一室をお借りして、創立以来の機関誌『学園日記』(のちに『労作教育研究』と改題)を拝見する。おそらくここにしかない貴重な史料である。
『日記』を通して見えてきたこと、それは、創立当初の学園にとっては、まさに学園づくりこそが教育実践であったということである。
まだ何もない土地を校地として開墾・整備していくことから、学園の教育がスタートしたといっていい。そして、市街地から隔離された中での生活に、教師と子どもがともに順応していくことがそのまま教育実践となっていた。
学校経営の面においても、雑務に小使は雇わず、すべて「塾生」(当時は「玉川塾」とも名乗っていたことから)によってまかなう(学生による当事番は戦後も継続していたと聞く)。
『学園日記』の執筆・製本・配送の作業に大人・子ども関係なく参加する(たとえば、「学園日記抄」の欄には、学園児童の記述も登場する)。
食事も当番制で作り、皆で一緒に食べる(食材も自分たちが「労作」で育てたもの)…等々。
 そのほかにも、小原と小西重直を乗せた車があやうく電車に轢かれそうになり、怪我を負った事故のことなど、文献からはまず見えてこない教育者たちのエピソードを垣間見ることもできる。
 そして、また見つけてしまったI橋ネタ。米山重助「西目村の教育(一)」同「(二)」なる論考が出てきた。玉川学園では、西目のほかにも全国の「労作学校」を調査しており、研究会も継続的に実施している。そこに見えてくるのは「労作教育研究拠点」ともいうべき同学園の位置ではないか。
加えて、同学園には、徳富蘇峰や西田幾多郎ほか、海外からも著名人が多数訪れている。国際的な教育情報の発信源としての機能も果たしていたのではないか。「(大正)新教育のその後・30年代的展開」を考える上で、玉川の果たした役割を分析することの重要性―『日記』を見ていて、そう考えた。

 水曜日は、教育学部長さん(小原翁の秘書をしていた)が学生さんたちを連れて記念館を見学に来られたので、一緒に交ぜてもらう。生前小原が使っていた書斎などを案内していただく。これもめったにない貴重な体験であった。

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夢想神伝流居合が紹介されてるよ

  すだっちのブログ「すだ公民館-教育学と居合道の旅路-」経由で、「武芸の里を訪ねて」(山田英明氏筆、福島民友)というサイトを知る。福島県各地で継承されている多様な武芸が紹介されている。記事を読んではじめて、その存在を知る武芸もあった(霊山地方に伝わる棒術があることなんて知らなかった)。
 自分が稽古している夢想神伝流居合についても載っている。
・「武芸の里を訪ねて【9】 夢想神伝流居合(上)」11月30日
・「武芸の里を訪ねて【10】 夢想神伝流居合(下)」12月7日
http://www.minyu.co.jp/bugei/bugei.html
 
「居合を稽古してます」とは言えても、その流派まで含めて一般の人に説明することは、技もろくに理解していない自分にとって難しい行為である。その点、山田さんの文章は平易な言葉ででわかりやすく書かれているので(一般の読者を「想定」した文章を書かれているはずだから)、「ムソウシンデンリュウって何?」という方にはオススメ。
 何より自分自身、勉強になった。全部で95も形があるんだなぁ、と。自分はまだその4分の1ほどしか知らない。居合の道はまだまだ奥深い。
 なのに、今年(とりわけ後半)は、学会だ何だで「時間がない」と稽古を休みがちだった。「今年の後半は(稽古の)集まりが悪かったなぁ」と、金曜日の稽古後、先生はぼやいてた。
 「時間」は生み出すもの。それも稽古の一つとして考え、来年も精進しよう。とりあえず、今日は何とか時間を作って、同好会の稽古納めに(途中からだが)間に合った。

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バタバタ(2)

 実家の近くに旅客機が墜落するのを目の当たりにする、そんな夢で目が覚める。あまりにひどい目覚めである。しかも、こういう夢に限って覚えていたりする。いったい、どんな深層心理の表れか。夢の中でもバタバタしていた。

 そんな昨日は、太白区の中田小学校へ、指導教員、I橋さんと資料調査に行った。
 この小学校では、昭和初期にあたる1930年代、郷土教育を熱心に研究・実践していた。『宮城県教育百年史』には、同校に関する記述が登場する。
 この学校にどのくらい史料が残っているのか確認したい。そう指導教員に申し出たところI橋さんも行ってみたいと応じたので、では皆で行こうということになった。そう、申し出たのは郷土教育を研究しているI橋さんではなく、自分なのである。なぜこの学校に着目したのか、それを説明すると少し長くなるので、ここでは省略するが、とりあえず、自由教育の30年代的展開を考える場合、どうしても郷土教育に触れざるを得ないとだけ述べておこう。
 結果的に、三人で行って正解だった。かなりの数の史料が保管されていた。これには三人とも驚いた。「まさかこんなにあるとは!」。とても短時間で対応しきれる量ではない。空段ボールをもらって詰め(A4コピー紙の空箱7箱+αにもなった)、大学に持ち帰り、コピーすることとなった。快く史料を貸し出して下さった校長先生の期待に応えなければならない。
 約束した期限は10日間。とりあえずは、リストの作成からである。大変だが、まだだれも考察していないとなるとワクワクする(ただし、論文化したかどうかは不明だが、あの出版史料研究家N邊S也さんがかつてここを訪れ、手書きの蔵書目録を作っていたのがわかった。話を聞く必要がありそうだ)。

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バタバタ(1)

 師走だからというわけではないが、先週末から慌ただしい日が続いている。
金~日は、ジェンダー法学会のお手伝い(腐れ縁)。撮影・録音業務を行う。
異なる分野の学会がどのようなものなのか、興味があった。
 即座に一般化してはいけないだろうが、個別報告の位置付けが(少なくとも自分が所属する教育系の学会に比べて)かなり大きいというのが印象に残った。シンポジウムと同じ会場、分科会は一つ、報告者は二名。報告時間は質疑応答も含め、一時間ほど。報告を聴くのは、その道の専門家たちばかり。そのうえで、一人壇上で視線を浴び、孤独に闘うわけだから、報告する側には相当入念な準備と覚悟が要る。鍛えられる環境である。同じくスタッフ業務に携わった法学研究科の院生に尋ねたところ、単に報告者が少ないというだけでなく、このような雰囲気の学会はこちらでは他にもあるとのことであった。
 学会全体を通してよく耳にしたのは、バックラッシュへの危機感、およびそれへの対応に関する言葉であった。地方から画期的な法・政策を立ち上げ、援助し、また学問的見地から理論化し、国も認めざるをえないというところまでもっていこう、そんな熱意が伝わってきた。集っていた人たちは、まさに各地域の男女共同参画推進に直接携わり、活動を展開しているパワフルな人たちであった。そういうパワフルな人たちの中にいると、そのテンションに負け、いつしかこちらの力まで吸い尽くされてしまう。加えて、早起きに慣れていない(目覚ましを三つ使用)軟弱な自分にとっては、かなり疲労感を味わった週末だった。

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勝手に補足[郷土教育と北方教育]

 川合章『日本の教育遺産―真実を求める教師たち』(新日本出版社、1993年)を読んでいたら、「秋田県由利郡で開かれた『生活教育研究会』」(第二部「三、社会像をめぐる苦悩―野村芳兵衛の場合―」、144頁)という記述を見つけた。野村と北方教育の出会いについて述べられている部分である。
 残念なことに、その研究会の詳細についての言及は同書ではなされていない。野村芳兵衛がこの研究会に参加したのかどうかについて、自分は文脈から判断することができなかった。 註に挙げられていた、佐々木昴「生活教育に関連して―小川・野村氏の論戦―」(『北方教育』第8巻16号、1936年2月、2-5頁)を読めば、はっきりするかもしれない。

 いずれにしても、由利郡で(おそらく1930年代に)「生活教育研究会」が開かれていたことは注目すべきである。
 先日の地方教育会研究会でI橋さんから、由利郡西目村で展開された郷土教育についての報告を聞いた。その際、K間先生が、郷土教育と北方教育・生活綴方との関係(交錯性)について質問された。これについて、由利郡のような南部ではあまり北方教育は盛んではなかったのではないかという趣旨の指摘も出されたが、やはり両者をめぐっては、全県単位で、何かしらの関係が構築されていたと見たほうがよいのではないか。
 この記述をI橋さんに紹介したら、由利郡でも教員の検挙事件はあった、以前も先生から指摘されたけどこの問題はやはり避けては通れないか……との反応が返ってきた。でも、この難題が解けたらスゴイですよ。

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悩ましい「時間」(またしても)

ほんとうの時間というものは、時計やカレンダーではかれるものではないのです
―ミヒャエル・エンデ(大島かおり訳)『モモ』岩波少年文庫、2005年、317-318ページ。

 もう今年も一ヵ月を切った。研究のための生産的な時間をこの一年間送れたのかどうかは、かなり疑問である。「時間がない」といって研究の中身を「ケチケチ」したものにしていないか、大いに反省しなければならない。論文締切はカレンダーで確認できるが、それまでに時間をどう使うかは、自分次第である。自分がこれまでに失った時間を取り戻せるかどうかも、これからの時間をどうするかにかかっている。
 結局、今回は論文投稿を見送った。テーマに沿ったものを出そうとすれば、詰めなければならないことがありすぎた。「ケチケチ」して粗雑なものを出すことはできない。
 そこでまず、テーマをもう少し限定し、『研究年報』での考察を経て、もう一度大きなテーマに戻ろうと思う。これが自分にとって有効な時間の使い方なのかどうかはわからないが、良いモノをつくりたい気持ちは変わらない。
 それ以上に今頭を悩ませるのは、こうしてエントリーを書いている時間が、ということ……

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