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 火曜、水曜と玉川大学の学園史料室へ調査に向かう。訪問した12月13日が、創立者小原國芳の命日(1977年12月13日)であったことを、行ってから気づく。学園史料室は小原記念館を兼ねており、「おやじ」こと小原翁が生前住んでいた住居が使用されている。最近改装されたばかりとかで、自分は改装後学外入居者第一号となった。
 一室をお借りして、創立以来の機関誌『学園日記』(のちに『労作教育研究』と改題)を拝見する。おそらくここにしかない貴重な史料である。
『日記』を通して見えてきたこと、それは、創立当初の学園にとっては、まさに学園づくりこそが教育実践であったということである。
まだ何もない土地を校地として開墾・整備していくことから、学園の教育がスタートしたといっていい。そして、市街地から隔離された中での生活に、教師と子どもがともに順応していくことがそのまま教育実践となっていた。
学校経営の面においても、雑務に小使は雇わず、すべて「塾生」(当時は「玉川塾」とも名乗っていたことから)によってまかなう(学生による当事番は戦後も継続していたと聞く)。
『学園日記』の執筆・製本・配送の作業に大人・子ども関係なく参加する(たとえば、「学園日記抄」の欄には、学園児童の記述も登場する)。
食事も当番制で作り、皆で一緒に食べる(食材も自分たちが「労作」で育てたもの)…等々。
 そのほかにも、小原と小西重直を乗せた車があやうく電車に轢かれそうになり、怪我を負った事故のことなど、文献からはまず見えてこない教育者たちのエピソードを垣間見ることもできる。
 そして、また見つけてしまったI橋ネタ。米山重助「西目村の教育(一)」同「(二)」なる論考が出てきた。玉川学園では、西目のほかにも全国の「労作学校」を調査しており、研究会も継続的に実施している。そこに見えてくるのは「労作教育研究拠点」ともいうべき同学園の位置ではないか。
加えて、同学園には、徳富蘇峰や西田幾多郎ほか、海外からも著名人が多数訪れている。国際的な教育情報の発信源としての機能も果たしていたのではないか。「(大正)新教育のその後・30年代的展開」を考える上で、玉川の果たした役割を分析することの重要性―『日記』を見ていて、そう考えた。

 水曜日は、教育学部長さん(小原翁の秘書をしていた)が学生さんたちを連れて記念館を見学に来られたので、一緒に交ぜてもらう。生前小原が使っていた書斎などを案内していただく。これもめったにない貴重な体験であった。

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