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稽古仲間の皆様へ―結成総会のお知らせ―

 居合道稽古の愉快な仲間(イアイダー)たち、改め、「仙台武会」会員の皆様へ、業務連絡です。

来週は、同会の結成総会、および新年会が開催される予定となっています。以下、詳細について転載します。会員の皆様は、ご参加ください。

           記

   日時  2月3日(金)  19:00~

   場所  「はなの舞」(仙台駅東口、Zepp仙台となり)

   会費  3,500円

  ※集合は、いつもの像の前で、18:45までに「来てね」(S[H?]S先生記す)。

いよいよ、新体制の船出です。

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堀江社長逮捕をめぐる報道に接して

  ここ最近の報道番組は、 堀江貴文「容疑者」をめぐるニュース一色である。
その注目ぶりをみるにつけ、“ホリエモン”の人物像よりも、そんな彼の裸の王様ぶりをわれわれに認識・経験させる仕組み・媒介物としてのメディアの影響力を再認識させられる。報道では「時代の寵児」と彼を表現しているが、「(マス)メディアの寵児」といったほうがより正確なのではないか。

 堀江氏の経営手法には、熱烈な大衆からの支持の一方で、同じ経営者からの反論が多く寄せられてきた。その一つは、堀江氏自身が、株取得や企業買収などを通して自社の規模拡大をはかる一方、企業価値の根本である〈商品〉については、実際のところ、たいしたモノを生み出してきていないのではないか(商品を魅せる仕掛けを作ったかもしれないが)、という疑問に端を発するものだったと理解している(とりわけ、ニッポン放送株取得・メディア企業の買収に乗り出したときに、既存のメディアの側からそれを指摘されたのでは)。

 だが、そんな堀江氏にこれまで多くの大衆から支持が集まったという現象(今もなお。彼のブログ『社長日記』→『堀江貴文日記』のコメント欄・トラックバックは洪水状態)は、熟考に値すると思う。TBSのニュース番組「News23」で、筑紫哲也氏と渡邉恒雄氏の対談が二夜にわたって放送されていた。堀江氏のことにも触れながら進んだ今回の対談。全体としてある種の「危機感」を今の日本に感じているという点で、二人の意識は共通していた。
 だが、「危機感」というならば、堀江氏を選挙、球団買収等で支持した人たちも、同様の意識に促されて行動に出たはずである。そう考えたとき、その多くの人たちを堀江氏支持へと突き動かした深層にあったのは、どのような思考様式だったのだろうか。
 今回の事件、堀江氏への視線をめぐる大衆の意識の底流にあるもの、それを探っていくと、戦前日本の精神史(とりわけ、大正から昭和にかけての動揺期)と共通する何かを想定したくなるのだが、あくまで憶測である。ちょうど、K山先生から鹿野政直『大正デモクラシーの底流―“土俗”的精神への回帰―』(NHKブックス、1973年)を借りて読んでいたので、そう思った次第である。でも、まったくの的はずれでもないように思う。きちんと読まないことには、何とも言えないが。

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東北大学教育学部の受難に関するメモ

 法人化以降、大学の経営や研究体制をめぐる変化は、かなりのスピードで進行し、多くの情報が大学のHPを通じて開示されてはいるものの、その量は眼を通すのも困難なほど膨大である。
 なかでも、教育学部・研究科に関わる大きな話題といえば、教育専門職大学院(プロフェッショナル・スクール)設置へむけて議論が進められていることである。
構想の詳細については不明だが、それでも、「既存の大学院との間の差別化をどうはかるのか」、「同大学院の設置が、既存の研究科、研究コース(講座)に与える影響はあるのか(例えば、講座 の改編などのような事態が起こってくるのか)」、「専門家の育成が、既存の大学院の研究・教育体制では達成できないとすれば、それはなぜか」、「これまでの大学教育・大学院教育に関するどのような問題認識の上に、同大学院構想は成り立っているのか(もちろん、大きな理由は入学者数、定員数の確保だと思うが)」、などの問いが浮かんでくる。
 研究が、教育現場の実践を批判・修正し、新たな実践を創り出すのに寄与しているどうか。教育学には絶えずその課題がつきまとう。「教育改革」の煽りによって、教育学部はたえざる自己変革に追われるという不安定な立ち位置を余儀なくされる。しかも、大学における教員養成は教育学部だけで完結することはできず、どうしても、教科専門科目の面で他学部の協力が不可欠となってくる。

                   ◇

 東北大学教育学部の創設は、全国的にみて、特別(「ユニーク」)な事例とされる。

戦後、本県における義務教育教員養成は宮城師範学校を包摂することによって東北大学教育学部が行うことになった。東北大学教育学部の構想した教員養成方式は、旧帝国大学の学問研究と教員養成の統一を課題とし、努力目標とするものであった。しかし、それは至上命令であるCIEの「一県一大学の原則」により、〔「宮城学芸大学」としての―引用者注〕独立を強く望んでいた宮城師範学校を迎え入れる条件の整っていない東北大学に包摂せざるを得なくなったことから構想されたといえるものであった。(宮城県教育委員会『宮城県教育百年史 第三巻(昭和後期編)』ぎょうせい、1957年、974ページ)

 全国のほとんどの師範学校が、地域における専門学校、高等学校などと合併して学芸学部、教育学部になり、旧帝国大学がすでにあった大都市では独立の学芸大学となった。だが、宮城師範学校の場合は特別であった。ここだけは、東北「帝国大学」の〈なかに〉放り込まれた。
 旧帝国大学で、積極的に教員養成の方針を打ち出したこと(「細谷構想」)は、全国的に注目されたが、一方で、「学術研究」と「教員養成」の関係をめぐる問題も顕在化するようになった。
 1943(昭和18)年までは県立の中等学校にすぎなかった師範学校の包摂には、大学全体(旧制二高も含む)を通して、反対の空気が強かった。創設当初の教員養成は、前期二年を教育教養部(旧師範学校)とし、後期二年、教科専門の指導を文学部、理学部などの専門学部に委託する方式であった。この方式によって、各学部では教育学部生たちへの配慮が必要となってきた。例えば、理科系の実験、実習では、設備の点で障壁に行き当たった。そのような状況下で、教育学部生たちは、質の高い講義などに接近することができるという喜びの反面、屈辱的な差別を受けることとなったという(横須賀薫「『大学における教員養成』を考える」藤田英典・黒崎勲・片桐芳雄・佐藤学編『教育学年報9 大学改革』世織書房、2002年、211ページ)。1965(昭和40)年、東北大学は教員養成課程を分離して宮城教育大学が設置され、今日に至っている。

 「学術研究」と「教員養成」との関係が問われる場合、これまでは常に「学術研究」(教科専門科目とは名ばかりの)と何の関連ももたないかたちで「教員養成」が展開されてきたといってよい。
 プロフェッショナル・スクール構想が、この現状に、どう応えるものになるのか。研究科としての見解を、ぜひ聞いてみたい。

〈参考文献〉
東北大学教育学研究科編『東北大学教育学研究科・教育学部の歴史』東北大学教育学研究科、2004年。

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「桃太郎」教材化の過程に関するメモ

 水曜日、「トリビアの泉」のスペシャル、「最強の国民ランキングSP!」をみた(4時間しっかり見てしまった)。
ここのところ放送を見逃していたので、ほとんどのトリビアが新鮮だった(ネタそのものを忘れてしまっていたのもあるかも)。
一青窈「もらい泣き」の再生速度を遅くすると、平井堅が歌っているように聞こえるというのには感動した(もらい泣きはしなかったけど)。「カブト祭り2005」をもう一度みることができたのもよかった。

さて、ここで一つ取り上げておきたいのは、
「桃太郎は桃からではなく、桃を食べて若返ったおじいさんとおばあさんの間に生まれた」とするトリビアである。
これに関して、
「1887(明治20)年、『桃太郎』を国定教科書に載せるときに修正された」
という桃太郎資料館の方の説明が加えられていた。
だが、この説明には誤りがある。
教育史を学んだことのある人間であれば、すぐ気づくはずである。
(小学校)教科書の国定化は、1904(明治37)年からはじまる。1887(明治20)年より、10年以上後のことである。だから、上記の説明には時期のズレがある。
文中、「国定」が「検定」であれば、問題はない。
検定制が確立するのがこの時期である(森文政下の明治19年4月、「小学校令」に「小学校ノ教科書ハ文部大臣ノ検定シタルモノニ限ルヘシ」と規定。同年5月、「教科用図書検定条例」および「小学校ノ学科及其程度」に学習内容を明示。翌20年に「教科用図書検定規則」、といった具合)。
だが、「国定」のほうは正しく、「1887年」のほうが間違っているという可能性もある。

 そこで、私も「実際に調べてみた」。
やはり、「国定」ではなく、「検定」のほうが正しい。
そして、その検定教科書とは、『尋常小学読本』巻之一(文部省著作、1887年、第二十六~二十八課)のことを指す。なお、国定教科書での最初の「桃太郎」話の採用は、第二期本(『尋常小学読本』ハタタコ読本・黒表紙、および『尋常小学国語読本』ハナハト読本・白表紙、1918年~)である。
したがって、正確には、
  この『尋常小学読本』以後、我々になじみ深い「桃太郎」のストーリーが普及するようになる。そして、その普及は全国統一の国定教科書への教材化によって、さらに加速する。
ということになろうか。
 桃太郎資料館の館長の記憶違いは、国定版「桃太郎」の影響が現代の我々にはもっとも強いという認識から起こったのではないかと推測する。
 そして、さらに深読みすれば、それは、主人公の出生が回春型(桃太郎は、桃を食べて若返った夫婦から生まれたとするもの)から果生型(桃太郎は老婦人が川から拾ってきた桃から生まれたとするもの)へ移行しただけでなく、ストーリーの中核としての「桃太郎」像にも転換があったことを示唆したものと考える。陽気な侵略者から善なる侵攻者への転換といった具合に。

『尋常小学読本』巻之一(1887年・明治20)、「第二十七課」
「ある日、 ぢぢ ばば に 向うて、『私 は、 鬼がしま へ、 たから物を 取り に 行きたい』 と いひました。」
     
『尋常小学国語読本』巻一(1918年・大正7)

「オニガシマ ヘ オニセイバツ ニ。」

〈註〉井上敏夫編『国語教育史資料 第二巻 教科書史』東京法令出版、1981年。

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〈時間貯蔵庫〉はどこに

 論文(卒論・修論)提出ラッシュは一段落した。 心配されていた何人かの学生も皆(M4の彼も)無事に提出したようだ(だが、わが専攻の「年中行事」はこれからがヤマ場のような気がする。絶対一波乱あると、そう確信する。まだまだ目が離せない。←以上、コアな内輪ネタ)。
争いを終え、平静を取り戻した演習室は、紙屑だの何だので散乱している。
それを毎年片づけるのは事務補佐員である自分の役割である。

 それも一段落したところで、森岡孝二『働きすぎの時代』(岩波新書、2005年)をよむ。いろいろと思うところがあって手に取った一冊である。
 この本で森岡氏は、「世界の労働時間は一九八〇年代以降、それまでの減少傾向が止まり、再び増大に転じつつある」と指摘している。本書のタイトル通り、いまや世界規模で「働きすぎの時代」に突入しているというのである。
 では、なぜ「働きすぎの時代」になってきたのか。著者は、その要因を現代の高度資本主義の四つの特徴から把握しようとする。①「グローバル資本主義」、②「情報資本主義」、③「消費資本主義」、④「フリーター資本主義」の四つである。

①グローバリゼーションが進む中で、途上国をも巻き込んで世界的に競争が激しくなり、日本やアメリカやヨーロッパ各国の労働者が、中国その他の途上国の労働者と賃金の引き下げと労働時間をめぐって直接に競争させられ、結果として、賃金引き下げと労働時間の延長に迫られている。

②情報通信技術の発達が、新しい専門的・技術的職業を生み出す一方で、多くの部面で業務を標準化するともに単純化し、雇用形態の多様化と業務のアウトソーシング(外部委託)を容易にして、正規雇用の多くを非正規雇用に置き換えることを可能にし、その結果、雇用を不安定にしている。
 そればかりか、パソコン、携帯電話などの新しい情報ツールは、仕事の時間と個人の時間の境界線を曖昧にし、経済活動のボーダーレス化や24時間化を促進することによって、むしろ労働者の仕事量を増やしている。

③生活水準が向上し、マスメディアが発達した今日の大衆消費社会では、人々は絶えず拡大する消費欲求を満たすためにも、消費競争のなかで自己のアイデンティティや社会的ステイタスを表現するためにも、より多くの収入を得ようとして(あるいは賃金のより高いポストに就こうとして)、より長くハードに働く傾向がある。それとともにコンビニや宅配便に象徴される、利便性を追求するサービス経済の発展が消費環境を変化させ、過剰なサービス競争を生み、働きすぎの新しい要因をつくりだしている。

④日本では1980年代の初めから、労働分野の規制緩和と労働市場の流動化が進められ、若年フリーターだけでなく、中高年も含めて、アルバイト、パート、派遣などの非正規雇用労働者が増加してきた。その結果、雇用形態が多様化するとともに労働時間が二極分化し、週35時間未満の短時間労働者が増える一方で、絞り込まれた正規労働者のあいだで週60時間以上働く長時間労働者が増え、30代の男性を中心に正社員の働きすぎが強まってきた。

 この四つの視点から、日本における過剰労働の現状が分析される。それは、フリーターやニートの問題、あるいは労働時間や賃金をめぐる男女格差の問題に、重要な示唆を与えるものである。
 そして(この本の大きな特徴であるが)、結論部において著者は、「労働時間を短縮し、過重労働をなくすために―働きすぎ防止の指針と対策」を示し、労働者、組合、企業、行政に訴えている。末尾には、「全国労働局・労働基準監督署一覧」「雇用・労働・労働時間関連サイト一覧」が掲載されている。
 
 著者が示すような社会の現状に対し、そのような「働きすぎ」の社会に人材を送り出す側にいる教育関係者はどういうスタンスをとればいいのだろうか。教育学部にいる人間としては、同書を読んでいてそのような問題を考えざるを得なかった(森岡氏も、大学教員として学生を社会に送り出すという自身の立場を、同書執筆の一つのきっかけとしている)。
 今年の卒論・修論には、進路指導(職業指導・キャリア教育)をテーマとするものが複数あった。彼(女)らは、自らの主観的願望から発せられた切実な問題認識をして、そのようなテーマを設定したのだろうと推測する。

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実験装置を拵えるのは難しい

 正月休みも明け、昨日からさっそく大学で事務補佐の仕事。
この時期、自分の所属学部は慌ただしい。卒論・修論の提出時期だから(自分は「年貢の納め時」と呼んでいる)。
さっそく、S津君から卒論指導の依頼を受ける。気がづいたら、5時間も付き合っていた。彼をさらなる混乱に陥れてやった(イタバシさんと共謀)。ああ、何て優しい先輩なのだろう。彼は昨夜一睡もできなかったらしい。
 彼が犯した過ちは、教育実践の分析が簡単にできると踏んでいたことである(※)。しかし、そんなのは、第一線の研究者だって難しい。
 実践を論じる上で難しいのは、どのような分析視点をたてるか(=実践のどこに着目するか、どういう切り口でみるか)ということである。いわば、実験装置の組み立てから行わなければならない。その視点に立つことによって、肉眼では見えない、実践がもつ構造(顕微鏡に喩えれば、物質の構造)が鮮やかに見えてくるかどうかが問題のはずだから。しかし、自前の実験装置を拵えて、それをやろうとなると、きわめて難しい。
 所与の装置を使うにしても、それを使いこなすのは、顕微鏡をのぞき込むのと同じようには行かない。自前にしろ、借り物にしろ、実験装置は自分の脳内に自力で拵える以外に途はない。そして、取扱説明書(理論)を書いているのは、デューイ(「経験」という概念装置の説明書)やペスタロッチィ(「直観」という概念装置の説明書)だったりするのである。彼らが見たのと同じ「眼」でもって、眼前の実践を見てみる(「彼らが今の時代に生きていたらどう見るだろう」と考えてみる)ということが、どれだけ至難の業であるか。それだけで、一つの研究として成り立つ。
 実践を分析するためには、それに使う実験装置(分析視点、理論)の機能を理解するだけでなく、実際に使いこなせるようにならなければならない(あたりまえだが、それは実験の前段階にすぎない。自然科学系の研究で、実験装置の説明で考察を片づけてしまうものなどないだろう)。そうしなければ、いざ装置を使っても実践の重要な要素は見えてこないだろう。(誰々の)理論そのものを文字として理解する(いろいろな学説に通じている)だけでなく、自分の「眼」を通して実験装置の効果を実際にテストしてみる(=実習する)、というかたちで知る。そうした理解を経てはじめて、実践の分析を開始できるようになるのではないか。これは自戒でもある。

(※)とはいえ、彼ばかりを批判することはできない。彼の依拠する研究というのが、いわば言葉遊びに堕したものばかりだからである(「こいつは・・・」と読んでびっくりした。役人が書いたものが多い)。例えば、進路指導において「自己をみつめる」とか「生き方を学ぶ」とかいったものが具体的にどのような対象を指していうのかが、文章からはまるで読めない。いろいろな職業について調査するとしたら、その活動がどのようにして「自己実現」や「生き方」ということと結びついてくるのか。その学習・思考のすじみちを、具体的な実践事例をもとに説明してほしいのに、彼らは単に活動項目が書かれた表(紙キュラム)を提示するだけか、誰々はこう言っている(から「自己をみつめた」「生き方を学んだ」ことになる)という形で、お茶を濁してしまっている。

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