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「桃太郎」教材化の過程に関するメモ

 水曜日、「トリビアの泉」のスペシャル、「最強の国民ランキングSP!」をみた(4時間しっかり見てしまった)。
ここのところ放送を見逃していたので、ほとんどのトリビアが新鮮だった(ネタそのものを忘れてしまっていたのもあるかも)。
一青窈「もらい泣き」の再生速度を遅くすると、平井堅が歌っているように聞こえるというのには感動した(もらい泣きはしなかったけど)。「カブト祭り2005」をもう一度みることができたのもよかった。

さて、ここで一つ取り上げておきたいのは、
「桃太郎は桃からではなく、桃を食べて若返ったおじいさんとおばあさんの間に生まれた」とするトリビアである。
これに関して、
「1887(明治20)年、『桃太郎』を国定教科書に載せるときに修正された」
という桃太郎資料館の方の説明が加えられていた。
だが、この説明には誤りがある。
教育史を学んだことのある人間であれば、すぐ気づくはずである。
(小学校)教科書の国定化は、1904(明治37)年からはじまる。1887(明治20)年より、10年以上後のことである。だから、上記の説明には時期のズレがある。
文中、「国定」が「検定」であれば、問題はない。
検定制が確立するのがこの時期である(森文政下の明治19年4月、「小学校令」に「小学校ノ教科書ハ文部大臣ノ検定シタルモノニ限ルヘシ」と規定。同年5月、「教科用図書検定条例」および「小学校ノ学科及其程度」に学習内容を明示。翌20年に「教科用図書検定規則」、といった具合)。
だが、「国定」のほうは正しく、「1887年」のほうが間違っているという可能性もある。

 そこで、私も「実際に調べてみた」。
やはり、「国定」ではなく、「検定」のほうが正しい。
そして、その検定教科書とは、『尋常小学読本』巻之一(文部省著作、1887年、第二十六~二十八課)のことを指す。なお、国定教科書での最初の「桃太郎」話の採用は、第二期本(『尋常小学読本』ハタタコ読本・黒表紙、および『尋常小学国語読本』ハナハト読本・白表紙、1918年~)である。
したがって、正確には、
  この『尋常小学読本』以後、我々になじみ深い「桃太郎」のストーリーが普及するようになる。そして、その普及は全国統一の国定教科書への教材化によって、さらに加速する。
ということになろうか。
 桃太郎資料館の館長の記憶違いは、国定版「桃太郎」の影響が現代の我々にはもっとも強いという認識から起こったのではないかと推測する。
 そして、さらに深読みすれば、それは、主人公の出生が回春型(桃太郎は、桃を食べて若返った夫婦から生まれたとするもの)から果生型(桃太郎は老婦人が川から拾ってきた桃から生まれたとするもの)へ移行しただけでなく、ストーリーの中核としての「桃太郎」像にも転換があったことを示唆したものと考える。陽気な侵略者から善なる侵攻者への転換といった具合に。

『尋常小学読本』巻之一(1887年・明治20)、「第二十七課」
「ある日、 ぢぢ ばば に 向うて、『私 は、 鬼がしま へ、 たから物を 取り に 行きたい』 と いひました。」
     
『尋常小学国語読本』巻一(1918年・大正7)

「オニガシマ ヘ オニセイバツ ニ。」

〈註〉井上敏夫編『国語教育史資料 第二巻 教科書史』東京法令出版、1981年。

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