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堀江社長逮捕をめぐる報道に接して

  ここ最近の報道番組は、 堀江貴文「容疑者」をめぐるニュース一色である。
その注目ぶりをみるにつけ、“ホリエモン”の人物像よりも、そんな彼の裸の王様ぶりをわれわれに認識・経験させる仕組み・媒介物としてのメディアの影響力を再認識させられる。報道では「時代の寵児」と彼を表現しているが、「(マス)メディアの寵児」といったほうがより正確なのではないか。

 堀江氏の経営手法には、熱烈な大衆からの支持の一方で、同じ経営者からの反論が多く寄せられてきた。その一つは、堀江氏自身が、株取得や企業買収などを通して自社の規模拡大をはかる一方、企業価値の根本である〈商品〉については、実際のところ、たいしたモノを生み出してきていないのではないか(商品を魅せる仕掛けを作ったかもしれないが)、という疑問に端を発するものだったと理解している(とりわけ、ニッポン放送株取得・メディア企業の買収に乗り出したときに、既存のメディアの側からそれを指摘されたのでは)。

 だが、そんな堀江氏にこれまで多くの大衆から支持が集まったという現象(今もなお。彼のブログ『社長日記』→『堀江貴文日記』のコメント欄・トラックバックは洪水状態)は、熟考に値すると思う。TBSのニュース番組「News23」で、筑紫哲也氏と渡邉恒雄氏の対談が二夜にわたって放送されていた。堀江氏のことにも触れながら進んだ今回の対談。全体としてある種の「危機感」を今の日本に感じているという点で、二人の意識は共通していた。
 だが、「危機感」というならば、堀江氏を選挙、球団買収等で支持した人たちも、同様の意識に促されて行動に出たはずである。そう考えたとき、その多くの人たちを堀江氏支持へと突き動かした深層にあったのは、どのような思考様式だったのだろうか。
 今回の事件、堀江氏への視線をめぐる大衆の意識の底流にあるもの、それを探っていくと、戦前日本の精神史(とりわけ、大正から昭和にかけての動揺期)と共通する何かを想定したくなるのだが、あくまで憶測である。ちょうど、K山先生から鹿野政直『大正デモクラシーの底流―“土俗”的精神への回帰―』(NHKブックス、1973年)を借りて読んでいたので、そう思った次第である。でも、まったくの的はずれでもないように思う。きちんと読まないことには、何とも言えないが。

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