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資料群の中心で「方法論がない」と叫ぶ―いつものごとく―

   水曜日、中田小学校から長いことお借りしていた資(史)料群をお返しにあがる。
自作の蔵書目録、手土産、指導教員の顔、の三点セットを付けて。
学校といった、こちらで人数を把握していない多数の方々が働いているところへの手土産としては、ケーキのようなものがいいことを先生からアドバイスされる(先方で人数分切り分けてもらうことが可能だから)。
 それにしても、資料をコピーし、あるいはデジカメに保存するという地味な作業にはかなりの時間を労した。肝心の中身には、まだほとんど眼を通すことができていない。

               ◇

 今回の研究がもつ難しさは、これまで歴史の表舞台ではほとんど着目されてこなかった一地域の公立小学校を研究対象とする点にある。「なぜ、この学校を問題にするのか」、それに応(堪)えられる問題を設定しなければならない。作業的課題として言い換えれば、
・発掘した史料からどう方法論を組み立てるか
・地域の一事例から、どう全国的に通じる視座を引き出せるのか―個別の事例から、それを包括する一般性を引き出せるかどうか
・その歴史的事実に、どのような現代的意義を見出すことができるのか

ということになろうか。地域教育史・地域学校史に関する文献に眼を通す必要がある。
 地域の教育史を扱うことが年季のいる仕事であることは、すでに指摘されているところである(「一地域最低三年」)。大学における教育史のポストが減る一方で、多くの業績を量産することが求められる今日的状況では忌避されやすい研究領域といえる。どう折り合いをつけるのか。実は、そこが一番の悩みかもしれない。

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