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思い出のTVアニメ―「名探偵ホームズ」―

 最近、YouTubeという動画集積サイトにはまっている。
 膨大な数の動画を所蔵、日本のアーティストのPVや過去のテレビ番組なども閲覧でき、いろいろと問題にもなっている人気サイトである。
 日本のアニメや特撮物もかなり所蔵されており、アニメ主題歌データベースを作るサイトが現れるほどである。
 そこで、自分もあの名作TVアニメ関連の動画(主題歌)を探してみた。
そのアニメとは、「名探偵ホームズ」である。
 少年時代にみたTVアニメでとりわけ強烈な印象を持っており、録画しては何度も繰り返しみた記憶がある。1984~85年にかけてTV朝日系列で放送されたこのアニメには、あの宮崎駿氏も制作に関わっており、ファンの根強い人気を誇っている。だが、悲しいことに院生室でこのアニメの話題を共有できるのはI橋さんしかいない。たしかに無理もないかも。自分が8~9歳のころに放送されていたアニメである。
 「名探偵ホームズ」は、コナン・ドイル原作、シャーロック・ホームズ・シリーズの登場人物をすべて擬人化された犬に置きかえるというユニークなアニメである(詳細な紹介は下記のサイトを参照されたい)。そのストーリー展開にはシリアスさはなく(例えば、殺人事件などは起きない)、コメディ・タッチなドタバタ冒険活劇的色彩を帯びている。ホームズvsモリアーティ教授という対立構図で進むストーリーは、タイムボカンシリーズ的な、善玉対悪玉のコミカルさを思わせ、ときにモリアーティ教授への同情すらそそる。
 関連サイトや動画をみると、画の細部の凝り具合など、改めてその質の高さを再確認させられる。1900年前後のイギリスを描いたとされる(イギリス留学時代の夏目漱石も犬になって登場する!)その鮮やかな風景は、綿密な調査・取材によるものと推察する。
 全話を収めたDVD-BOXを購入したい(本気)―その夢の実現のためにも、論文を書かねば(だから、あまりYouTubeにはまってはいけないのだが)。

〈主題歌〉
・OP「空からこぼれたSTORY」うた:ダ・カーポ
・ED「テムズ河のDANCE」うた:ダ・カーポ

〈参考〉
・名探偵ホームズ(ライブラリー) 、 
名探偵ホームズ(Wikipedia)
座談会 テーマ:1「名探偵ホームズ」(※制作スタッフを交えた座談会)

Holmes_1

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「あの歴史的感動」の記憶

 王JAPANのWBC優勝で、巷は湧いている。準決勝進出が絶望的だった状況から奇跡的な優勝へという展開は、あまりにドラマティックであり、そのようなドラマの舞台を与えられたことは、日本代表にとってとてつもない幸運であったにちがいない(逆にいえば、韓国代表にとっては非常に不運だった。一度深い苦しみを味わいながら、もう一度選手たちが団結して立ち上がる機会を得たチームと、安定的な強さで勝ち続けてきたチーム、どちらのチームの勝利が感動的かと問われれば、多くの人が前者と答えるだろう。そして、結果的に、そのドラマの舞台を得た日本代表のほうに風が吹いた)。
 プロの選手たちが高校球児のように闘志むき出しで懸命にプレーしているのを観て、さすがにこちらも熱くなった。

  そして、もう一つ、王JAPANが優勝を決めた同じ日の深夜、カーリング-チーム青森-を取り上げたTV番組、TBS「バース・デイ」にも熱くなった。
 番組では、カーリングの基本的なルールを紹介しながら、とくに「スウィーピング」(ブラシで氷面をこする、あの象徴的な動作)の重要性に力点を置いた説明がなされており、その点が勉強になった。日本カーリング史に残る一戦という、トリノ五輪での日本-スウェーデン戦(わずか50cmほどの相手ストーンの隙間を、直径約30cmのストーンを通すラスト・ショットで、日本に勝利したスウェーデンの作戦)を取り上げながら、スウィーピングがショットの正確性を確保する上でいかに重要かということを説明していた。スウィーパーは、ホッグ・ラインから反対側のティー・ラインまでストーンがどのくらいの秒数で到達するかを正確に認識しているという点には驚いた。
 「あれはスポーツじゃない」「笑えるマイナースポーツ」などと中傷されたこともあったというカーリング。女子日本代表=チーム青森は、それまでのカーリングを見る周囲の眼を一変させた。その果たした功績は計り知れない。同番組では、チーム青森結成以前であろうか、ローカル番組でのインタビューに答えたり、初心者にカーリングを指導する小野寺・林両氏の姿も映っていた(そんな両氏は休養に入るという。少し残念)。

 一度深い苦しみを味わいながら、なおそこから立ち上がることで得られた輝き。
王JAPANとチーム青森に関する報道に接していると、どうもそんなドラマ性を感じてしまう。これも時代性ゆえだろうか。そういえば、近く仙台で凱旋パレードを行う荒川選手の金メダルもまたそんなドラマティックな文脈で語られていることに気づく。

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植民地支配と男性性

 COEの学内研究会に参加する。
 Hさんの発表がとても興味深かった。I田先生とは日頃どのような親子の会話を交わしているのか、という興味をもってしまう。
 Hさんの発表は、植民地支配とジェンダーの関係について考えさせられる内容であった(当然ながら、以下の文章は私の発表に対する個人的見解をまとめたもので、内容を忠実に反映しているわけではありません)。
カリブ海域社会(フランス語圏旧植民地)を対象として、文学作品上にあらわれたジェンダーについて具体的に示すともに、当該地域における男女の社会的格差=ジェンダーのありようと再生産の構図について論じられた。
 とりわけ興味深かったのは、植民地支配、とくに奴隷制を通してカリブ男性の男性性が抑圧(「去勢」「非人間化」。単純な肉体労働にその役割が焦点化されたという意味では男性性の「局限化」ともいえるのではないか?)される一方、女性の家族における中心的役割が強調される(白人植民者のような父権的家族が存在できなかった)ことで、女性優位のジェンダー秩序が形成されたという指摘であった。つまり、ここでは女性よりも、男性のジェンダー・アイデンティティをめぐる苦悩が問題となっており、日本などとは状況が逆になっていると考えられる。このような「弱い」男性の側から「ジェンダー格差」の問題を論じた事例について話を伺うのは、今回がはじめてであった。それだけに興味深かった。このようなHさんの(I田先生を親に持つ)ご家族内の力関係(=ジェンダー格差)はどうなのだろう。

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合同稽古会―2006・春―

  土曜日(11日)は、山形大学居合道同好会との合同稽古会に参加。
一昨年からはじめて、今回で5回目(年2回、3月・9月ごろ)の開催となる。
合同稽古会は、(仲間内でも)日頃は意識していない各々の技の着眼点を指摘し合える貴重な機会なので、相変わらず勉強になる。
 これまで無意識にこなしていた自分の身体運用のクセなり問題点を意識の俎上にあげるという作業は、一人では難しい。より多くの人のいろいろな「眼」で見られ、いろいろな言葉で指摘されることで、自分の居合あるいは技それ自体への理解を深めていく。加えて、自分が気づいた点を言語化して相手に伝える難しさを痛感し、改めて、技の「想定」と「理合」をたえず確認しつつ稽古する習慣を身につけなければと反省する……
 合同稽古会の意義について、自分はそう捉えている。今年もまた多くを学ばせていただいた。

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最近話題のCurling

 トリノ五輪以降、カーリングが人気を博している。このところの過熱ぶりは、当事者からすれば「これは事件です」と言わんばかりではないだろうか。
 典型的な「にわかファン」である自分も、チーム青森の奮闘のおかげで、カーリングに眼を注ぐようになってしまった。同競技についてはまだまだ知らないことだらけだが、例えば、以下のようなプレーを見ると、こんな面白い競技になぜ今まで見向きもしなかったのかー、と思ってしまう。

・トリノ五輪:カーリング男子決勝でカナダチームが見せたスーパーショット!

  チームが見せる戦略の豊かさや、勝敗を決めるショットを見守る緊張感が、観客からすればたまらないのではないかと考える(とはいえ、現時点では「解説」がないと楽しんでみられないだろう、自分は)。今後カーリング関連の報道が増えるにちがいないと予想されるので、せっかくだから、次の機会のために、いろいろ勉強して眼を肥やしときましょ。

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錬武なWebサイト

 仙台錬武会のWebサイト(ウェブログ)が開設された。
すだ事務局長の持ち前の行動力に感服する。
彼はこれまでネットというツールを使って、居合の輪を拡げてきた実績がある。
東北大学居合道同好会を立ち上げたのも彼であり、現在も続いている(おっ、気がつけば土曜日にある)山形大学との合同稽古会を始めたのも彼の尽力によるところが大きい。
それだけに、今後このサイトを通じて居合に関心をもつ人に錬武会の存在が知られ、会員が拡大していくことも期待できるはずである。
唯一心配なのは、現会員がどれだけこのサイトを見るのだろうか(見る会員は若手に限られているような)ということ……、そして、大会のお知らせ以外にはどんな内容を盛り込んでいくかということ、まあ、それは大きな問題ではない。会自体が発足して間もないし、徐々にサイトとしての方向性も見えてくることと思う。重要なのは錬武(=稽古、居合道の研修)。それが本質である。

仙台錬武会HP
[http://blog.goo.ne.jp/renbukai/]

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教師と地域社会の「昭和」―郷土教育運動―

 学会発表は何とか終了。
いつもながらの時間ギリギリでの資料作成。
共同発表を持ちかけられたイタバシさんにとっては、さぞ辛かったにちがいない。
ゆっくり休んでください。

今回の発表で対象とした名取郡中田尋常高等小学校(現仙台市立中田小学校)。
同校の教育実践を語る上でのキーワードは〈郷土教育〉〈村教育会〉である。
この二つを欠いては同校の教育実践を語れない、というのが発表者の見解であった。

 従来の研究では、都市部の学校や師範学校附属小学校における児童教育実践としての「郷土教育」に視点が限定されてきた。だが、(全国のほとんどがそうであった)農村部で展開された圧倒的多数の〈郷土教育〉は、もっとちがうものだったのではないか。
 小学校教師が実業補習学校の教員や青年訓練所など指導員を兼ねていたことから考えても、小学校に端を発する〈郷土教育〉は、本来青年教育や村民教育(社会教育)を含めた体系的な構想の下になされたものだったのではないか。
 したがって、教師の活動は地域社会の課題と連動して展開されたものであり、その点から〈郷土教育〉も再考察する必要があるのではないか。

というのが、発表者の―正確には自分が解釈したイタバシさんの―問題認識であった。
 そこで、学校・教員がいかに地域住民・子どもと関わっていったのか(なんかどこかの公民館長の博論テーマとも似てきたな)を、昭和初期に郷土教育で名を馳せ、新教育協会といった教育改造の全国的推進団体とも関わりを持っていた、さらには村教育会という装置をもっていた中田小学校を対象に、分析しようとしたのであった。

                ◇
 
 発表に対し、カサマ先生からは、中田小という個別事例を取り上げる意義が見えないという指摘を頂いた。「個別と一般」をめぐる指摘(去年も頂いた_| ̄|○)であるが、これは単に、上述の問題認識で応えるだけでは対処できない難しさを含む指摘である。先生の指摘は、教師の活動と地域社会との関わりを考えるのであればもっと時間的に広いスパンで見ないと駄目である、というものであった。先生は著書で次のように述べておられる。

「地方改良運動の時期に内務省関係者によって強調された内容が、大正半ばと昭和初期に至って、文部当局者に受け継がれて主張されるようになっていたことに注目すべきである。そこではともに小学校と小学校教員が『地方教化ノ中心』としての役割を果たすべきことが求められていた。その根拠づけは、大正半ばでは社会教育振興であり、昭和初期では郷土教育振興であるが、両者ともに地方振興政策を政治的背景としていた点で共通していた。重要なことは、地方振興が内政上の重要かつ緊急の課題として強調される度ごとに、小学校と小学校教員の役割が町村振興とのかかわりでとらえられ、『社会教化の中心』あるいは『地方教化ノ中心』として活動すべきことが強調されてくることなのである。この地方振興と小学校という関係図式は、その原型が地方改良運動の時期に形成され、そこに源を発していたということができる。」(笠間賢二『地方改良期における小学校と地域社会―「教化ノ中心」としての小学校』日本図書センター、2003年、13ページ)

だから、昭和初期の郷土教育は明治末期からの地方改良運動とはどう異なるのかを明確に論じなければ、先生の質問への回答にはならない。つまりは、学校と地域社会との関わりという問題認識で中田小を取り上げる意味が見えてこない。史料を前に方法論を鍛えていく難しさを痛感する。
 その指摘の直後に、カジヤマ先生からいただいたコメント(=援護射撃)が、むしろ自分が「今後の課題」として解答すべきことであったと反省する。それは「中田小学校では30年代、郡役所廃止後設立された中田村教育会を通じて教員が新教育論(に支えられた郷土教育)を主張していく。これは千葉県が郡役所廃止を契機に自由教育への統制を強めていったのとは逆ではないのか。山田(恵吾)さんへの反論を展開できるのではないか」というものだった。自分がうっすらと感じていたことを発言して下さったのでありがたかった。とはいえ、それを導くための道程は険しい。宮城県も山田さんと言った通りだぞ、というオチにもなる可能性も、考察をしていてずいぶん感じたからである。
 今回の発表はほとんど資料紹介で終わっしてまった観がある。今後さらにこの研究を、カジヤマ先生の言葉をお借りすれば「こってりした」(濃厚な)ものにできるようがんばらねば、と決意した2006年春。クタクタ。

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行く先も解らぬまま

 K原さんが来仙、院生室を訪ねてきた。博士論文の聞き取り(審査会の前段)があるらしい。
「論文評価の背景にある政治力学をも考慮に入れた執筆作業」に関する話を聞く。
論文の評価は純粋に内容によるだろうと冗談に思われるかもしれないが、
ウチの講座だけにこの話はご冗談とはいえず、笑えない(院生発表会でのいろいろなやりとりもみているし。裏事情は相当ドロドロしていると推測される。自分は果たして書けるのだろうか)。

自分はというと、学会発表という作業が眼前に迫ってきた。が、「まいった」。
どういう構成で発表すればよいのか、いまだ検討がつかない。
史料は豊富にある。
だが、それを一つ一つ羅列していったからといって、事実が明らかになるわけではない。
史料に語らせるにはどうすればよいのか。
これは、換言すれば、
ある史料と他の史料との関連をどうつけるのか
という問いになるかと思う。
ある史料をどんなに面白いと思っても、それ一つだけでは、どうにもなるものではない。
各史料が説得力を発揮するには、それらをお互いに結びつけ、意味づける文脈(物語?)が必要となってくる。
それがないとき、歴史的研究は無味乾燥なものとなり、「好事家的な仕事」という周囲からの視線に行き着くことになるだろう。教育学のように、政策に左右され、実用性が要求される学問の領域ではなおさら、そのような視線にさらされることが多くなると察する。
もちろん、実践との間の緊張関係をもつことは重要であり、そこにこそ教育学の存在理由はあると考える。
とはいえ、それが実利主義的に受け取られ、早急に「特効薬」ばかり求めたところで、結局は「対処療法」でしかない(問題の根本的な解決には至らない)のではないか。

…なんて格好のいいことを言っている場合ではない。はやく発表資料をつくらねば。
こうしてまた宵っ張りの生活スタイルになってきた(トリノ五輪の影響もある)。研究とは、一面で自傷行為だとつくづく感じる。
そして、D5の夜は更けてゆくのだな。 D5の夜~♪

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