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こどもをみる眼

 昨夜のニュース23で、筑紫哲也さんと宮崎駿さんの対談が放送されていた(筑紫録「宮崎駿さん」+金曜深夜便)。10年ぶりだという。
 こどもの日に放送されたこの対談では、教育のことにも話が及んで、興味深く視聴できた。
宮崎さんは、10年前の対談で「個性をのばすとか何とかいろいろ言うけれども、そういうことはやめて、こどもを一度大人の監視下から解放すれば、遊ばせなくてもこどもは遊ぶ」と発言している。「こどもの凶悪化」や「しつけがなっていない」といった言説に傾きがちな世間の「常識」と比較すると、宮崎さんは、子どもが学校的秩序に過度に隷従している実態を鋭く捉える眼をもっていると推察する。子どもの「学校適応過剰」(一元的な学力・人格基準に基づく学力・忠誠競争の深化)こそが、いじめ・迫害などの問題を引き起こしているという見解は、教育学の領域でもすでに提示されてきた(例えば、竹内常一『子どもの自分くずしと自分つくり』東京大学出版会、1987年)。

 宮崎さんは、以前ご自身が「教育の内容が重すぎる。もっと薄い教科書でいい」といった旨、述べていたことに触れた。
 ところが実際、文部科学省がそれを実行したところ、違う問題(学力低下のことだろう)へと発展してしまった。
 この現状に対し、宮崎さんは「何か一つ問題を取り上げて解決すればいいというようなものではない」、「格闘する必要がある」と語った。以前「『学力』対『ゆとり』という振り子」というエントリを書いている自分としても、この宮崎さんの指摘には共感できる。

 宮崎さんの指摘には、子どもをただ単に囲うだけで良しとする管理主義的傾向への批判が含意されていると考える。
 対談の冒頭、「世の中この10年で何が変わりましたか」という筑紫さんの質問に対し、宮崎さんは「みんなが不安を意識するようになったことは確か」と述べた。バブルがはじけて皆がくたびれてしまい、もう変化しないでくれという願望が強くなり、不安ばかりが募ってしまった―、そんな意識が子どもたちをみる眼差しにも反映している可能性を、大人たちは考える必要があるのではないか。(対談の内容は、過疎化や少子化、さらには企業保育園をつくりたいという話など多岐にわたったが)自分はそんなメッセージを受け取った。

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コメント

どこまで守れば安心するのですか~みんなの持っている不安感が次の恐怖を生んでいる事にいつ、気がつくのでしょうか~子どものほうがよくわかっています。知識としての学問を教える時代は、終わりました。いままでの常識をいったん0(ゼロ)にしてやり直すときが来ています。

投稿: かずchan | 2006/05/10 13:09

 教育において〈知識〉とは何か~、ちょうど今アルバイトの関係でそんなテーマに関する研究(参考文献・論文)を検索しています(「学校知」や「知識論」などを検索語にして)。いずれ、考えをまとめてみたいと思います。
 たしかに社会内の「変化」はあると実感しますが、それを的確に捉える視点をもたず、不安煽動が優先する現状。このような中でむやみに反動に走らない慎重さが必要ではないかと考える次第です。

投稿: タカキ | 2006/05/13 02:54

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