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何はともあれ、まずはお疲れ!

 昨日のサイエンスカフェは盛会のうちに終了した(もちろん、ほんとうに盛会だったかどうかは、私の独断)。スタッフリーダーとしては、ほんと肩の荷が下りたぜ、まったく。
 テーマが「教育」という身近な話題であったために、参加者のみなさんは、皆語りたくてしょうがなかったはずである。その意味で、ファシリテーターのみなさんは議論の切り盛りが大変であったことだろう(それとも大いに語ってくれた分、逆に楽?だったか)。ごくろうさまでした。自分も疲れた。多方面にわたる質問へのT先生の回答も、(とりわけ後半のほうは)うまく切り返せていたものだったと思う。
 何しろ、参加者の顔ぶれは、小中学生から戦争体験世代に至るまで幅が広い。一風変わった目立ちたがりの人もいた。そんな方々が共通に理解できるコトバを、そう即座に話せるものではない。
 もちろん、話を「わかりやすく」してしまうと、削らざるを得ない部分がでてくる。
 教育を「科学」するとは何か、「知識」と「学力」はどう違うのか、「知識」と「考える力」はどう関係するのか……、根本的な点に眼を向けると、自分だって疑問は尽きなし、またその手の疑問は短時間で理解できるものでもないだろう。

 ぜひ参加された方々には、今回のカフェを機に、現在自分が掛けている、教育を捉える〈色眼鏡=視点・認識枠組み〉を一度外して、「みて」もらいたい。自分なりに解釈すると、それが今回のカフェのテーマになろうか。
 教育は価値と利害にかかわる営みであるために、教育論議は多用な価値観や利害関心が錯綜するものとならざるを得ず、容易には合意に至ることはできない。そのうえ、教育はだれもが自分の経験に基づいて対等の資格で語ることのできる領域だと考えられがちであるだけに、教育・学校はどうあるべきかという当為論や、どういう教育が望ましいかという理想論のレベルにとどまりがちになる(『新版 教育学がわかる』朝日新聞社、2003年、4-8頁、藤田英典筆を参照)。
 教育を「科学」するとは、抽象的に言えば、そういった自分がもつ教育観を相対化する試みだと考える。そういえば、東北大学初代総長の沢柳政太郎は、(教育実践に関して)仮説を提示しそれを実証する、という実験的プロセスに基づく「実際的教育学」を主張していた。道徳教育はこうじゃなきゃだめ、といった実験を経ない思弁的な主張を彼は峻拒した。のちに彼が校長をしていた私立成城小学校の設立趣意書には、「科学的研究を基とする教育」が掲げられていた。
 もちろん、「科学」の意味内容は、多々考えられる。自分もこれを機に、一度教育の「科学」ということについて、きちんと考えてみたい。まずは、大塚久雄『社会科学の方法』でも読み直そうかな・・・・・・、いずれ。

〈追記 6月7日〉
・河北新報社/東北大学サイエンスカフェ特集ページ
http://www.kahoku.co.jp/spe/sciencecafe/index.html

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