« 正午=? | トップページ | 空からの落し物 »

「口授」とは何だろう

「通常の忙しさ」に戻れると前回書いたのに、何だかんだと忙しい。ん? 「忙しい」ことには変わりないのか。ともかく、何が理由なのかさえわからず、「時間はあるけど暇がない」状況である。

 昨日は日本教育史特論・K山ゼミでの発表。
明治・森文政期における修身科の口授法採用をめぐる論文を用いて報告する。
明治前期のことはほとんど勉強していないため、これを機に勉強しようというのが理由の一つ。
もう一つの理由は、受講者である二人のM1に報告の負担が偏るため、かわいそうだからというものであった。もっとも、受講者の数から言えば、先生に指名されることは避けられなかったが。

   ■  ■

 森文政期に至る修身科教授法の展開は、大まかに整理すると、
「学制」期の「修身口授」(ギョウギノサトシ)に始まり、改正教育令期の教科書教授を経て、再び口授法に戻る、という流れをたどる。そして、教育勅語公布後の教科書教授の定着へと向かっていく。

 勉強してみて自覚したのは、「口授」(oral teaching)の中身がよくイメージできず、かえってその言葉をみると混乱してしまうということ。
 勉強する前まで、口授=教科書不使用という単純なイメージを持っていたのだが、どうもそれすら違うらしい。口授にも教科書(=教師用教授書)が使われた。口授用の教科書が発行されていた。
森文政期には小学校修身科については教科書を採定しない、という視学官通牒が出されるが、それは「修身書は刊行されているが、それらは文部省の検定の対象からはずす」という意味であり、口授の際に教科書を使わないということを意味するのではない。
 では、教科書を使う「改正教育令」期の教授法と何が異なるのか。教師用書としてではなく、誦読と暗誦のための生徒用という意味が教科書に付与されている点に、重要な相違点があるのだろうか。
 あるいは、「口授」という言葉は、儒教主義に対抗するような(教育内容にも及ぶような)特別な意味を帯びていたのだろうか。それとも、口授は、教師が、教具・実物(教科書を含む)を使って、児童生徒に〈口を通して〉知識を〈授ける〉という、今日ではありふれた、しかし、当時は欧米から移入されたという意味で、斬新な授業形態を指すものと考えてよいのだろうか……などなど、報告しておいて何だが、疑問は尽きない。

   ■  ■

なお、「修身口授」の辞書的意義について調べると、以下のように記されている。

「日本の近代学校教育が、道徳教育を目的として設けた教科の最初の形態。学制期特有のもので、実質的に修身科が成立するのはつぎの教育令期であるが、その前段階となった。(中略)日常的なしつけよりむしろ基本的な倫理の知識理解に重点が置かれたものと考えられる。」(海後宗臣編『日本近代教育史事典』平凡社、1971年、336ページ、岸井勇雄筆)

 この太字部に関心をひかれる。というのは、森文政期になると、「口授」の道徳教育上の有効性が(開発主義の影響を受けて)児童生徒の感情への働きかけという観点から論じられ、それによって修身における知識の伝達という側面は熟読暗記的として批判されるようになるからである。少なくともそういう論調を確認できる。学制期における知識理解の強調とは対照的である。
 今日問題視される知育偏重-徳育重視のステレオタイプ化された関係性がこの時期の論調からも想起される。しかし、そんな有効性を主張された「口授」は、儒教主義的理念を掲げる人物たち、すなわち、学制期以来の啓蒙的風潮(知識才芸の重視)を批判し、それこそ徳育重視を先頭に立って掲げた人たち(例えば西村茂樹)からは批判されたという、何とも複雑な関係があった。
 この教育方法をめぐる論議の土台には、徳のバックボーンを何に求めるかという問題があり、さらにそれをめぐるドロドロした駆け引きもあったと考えられる(例えば、森文政期に修身科教授法で口授が採用されたのは、勅撰修身書の検定を回避するためであった、という掛本勲夫氏の見方がある)。だが、その生々しく、それゆえおもしろさが詰まった部分を掘り起こす力量なんて、自分にはないわけで―。

|

« 正午=? | トップページ | 空からの落し物 »

教育史ノート」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/69457/10608925

この記事へのトラックバック一覧です: 「口授」とは何だろう:

« 正午=? | トップページ | 空からの落し物 »