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あと一本が足りない

 日曜日は山形での各流居合道大会に参加。
昨年も初戦で敗れ、夜の深酒へとつながったこの大会だが、またしても、初戦を突破することはかなわなかった。あと一本でも審判の旗が挙がれば勝てるのに、及ばない。
もっとも自分自身で振り返っても、今回の演武は満足の行く出来ではなかった。
自分の業の不完全さが大一番で露呈するということは、それが現時点での自分の実力を示すということだろうと反省。
 これは、稽古の繰り返しによって克服していくしかないが、その際、今後の課題をどう設定するか、そして、課題達成のためにどのような稽古を行っていくか、という道筋を多少なりとも具体的に考える必要がある。自分に足りなかったものの自覚と、その克服のための具体的方法の設定である。

 自分なりに考え、今回の演武に足りなかったものは「動作のゆとり」だと理解した。
力強さを表現しようという意図が、どうも業の忙(せわ)しさにつながってしまい、メリハリのない内容になってしまった感がある。スピードはあるが、その分、肌理が荒くなり、業の小ささや切り下ろしなどにおける刀のブレとなって表れたように思う。余裕のなさから来る焦りもあった。
 上位入賞者の演武は、力強かった。水平で止めた切り下ろしの余波が突風となって正面の審判に吹き付けるような勢いがあった。しかし、それは、ただ単に、腕力があって切り下ろしが速かったということではない。切り下ろしの前段階には抜き付けの「決め」がしっかりとあり、それが切り下ろしの鋭さにつながっていた。そして、鋭い切り下ろしの「決め」が、その後のゆったりとした「残心」を深みあるものにしていた。
 個々バラバラな動作の集合としてではなく、一つ一つの動作が有機的に結合した、一連の流れとしての業を実現するために、自分に必要なものとして「動作のゆとり」を設定したのは、以上のような考察による。「メリハリ」「力の強弱」などと表現してもよいが、業が忙しくなりがちだと自己分析する自分にとっては、「ゆとり」という観点から業を錬るのがよいだろうと考えた。

 では、具体的にどのような稽古を行っていくべきか。
 周囲からの示唆を得て、自分が考えているのは、稽古中一定の時間を定めて、その時間内は(自分がやると決めた)一つの業を、自分の納得如何に関わらず、徹底的に繰り返していくという方法である。ともすると、最近の稽古は、奥伝立業に進んだという刺激もあって一つ一つの業にじっくりと意識を集中させる時間が短くなっていた感がある。もう一度(意識的な)ゆとりをもって技の一つ一つを見直し、自分の体に滲み込ませていくことを次の稽古から心がけてみたい。

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