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人心の真空

 テレビ番組「ザ・スクープスペシャル 終戦61年目の真実~昭和史のタブーに迫る」(朝日系、06.8.6放送)をみる。番組の前半、第一部で日本における幻の原爆計画、そして後半の第二部では九州大学生体解剖実験が取り上げられた。
 これまで昭和史最大のタブーとして関係者の多くが口を閉ざしていた歴史的事実を、スクープ資料の分析や「ようやく重い口を開いてくださった関係者」から話を伺うことを通して浮き彫りにしている。自分の出身県である福島県(石川町)も和製原子爆弾製造の舞台となっていたこと、地元の旧制中学の生徒が被爆対策もなしに作業していたなどの詳細な史実の提示は、みている者に歴史の迫力を感じさせる。
 関係者の話からは当時彼らが持っていた生活感情ともいうべきものも垣間見えて、そのリアルさが興味をそそった。
 人命をあずかる仁術者であるはずの医者と、科学的真理の追究に邁進するはずの科学者。そのどちらもが戦争という末期的事態のなかで、国家の戦争協力へと駆り立てられていく。
 彼らの活動の軌跡からは、戦地に赴く、動員されることへの不安や同胞への負い目、自己嫌悪、組織生活の中での疑心暗鬼、人間不信、周囲からの尊厳を勝ち取るための協力といった複雑な感情が入り交じっていたことを読みとることができた。
 とともに、彼らの医者・科学者としての倫理的精神が個人の内面的自覚によってではなく、外的な条件に左右されている(流されている)という問題性も、一方で強烈に感じざるを得なかった。いずれのタブーにしても、「戦争はそこまで人間を狂わせる」という言葉で片づけてしまっていい問題ではないだろう。

 九州の大学病院での生体解剖実験をモデルとした遠藤周作の名作『海と毒薬』(新潮文庫、1960年、初版は1955年)では、まさにその点が主題となっていた。
 倫理的あるいは宗教的な選択があってしかるべきところが、空白のままやり過ごされてしまう日本人の精神的倫理的「真空」、神なき日本人の(世間や社会の「罰」しか知らない)「罪の意識」不在の不気味さへの着目。それが作者の一つのメッセージであったと思う。「ザ・スクープ」をみ終えた自分の頭に浮かんだのは、『海と毒薬』のこのメッセージだった。

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