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安らかに眠れない祖父

 私の母方の祖父は、太平洋戦争で戦死した。靖国神社に「英霊」として祀られている。
 だが、私は、その靖国に参拝する「心」をもてないでいる。「英霊」である前に、「私の祖父」であり、そして戦争犠牲者である祖父を追悼する最良の仕方は、故郷にある祖父の墓前で手を合わせることだと心得ているからである。
 これが、国が選別した特定の犠牲者を「祀る」神社への参拝となると、〈追悼〉とは異なる、〈顕彰〉としての意味が加わり、戦争を賛美する「戦前回帰」志向につながる―その思いが払拭できない。
 現時点において、〈靖国参拝〉という行為は、「東京裁判史観の否定」(あるいは「大東亜戦争肯定論」、そして短絡的な「戦争責任の否定」へ)といった特定のイデオロギーとの結びつきが強く、過去の戦争の正当化を表現することになってしまうのではないか―そんな疑念が、自分の足を靖国から遠ざけている。そもそも、政治性を帯びてしまった靖国神社の現状はあまりに騒がしすぎて、英霊は安らかに眠ることができないだろう。

 祖父の死後、祖母は戦歿者寡婦(「戦争未亡人」)として(であるがゆえに)再婚することもなく、子ども二人を育てあげた。周囲が驚くほどタフな人間であったが、さすがに最近入院してしまった(それでも持ち前の体力に、看護士さんたちは驚いている)。終戦記念日(8月15日)に見舞った折に見た、その痛々しい姿からは、戦争を経験した人間の苦悩が見てとれた。
 国に殉じた祖父を「御祭神」として祀り、その死が「名誉の戦死」となることで、遺族感情は多少なりとも慰められる。だが、祖母が辿ったその後の人生の苦労を思うと、祖父の「無念の死」を安易に讃えたり、首相の参拝に感激する気にもなれない。まして、それが一人よがりの「平和」と排外的な攘夷を招くのであれば、当時対外的に孤立化した日本の状況を知る祖父は参拝に同意しないはずだ。
 戦争犠牲者を追悼するのに、なぜ国内の、それも一部の兵士たちだけを対象とするのか。その点をもっと問題にしていいのではないか。今日9月2日は、国際標準としての戦争が終わった日である。

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