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「戦後」を考える機会

 教育史学会に参加するため東京へ。去年と違って、大会スタッフでも発表者としてでもなく、他の会員の発表を聴きに行ったに過ぎないので、その点気は楽だったけれど、ただ座り、聴き入るだけでも相当体力を使う(ホリエモンみたいな言い回しになってしまった)ということを改めて思い知った。
 常に自分の現代教育に対する問題認識を自覚し深化させながら、個別の歴史事象を捉えて、そこに現代的生命を与えていく―無知なりにその重要性(方法・手段としての教育史とでもいえばいいのか?)を認識し、課題として持ち帰る。

 シンポジウムに触発されて、今度の読書会は、「戦後教育史」あるいは「戦後史」をテーマとした研究からテキストを選んではどうかと今度提案してみよう。学部生も関心をもってくれるかも知れないし。
 また、「戦後」というキーワードについて、じっくり考えてみたい。「戦後」と付すからには、やはり戦争と結びつけて論じられる必要がある(戦争後のガラっと変わった時期だよという程度の、戦前と断絶した単なる時間的な枠組みとして「戦後」を済ませることはできない)と漠然ながら思う。なので、先行研究が「戦後」「戦後教育」概念をどう処理しているのか、ぜひ調べ合い、議論してみたい。まずは、ピックアップから……。

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コメント

たしかに現在、戦後60年をすぎて「戦後」から「戦争」という概念は薄らいできているかもしれませんね。
でも、いわゆる戦前からの近現代史を学ぶことは現代の日本人にとっては大切ですよね。時代が新しい分、人によって捉え方は違うと思いますが、高樹さんのいう「戦争」との関わりも論じられてもいいですね。

学校教育の現場では、近現代史は時間が足りなくなるのが残念ですね。

投稿: F田 | 2006/09/20 04:16

 1945年で日本の教育システムが質的に変わったというのはあまりに一面的な理解で、一部はすでに線時期に構想され、戦後に至って実現された(義務教育延長や科学教育の向上など)といった認識が、教育学(おもに教育社会学)の領域ではすでに提示されています。
 また、「戦後」という枠組み自体、1945年後のアジア情勢を考慮すれば、自国中心的な理解だとも考えます。
 現代につながるものとしての「戦後」をリアルに捉える枠組みはあると思うのですが、なかなか現代のわれわれは遠いものと考えてしまいがちですね。学校教育のせいだろうか。

投稿: タカキ | 2006/09/21 22:49

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