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いじめ・自殺問題に関するメモ

■1985年9月――福島県いわき市での中学生いじめ自殺事件
おそらく、「いじめ自殺」の例としては早期の例である(*)。
この当時の教育を取り巻く政策動向といえば、中曽根内閣-臨時教育審議会(1984年)があった。
法務省なども、いじめ問題について積極的に取り組むよう各法務局、地方法務局長に通達を出している(1985年3月)。 
事件は、このように教育改善への取り組みがなされはじめたときに起きた。


■2006年10月――福岡県筑前町での中学生いじめ自殺事件
教育を取り巻く現在の状況はといえば、安倍内閣-教育再生会議という体制が組織されている。
事件が起こったのは、会議発足直後のことだ。そして、現在教育について特集したテレビ番組が各局で放送されるなど、教育論議が高まっている。

 まるで、政府の教育政策を通して教育への世間の注目が高まることにより(あるいは高めるために)、それら事件があぶり出されてきたかのようである。さらに掘り下げていけば、何かしら共通の問題構造が見えてくるのではないか。
 現実として問題なのは、事件はすでに起こってしまっているということであり、その逆ではないということである。そのような中で、とにかく教育の現状を憂うという世論がいっそう喚起されていくわけだが、大人たちによる感情的・規範的な議論で、問題が解決することはないだろう。歴史がそれを示している。そして、子どもたちもまたそれをよく知っているがためにいっそう懐疑的になり、自殺予告などを通して、せめてもの悲痛な叫びを世間に発信しているのではないか。
 いじめが、同質・同等、形式的平等の原則を過度に重視し、強迫的な忠誠・同調競争を誘導する学校秩序や社会構造に起因するものであり、それゆえに簡単に解決するものではない(「所与の」社会秩序のもとで、自分はいじめられてもしょうがないと不当ないじめを自分で正当化してしまう)ことを子どもたちは肉体的に実感しているはずである。

(*)ただし、このことは、この事件以前に少年のいじめ自殺という現象がなかったことを意味するのではない。「いじめ」という概念自体が1980年代頃に登場した新しいものであるため、その概念を適用するかたちで自殺が捉えられた早期の例ということである。少年の自殺は、それ以前から問題視されていた。警察庁が発表した『少年の自殺白書』(昭和52年度)によれば、当該年度の自殺少年784件、高校生242人、中学生103人などが指摘されている。その原因が何なのかはまだ確認していないが、「いじめ」によるものも含まれていると推測される。

        ■   ■

 「いじめを根絶する」。立派な信念である。当然、異論はない。ただ、この問題はそう簡単に解決できるものではない。福岡のいじめ自殺事件における担任教師の「加担」がそれをよく示している。担任教師にはおそらく、自身の言動が「いじめへの加担」につながっているといった認識などなかったのだろう。
 
 「いじめの根絶」の問題を考えていくうえで、私が出発点とする認識は「いじめをなくすことはできない」という逆説的なものである。そう認識しておくからこそ、「何がいじめ(の要因)になってしまうのか」と自らの言動が加害に転じる危険性について不断にチェックし、「いじめが起きた(起こした)ときにどうするか」という、問題に備える習慣を(自分のなかで)整えることができる。「自分がいじめをするなど絶対にありえない」「いじめとは無縁の立派な大人」などと思っていると、そのチェック機能は働かなくなる。
 いじめに関するマスコミの報道に接してそのたびに違和感を感じるのは、おそらく「教師・学校への非難」だけに特化して、自らを「いじめとは無縁の正義の世界」に置いている彼らの傲慢な姿勢に起因すると考える(だから、自分自身も、この種の問題についてはあまり大きな声で「正論」を発したくないというのが、正直なところである)。


 いじめが起きないための対策を講じることは必要だろう。
 だが、それは教師が生徒に「いじめはいけない」という空虚な言辞を送るといった、個人の心理的側面に訴える徳目主義的なものでも、大人がたえず子どもの一挙手一投足に眼を光らせ、秩序に服従させる管理主義でもないはずだ。教師や保護者の管理体制がしっかりしていれば子どものいじめはなくなるというのは、大人の思いあがりでしかない(当事者であるはずの「子どもが登場しない」、大人主導のいじめ問題解決の議論というのも、滑稽な構図である)。いじめが起きない無菌空間がありうるなどと考えられるだろうか。仮にあるとして、そのような無菌空間のなかで、子どもは人間として成長していくことができるのだろうか。いじめを臭わせる事件が起きたときに、大人の価値観で一方的に取り締まるのではなく、それを子どもたち自身の手に返し、子どもたち自身による解決を支援するような方法はないのだろうか。子どもの心理ではなく、いじめ(暴力・迫害)の社会的意味に注目し、そこから問題を民主的・平和的に解決するための手だてを大人たちは考え、自ら実行してきたのだろうか。

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