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アブナイ居合道稽古法

(以下、駄文)
 新年に入って、稽古に行くことができていない。
しかも、それに加えて、この一ヶ月は県の武道館が使用できないときた。
この現実を前に、では(道場で行う形態の稽古の)ほかにどのようなかたちでの稽古法がありうるのか。それを、最近考えるようになった。
 素振り、呼吸法の鍛錬、書物で勉強、などが、ある程度場所を選ばずにできる稽古法だといえる。
 しかし、“居合とは本来、時間と場所に関係なく、自分に殺意を示し、斬りかかってきた敵への的確な対処の仕方だ”と捉えるなら、日常生活の各場面場面がすでに稽古の場になりうることになる。そして、ここから、あるアブナイ稽古法が浮かび上がってくる――。そう、以下のような「妄想劇場」が。


〈ケース1〉
街を歩いている途中、もしかしたら今自分に向かってくる人が斬りかかってくるかもしれない。
⇒袈裟切り、諸手突き、顔面当て(以上、全剣連居合)、摺袖返、受流(以上、古流奥伝)など


〈ケース2〉
街を歩いている途中、もしかしたら今自分の隣を歩いている人(々)が斬りかかってくるかもしれない。
⇒添手突き(全剣連居合)、連立(古流奥伝)など


〈ケース3〉
公衆便所で用を済ませて出ようとしたら、入り口に敵が待ち伏せていた。
⇒門入、壁添(以上、古流奥伝)など


さすがにばかばかしいのでここらで止めておく。おそらく、居合道関係者の中は、これとは違ったかたちで、想像力を働かせて日常生活の中に稽古を組み込んでいる方々がおられるはずであろう。
 上に示したような思考であまり入れ込み過ぎると、「目付」ならぬ目つきが相当にヤバくなり、想像の世界にとどまらないで、思わず実際に身体が動いてしまいかねない危険性がでてくる。そうなると変質者と間違われるので(いや十分に変質者じみている)、結局は、素振りや筋トレを少しづつでもやっておこうという結論におさまる。でも、「アブナイ稽古法」でも“多少”勉強になる部分はあることも確かである。例えば、「今自分に向かってくる人」にタイミングよく切り付けられるかというと、自分と相手の歩幅や歩く速さの違いなどから、簡単にはいかないということがよくわかる。自分のそう都合のいいように「仮想敵」は動いてくれないという現実を理解したうえで業の精度を磨くことができると思う。


(さらに駄文)
 そういえば最近は、町中などで人とすれ違うとき、どちらに抜けてよいかわからずにばったりはち合ってしまう(それで「あ、すいません。あれっ」とお互いに行ったり来たりするような)ことが無くなった。ゆっくり歩くようになったということかもしれないし、あまり出歩かなくなったからかもしれない。そもそも、そんな事態になること自体、極めて珍しいということもある。だが、実は、居合の成果-遠山の目付-によるものだと思ったり(願ったり)する。
 それと、これは一度リサーチしてみたいが(いつやるのさ)、居合をやっている人は、お互いに刀がぶつからないよう、すれ違うときは左側を抜けたがるという習性があるのではないか、なんて思ったりする。ちなみに自分にそんな習性はない。右側を抜ける。ということは「行違」(古流奥伝)で斬る気満々ということか(ただ、右利きだからそうなるだけだ)。

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コメント

アブナイゾ。
でも、相手が想定どおり動くものではない、ということも考えながら斬るのと、ただ型どおりに斬るのとでは、いろいろ違ってくるはず。斬ったら血の出るような論文を書け、ならぬ、斬ったら血の出るような斬り付けを!ってか。

投稿: すだ公民館長 | 2007/01/20 08:49

名言ありがとうございます。
今年は「あぶない刑事」ならぬ、「あぶない居合道家」をモットーに精進していこうと思います(←バカ)。そんでもって「タカ」と読んで下さい。

投稿: タカキ | 2007/01/20 20:41

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