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[水ログ]ダイヤモンドシティ・エアリ

ダイヤモンドシティ・エアリ DIAMOND CITY airy(公式HP)

ダイヤモンドシティ・エアリ -Wikipedia-

なとりりんくうタウン

東北最大級のリージョナルショッピングセンター(RSC)がついにオープン。話題になってます。それにしても、ものすごい店舗数です。行ってみたいが…

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学習刺激剤としての「学校ボランティア」

 H小学校での学習補助は、昨日で全日程終了。一年間を通して休むことなく、皆勤することができた。
 「算数の時間が楽しくなった、という子どもが増えた」というのはありがたい。
 算数・数学教育に精通してなどいない自分ごときが関わったところで、子どもたちの「学力(学習到達度)」が即向上するはずもないのだが、しかし、子どもたちが算数の勉強のために机に向かう(今後も向かい続ける)そのきっかけや刺激剤とでも言おうか、ちょっとしたスパイスとしての役割を「学校ボランティア」が果たし得たならば本望である。
 そもそも「教育の成果」というのは、教師の力をもってしてもそう簡単に具現する質のものではないし(そもそも実体的に捉えられるものなのだろうか)、また表面に出てきたもの(=テストの点数)だけをみてそれが即成果の総体だと判断するのも、(もちろん、それも重要だが)どこか矮小的にすぎる。子どもたちが大人になって、「ああ、そういえばあのとき担任の先生や、ボランティアの人に教わったなぁ」という記憶と共に、知識が剥落していないことを実感してはじめて、当時の教育の成果を評価する一指標にできるだろう。
 それゆえに今「知っている・覚えている」ことよりも「楽しい」と思っていることのほうがある意味では重要であり、そのような感想を生徒達から貰えたことは、ボランティア活動が(その後の)自主的な学習への可能性になりえたという意味で、こちらも喜べるのである。
 子どもたちに働きかけてきた自分に関していえば、子どもたちに教えることを通して、「ああ、あのとき教わったことは、実はこういうことだったのか」と多くを学び直すことにつながった。特に、すっかり数字や記号の機械的操作として扱いなれてしまった計算を、より具体的なイメージをもつ問題として捉え直すに至った。
 例えば、以下の問題。解かせるのに苦労した問題である。

「問題:和が82、差が6になる二つの(整)数を求めなさい。」

模範回答は以下の通り。

(82-6)÷2=38
 38+6=44
          答え:38と44

これは、代数(x,y)を入れて教えることは小学四年生にはできないのが難しい。○や△でもダメであった。有効な方法として、帯(棒グラフのようなもの)を提示しながら、以下の要領で教えるというのがある。

 ①[ある同じ数](帯で図示)
 ②[[ある同じ数]より6大きい数](同じように、①より「+6」長い帯として図示)

 ①+②=82
 82-6=76(帯の長さをそろえる)
 76÷2=38(二本の同じ長さの帯一本あたりの長さ=①[ある同じ数])
 ①+6=44(=②[[ある同じ数]より6大きい数])

計算自体は、実は代数を入れたときと基本的に変わらない。

    x+y=82
 -) x-y=6
 ―――――――
    2y=82-6(76)
       y=76÷2
      =38

     x=38+6
     =44

       答:38と44

要するに、「直観的に考える」ということを以上の問題は教えてくれる。記号(x,y)を代入して計算する操作が指し示している具体的意味を、自分はこの問題を通して学び直した。

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「いたちのたぬき」がイタイタヌキ

 久しぶりに『ピタゴラスイッチ』を視聴。
DVDブックにまでなっている「ピタゴラそうち(装置)」は相変わらずスゴイ。
“いつもここから”の「アルゴリズムたいそう(体操)」は、ついにプロ野球選手とまでコラボレーションしている(かつて「忍者のみなさんといっしょ」という、思わず噴きだしたコラボもあったが)。
 幼児向け番組だが、大人も楽しませてくれる。人気の理由は、何か子どもたちに知識を与え、啓蒙するというありがちな発想ではなく、「ものの見方を変える」という点にこだわった番組制作による成果だろう。
 我々が日常的に見る風景の一部を○や△、あるいは「―(棒)」などの記号に実験的に置き換え、抽象化したりすることで、世界の認識の仕方を考える。一人一人が同じ動作をするという従来の発想を転換し、二人以上が異なる動作をすることではじめてカタチが完成するという新しいタイプの体操・行進。等々。子ども・大人にかかわらず、その既有の認識構造をゆさぶられるからこそ、楽しめる番組だといってもよい(大人自身が見て楽しくないものが子どもにとって楽しいはずもない)。そして、その認識のゆさぶりこそは、子どもの発達段階などに関係なく、〈学び〉の根幹に関わるものである。ピタとゴラによる恒例の「じーっ(字のシャレか?)、こどもだから、よめませーん」という百科おじさんへのセリフからテレビのジョンの登場へという毎回お決まりのシーンをみるたびに、「語彙が足りなく、本を読めない子どもたちにも、このような映像を駆使した教育メディアを通して、十分に自然・社会・科学に関する〈学び〉の楽しさを与えることができる」と制作サイドが間接的かつ意図的にメッセージを発していると受けとるのだが、それほどハズれた理解ではないだろう。さらにいえば、あのシーンは、よく陥りがちな百科全書的知識(情報)付加型学習への批判をも匂わせているように思える。同番組が2003年に日本賞を受賞した(第30回・総務大臣賞-子ども番組の部)のも十分に肯ける。
 さて、久々にみたところ、初めて聴く新しい歌(?)が流れた。
この「いたちのたぬき」という歌が、じつに印象的で脳裏に焼き付いた。以下に歌詞を記す。

 いたちのたぬき 
  
  いたちのたぬき
  かにのかとり
  さんまのまぬけ
  おはしのおはなし
  たまごとるタマ
  ふろくふとる
  バナナのバトル
  はちまきまきとる
  きゅうりのリトル
  ジュースのストロー

この歌詞には、ある法則が隠れている。番組をみていない人は、ぜひ考えてみて。

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スーパーの安売りから考える「暖冬」

 体調が悪い。風邪だろうか。世間は三連休だというのに、ここ数日ろくに活動できていない。気候がおかしいと体調もおかしくなる。こういうときに独り身は辛い。
 しかし、何も食わないでは体もよくならないので、体を引きずってスーパーに買い出しに行く(薬を買えよ、というツッコミはなしでお願いします)。するとキムチチゲ用スープが安い。試食コーナーでおばちゃんが勧めるのでついつい買ってしまった(つくづく人がいい体質)。また白菜など鍋物野菜も格安だったので購入(一人で鍋ですか、というツッコミはなしでお願いします)。
 これらが安いのには、どうやら暖冬が影響しているようだ。今日の夕方のニュース(宮城版)でこの点が報道されていた。本来冬に売れるはずの鍋物関連の食材が売れず、かわりにトマト・レタスなどサラダとして食べることの多い野菜やアイスクリームが昨年と比較して売り上げを伸ばしているという(そういえば最近アイスをよく食べてるな)。そのため、スーパー側も食品の品揃え・棚の配列に苦労しているとのこと。
 これを自分の買い物に照らしていうと、「(おそらく売れ残っているのであろう在庫の)鍋物関連食品を、スーパーの戦略にまんまとノせられて買ってしまった」ということになる。単純だなぁ、オレ。まあ、でも、勉強になった。安売りのチラシや試食コーナーをみることで、気候変動――暑いのか、寒いのか――とそれに即したスーパーの戦略――何が売れると予測しているのか――がみえてくる、そう考えることができるだろう。ちなみに、先のスーパー、「小粒納豆」は78円の格安だった(ふつう相場は85円~105円くらいだろう)。これは、暖冬ではなく、アレの影響だろう。もちろん、いつも通りに購入してきた。

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[木ログ]教育委員会・組織運営の弾力化

〈独自の取り組みで注目されている自治体〉

愛知県犬山市
市教育委員会

埼玉県志木市
志木市ホームページ
埼玉県志木市(5)「特区」が実証した「改革は地方から」@JANJAN、2005年5月18日。

埼玉県鶴ヶ島市
市ホームページ[教育]

京都市
市教育委員会

都道府県教育委員会・政令指定都市教育委員会@文部科学省リンク集

教育委員会 -Wikipedia-

※小川正人『市町村の教育改革が学校を変える―教育委員会制度の可能性―』(岩波書店、2006年)で取り上げられた四市をとりあえずピックアップした。各市の画期的な取り組みの詳細については、同書を参照のこと。
 昨今の教育再生会議などにおける教育論議でその改革論、さらには廃止論が飛び出している教育委員会。その名前は日頃よく聞くものの、実際のところ、どういう組織なのかはあまり知られていない。ただただ「学校や教職員を管理している教育行政の末端機関・文部科学省の出先機関」という印象をもたれがち――。
 2000年以降における一連の分権改革のなか、教育の領域でも、義務教育費国庫負担率の切り下げや交付税削減などに伴う市区町村への人事権移譲や人件費負担をめぐる論議と関わって、教育委員会の組織運営への変革が迫られている。教育委員会の独立性・自律性と自治体首長の権限とのバランスや、「素人」合議制としての教育委員会と教育長・事務局の専門性とのバランスなどをめぐって、最近の改革事例を参考にしながら検討していく必要があると感じたのでチェックした。また、戦前の教育会への分析視点を構想し、またそこから新たに現代の教委をめぐる状況を捉え直す視点を導き出すうえでも有効かつ重要だと考えた次第。

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中山博道の居合

中山博道(1873-1958)の動画(Youtube)があった。→ココをクリック

三道(剣道、杖道、居合道)範士、夢想神伝流創始者である中山博道の演武動画。
今日の居合とだいぶ違うことに、まず驚嘆。「伝統」というものが人間の手によって継承される以上、それはたえず変化し、生まれ変わってゆくものだ(わざの継承のうえでそれは避け得ない)ということを改めて認識する。
それにしても、貴重な映像だ。

ついでに、以下の動画もみつけた。その魔法のような技にただただ圧倒された。

三船久藏(柔道)

植芝盛平(合気道)

塩田剛三(合気道)

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北方教育の受難と今の教育論議に思うこと

  例によってネタがない。
以下は、思うところがあって、少し(といっても半年以上)前にノートしておいた1920-30年代を中心に展開された北方教育運動に関するメモ。教育会と絡む記述があるのでノートしておいた。

     ◇

 北方教育社では、綴方界の著名人であった峰地光重を招聘している。その経緯と実際の概要が雑誌『北方教育』で報告されている。
 『北方教育』(第1巻)第6号(1930年12月)の編集後記に、峰地光重来秋の話題が記されている。
 これによれば、峰地の招聘にあたっては秋田市教育会、および県学務課からの賛意が得られたことが読みとれる。「幸に、市教育会でも非常に賛成され、市で主催するか、共同主催するかと言ふ熱意まで示されたのであります。勿論県学務課の方々も賛成して下さいましたので……」(哲生筆)。実際には、日程の変更もあり、峰地が日帰りで秋田を訪問、附属の授業参観をするだけの日程となった。


 峰地「秋田紀行」の概要は、以下の通り(峰地光重「秋田紀行」『北方教育』(第2巻)第7号、1931年6月、17-20頁)。
・峰地は駅で北方教育者の成田(忠久)、附属の滑川(道夫)、蓮沼の出迎えを受けた。
・附属〔小学校〕を訪問。滑川の授業を参観。夜は川端の料亭できりたんぽを食している。
・「尚この旅に於て、市教育会や県学務課、北方教育社が私のために講演会の準備までして下さつたのに、私の不意な日程の変更のために、御意に添ふことの出来なかつたことを幾重にも、お詫びせなければならないと思ひます」(20頁)。


 ここで筆者が注目するのは、峰地の講演会準備のために、北方教育社だけでなく、市教育会や県学務課も協力的な意向を示していることである。教育会、県学務課が具体的にどう動いたのかは定かではないが、民間の教育団体と官側が全くの対立関係になっていたわけではないことを示す事例であるといえる。民間団体と教育会の間には、かなりの割合で教師の交錯、教育志向の共通性が見られるのではないかと推測される。
 ではそう捉えたとき、何が両者を引き離し、北方教育弾圧の引き金となっていくのだろう?
 戸田金一『真実の先生―北方教育の鬼 加藤周四郎物語』(教育史料出版会、1994年)に興味深い記述があった。同書によれば、1970年に北方教育創立40周年記念集会が開催され、北方教育同人たちによる座談会が行われている。そこでの話題に関し、戸田氏は次のように述べる。

 ところが、話題が弾圧のことに及んだとき、わたし〔戸田氏-引用者注〕の頭は混乱した。これまで理解していたこととは、まったく違っていたからである。わたしの理解は、平凡社の一九五六年版『教育学事典』のなかに国分一太郎が執筆した「生活綴方運動」の記事を鵜呑みにしている。そこには次のように書いてある。
 「ちなみにそのときの思想取締当局の弾圧の理由は、①この運動は反ファッショ、反官僚をたてまえとする、多くは貧弱な農村地帯の子どもを愛するまじめな教師たちの統一戦線の結集を目的とするものであること、②文学におけるプロレタリア・リアリズムの創作方法から学んで、この方法を綴方指導に適用し、貧しい農民の子弟たちに現実の矛盾を見させることによって階級意識を昂揚し、これを反ファッショ、反官僚、天皇制打破を含む反封建のための統一戦線にみちびきいれて、まず民主主義革命を遂行し、やがて強行的にプロレタリア革命に転化することをねらう労働者階級の同盟軍たるべきめざめた農民を育成しようと企図したものであること、③そして、これによってコミンテルンおよび日本共産党の目的遂行に資する行為をやったと思料されること―というのであった」
 そしてこの文章に続いて、主な弾圧された者の名がならび、国分をはじめ、この座談会に出席していた北方教育の加藤周四郎・佐藤忠三郎・田村修二・鈴木正之らの名を含めている。だから生活綴方運動の一翼をになった北方教育は、わたしにとって、プロレタリア革命運動のなかに位置づけられ、そのうえでの評価となっている。
 ところが、司会の花岡〔泰雲-引用者注〕が顔をまっかにして「おれたちのなかに、プロレタリア革命の教育をした者がいたか?」と、怒鳴るようにいっている。続く同人たちの発言も、異口同音「そんな教育はしなかった」というのだ。これで、わたしの頭はたちまち混乱した。これまでのわたしは、あの戦争中によくぞ革命的教育を展開したもんだと、この教師たちを英雄視し、尊敬してきた。ところが当事者たちは、みずからの栄光の座のレッテルをかなぐり捨てている。これではただの人ではないか。

戦前天皇制教育への数少ない抵抗者であったとみられる北方教育同人たちからの指摘に戸田氏は困惑している。われわれの教育実践は、そのような政治性とは無縁であったと同人たちは述べているのである。花岡が憤怒した背景には、治安維持法違反という無実の罪を着せられた彼ら自身の体験があった。北方教育同人たちが人民戦線の組織と連携した事実はない。すなわち、彼らは〈いずれ国家権力にとって国民総動員の支障になるにちがいない〉という憶測のもとに、〈あらかじめ〉不当に罪人に仕立てあげられ、排除された犠牲者たち(スケープゴート)であったといえる(奇妙なことに東京の綴方教師たちはこの受難の埒外に置かれた)。
 しかし実際の北方教育の運動は、彼らが社会変革の必要性を十分に認識していたとしても、合法的活動を重んじた、あくまで教育実践とその理論化の運動に徹したものであった。それだけに、この問題について、彼らを弁護するような学務当局や教育会からの積極的な働きかけが見られなかったことは、今日の我々から見て痛々しい。
 彼らが主催する講習会はいずれも、官製講習会にも見られぬ成功をおさめいたといわれ、それゆえに学務当局も彼ら北方教師たちの活躍をむしろ評価していたといえるのではないか。職業指導体制の整備にあたって秋田県当局が、運動で活躍した加藤周四郎を秋田県社会事業補に登用したこと(1940年1月秋田職業紹介所少年係主任→7月秋田県属学務部職業課業務係長)はその一つの傍証としてみることができるのではないか。

      ◇

 読み直して思うこと。北方教師たちを取り巻く環境が、かなり恣意的なかたちで協力から弾圧へと一転してしまう状況に思いを馳せてみて、今の現状が想起される。教員免許更新制-不適格教員排除をめぐって、ココあたりがまるで真剣に教員の思想統制的なことをいっているのをみると、北方教師たちの受難も「昔のこと」では済まされないものを感じる。

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