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まず食うこと、それから道徳

 今日の表題は、ある居酒屋に掲げてあった名言。ウェブ検索したところ。ブレヒト(ドイツの劇作家、詩人、演出家)の『三文オペラ』中の言葉だとか。本質を端的に表現していると思う。今、日本が直面する時代状況(格差時代の道徳「教科格上げ」状況)にも一石を投じるだけの力を持っている。

        ◇

 さて、昨日は、ヤギーさんの激励会。多くの人が集まってくださった。
 この激励会は、いわば一大どっきり企画であった。参加した方々が、それぞれどっきりのために一役買ってくれた。幸せなどっきりをかけられた人の、身体の硬直ぶりが、眼に見えてよくわかった。
 これもひとえに幹事(だっつい、yoshio両氏)の力量のなせる業であり、またヤギーさんのお人柄の賜物であるといえよう。幹事のお二人、そして、このどっきり企画に一役かってくださった方々、ありがとうございました。「大成功!」でしょう。

―「まず楽しむこと、それから道徳」。

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セクショナリズムの発露か

 小学6年生と中学3年生を対象にした全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)が、本日行われる。どのような報道がなされるのか、気になるところだ。

 それにしても、最も児童生徒が見えている各学校ですでにさまざまなかたちで学力把握がなされているにもかかわらず、このような全体調査を行う意味がどこにあるのか、私にはわからない。そもそもペーパー・テストで計ることの出来る「学力」の質―テストから読みとれるもの―に関しては、調査のあり方を含め、きわめて慎重な議論を要するはずである。そもそも学力観自体多様であることを念頭に置けば、さまざまな側面から子どもたちの学習傾向を把握していくことがむしろ対策としては有意義なはずである。だから、抽出調査ではなく、今回のような全体調査でなければならない理由もよくわからない。果たして多額の税金を投入するだけの意味があるのだろうか。序列化をふくめ、いろいろな問題を引き起こす可能性が考えられるだけに、文科省がこれに乗り気だとも正直思えないところがある。
 「学力テスト」というものは、子どもたちに何が学ばれたか(あるいは学ばれていないか)を把握し、行政が学力保障のための政策的な改善をはかるために行うものだと私は考えるが、これを機に政府や文科省が、自らが行う教育政策の自己評価に本腰を入れるとは思えない。過去の「教育改革」政策がよい証左である。ここ30年の「教育改革」に関し、その自己反省がなされたことを私は寡聞にして知らない。それどころかたえず青少年を誹謗・中傷の対象とし、それを「教育改革」の理由としつつスローガン先行で迷走してきたのが、ここ30年の「教育改革」ではなかったか。
 もしこの調査への国民的関心がテストの「得点」という表面的な部分にのみ傾き、それを根拠に学校や教師、さらに子どもたちを批判して競争を煽る風潮が蔓延するようならば、〈確かに学力低下が進行している〉と評価することができるだろう。「子どもたちの」ではなく、「日本国民全体としての」学力低下が。

   ◇   ◇

 教育基本法改正(教育振興基本計画条項の盛り込み)や教科書検定(沖縄集団自決における軍の「強制」を削除)をふくめ、ここ最近における一連の教育政策は、あまりに問題なものばかりである。行政改革・構造改革のなかでそれ自体リストラの対象になりつつある弱小官庁・文部科学省が自らの仕事と予算を守るための生き残り戦略が、自民党の思惑と重なって、ズルズルと政治従属的な方向へ後退しているのだとしたら、危機感を覚えずにはいられない。

〈リンク〉
・全国的な学力調査について@文部科学省
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku-chousa/index.htm

・学力テスト:問題と正答例
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/etc/gakuryoku.html

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「あの研究会」が再開

 日本教育史のプロパーといえる先生がいない環境下で、若手学生有志によって誕生した「あの研究会」(知る人ぞ知る。発足時はまだ20世紀だったと思う)がついに再開した。
 K山先生が赴任されてからは、研究環境の向上に甘んじてほぼ開店休業状態だったが、先生が年度末をもってご退職され、また昔の状態に戻ることになった。そこで改めて、当時中心メンバーであった方々が世話人となって、多忙にもかかわらず、労を惜しまずに雑務をこなした結果、この4月からの再開に漕ぎ着けた。一応、自分なりに説明すればそういうことになる。
 そこで昨日、さっそく読書会が行われた。自分も賛同者の一人として参加。充実した時間を過ごすことができた。この充実感は、講座の院生発表会などでは到底味わえないものである(講座のほうはストレスばかりが溜まる。あっ、深く追及しないように)。自分が研究論文の検討(読み方)をめぐって、報告者の緻密な解読作業や参加者の専門的な意見からじっくり学ぶことができる機会というのは、そうなかなかあるものではない。
 会員数も増え、すでに6月までの研究会の報告予定は埋まっている。この研究会の活動にかける各会員の意気込みが伝わってくる。

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[木ログ]行政まで関わるキャラクター珍騒動

 プロ初登板の苦いデビューから一転、マーくんこと楽天の田中将大投手がホームで完投・初勝利をあげ、ソフトバンクに雪辱を果たした。初回無死満塁からの3連続三振に始まる13K。その荒々しさがかえってそそる。「なんか持ってるね」(野村監督)。フルスタ、行きたかったなぁ。
※「楽天:田中、完投でプロ初勝利 ソフトバンクを降す」『MSN毎日インタラクティブ』、2007年4月18日。

    ■   ■

 ところで、楽天イーグルスについて、自分が以前から気になっていたことがある。
 それは、球団「非公認」であるにもかかわらず(であるがゆえに?)、公認キャラクター(クラッチ、クラッチーナ)がかすんでしまうほど多方面で活躍しているMr.カラスコのことである。シーズン中のみならず、オフの期間におけるこの生き物の活躍は著しく、球団のみならず、県や市まで乗り出して、ストーリーを演出し、盛り上がっているほどであった。
Mr.カラスコ - 公務員試験に挑戦

マスコミ(巨人の日テレ)にも話題を提供して(いじられて)いるあたり、じつに狡猾な広告戦略だなぁと思う。柔軟な奴である。
Mr.カラスコ - 日テレ報道フロアに乱入

球団側の遊び心も交じっていると思うが、他のスポーツ団体や地元企業の広告にもカラスコが一役買っているのは事実だろう。
Mr.カラスコ - ポスティング要求

でも、やっぱり本音は…、やっぱりフィクションを貫くには無理がある気がする。
楽天 Mr.カラスコ キャッチボール

今後どのような方面に活動の場を広げていくのか、こちらもマー君ほどではないが、気になるところである。

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[月ログ]学力テスト

全国学力テスト緊急シンポジウム開催報告
明石書店のHPより。

シンポジウムで指摘されていたような問題が、さっそく飛び出している(「「全国学力テスト実施しないで」児童生徒9人が仮処分申請」『YOMIURI ONLINE』2007年4月16日)。

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[木ログ]日本軍「慰安婦」問題関連

永井和「日本軍の慰安所政策について」

財団法人女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)
※『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』(全5巻、龍溪書舎出版)の閲覧ができる。

・河野談話-「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」1993年8月4日。

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「強制」と「状況の力」

 「従軍慰安婦」問題、および高校歴史教科書の沖縄集団自決に関する記述問題で、日本軍による「強制」(慰安婦問題の場合、連行における「強制」)があったか否かで、ここしばらく湧いている。「証拠(文書)がない」といった指摘自体が、矮小な歴史認識(官房的歴史観とでも言おうか)の反映にすぎないと、率直に思う。そもそも「強制」なくして、証言等に示されているような慰安所経営や集団自決の状況を作り上げたのなら、軍の関与云々以前に日本人の非人間性がよりかえって問題になるだろう。

 自分は歴史教育について、以下のように考えているが、上記問題をめぐって、安倍内閣からその姿勢は見えてこない。

自己満足(例えば、我が国は戦争、植民地支配時にいいこともした、など)や趣味(最近テレビで歴史ブームだがあれは何故?)に終始し、「自己変革をとげていく高度に知的で心理的な作業」である「自己批判」をもたない歴史認識は、その国の知的・文化的成熟度の低さを周囲にひけらかすようなものであり、そんな歴史認識に基づく独善的で自国中心的な歴史教育のほうが、(外からの軽蔑の眼にさらされる点で)はるかに「自虐」的だ。

 もちろん、戦争を一方の(被害者の)立場からのみ語ることで、隠蔽してしまうものは多々あると思う。国民総「動員」という言葉が示しているように、軍による「強制」というだけで戦争を捉えきることができないのは事実である。今回の教科書検定に際して、各教科書会社がはじめから「従軍慰安婦」記述について自主規制している=文科省にすり寄っている現状からして、ある種、戦時期のメディアの対応と変わらない一面を示している。

 自分は先日、映画es[エス] について触れた。この映画は歴史教材としても非常にすぐれたものだと思う。高校歴史の授業の際に生徒にみせたら、いい反応が得られるのではないだろうか。
 同映画では、「状況の力」がいかに普通の人々の「人格」を支配し、非人間的な行為へ向かわせるかが描かれている。ただ、誤解してはならないのは、「すべてはその時の状況が悪かった」というように、時代の「なりゆき」が問題なのではないということである。どんな状況も、それを作りだす人間がいてこそ成り立つわけだから、どこに問題の根源があったのかを、あるいはそれを回避する未発の契機があったのかを、慎重に検討していくことが有意義だろう。

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道徳教科、効果は疑問

 教育再生会議が、今度は道徳の教科化を提言するという。「教育再生」とは昔の教育(修身科)を再生することなのか。道徳教科という発想の古さに驚く。それなら委員の方々にはぜひ、戦前の修身科が「効果がない」と批判され続けた歴史も念頭において頂きたい。
 修身教育改善を内容とする「徳育重視」は、「知育偏重」という問題意識と結びつき、教育勅語発布後も繰り返し政策課題となり「続けた」。そのことが何より、道徳教育で問題を解決しようとする困難を物語っている。森文政期における修身科試験の廃止をめぐる論争や、文部官僚として活躍した澤柳政太郎の低学年修身科廃止論をはじめ、修身科の無力を訴える声が学校現場や教育雑誌等で相次いで出された。
 そもそも教科として教科書を使って教える「道徳」は、徳そのものの教育ではなく、徳(徳目や倫理・思想)について文字で表された知識を教える結果になりやすく、授業が道徳的と評価される社会的行為に直接つながるとは限らない。それに評価が加われば、かえって建前と本音を使い分ける偽善的態度を子供たちに促す結果になりはしないだろうか。
 教科化されても効果が出ないことを問いつめられ、学校・教師は一層苦しむだろう。子供たちに至っては、学力だけでなく、心の面でも競争を強いられる。その息苦しさは、やがていじめや暴力として問題化していくのではないか。

※朝日新聞「声」欄(4月4日朝刊)もお読み下さい。

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[月ログ]にゃんにゃん分析(解析)

やってみた。タカキを猫で表すと、以下のような結果になるらしい(で、どう解読すればよろしいので?)。

「タカキ」のにゃんにゃん分析結果

猫画像の占い

ブログ名でやると以下のような結果が。

「鵜の目「タカの眼」」のにゃんにゃん分析結果

猫画像の占い

まあ何はともあれ、癒されました。にゃんにゃん。

※おまけ(おもしろ画像分析

「タカキ」の分析結果

おもしろ画像

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