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「事件は現場で起きているんだ」というフィクション

※以下は、ずいぶん前から構想として頭の中にあったのだけど、なかなか文章化できずにいたものです。

 「現場を見に来い」とは、よく学校現場の先生が大学の研究者や教育学部の学生に向かって吐くセリフである(指導者講座にお手伝いで参加したときよく言われた)。ときに、「事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起きてるんだ」という『踊る大捜査線』の青島刑事の台詞を援用して、大学の研究者に教育現場の窮状を訴える先生もいるほどである。
 

 なぜ、『踊る大捜査線』は人気を博したのか。自分が思うに、その理由の一つは、これまでの刑事ドラマとは違った切り口(視点)からストーリーを演出してみせたところにある。例えば、警察内部のタテ社会構造を、それに翻弄される最前線の刑事たちの姿や思いというかたちで描き出したことが、特筆すべき点として挙げられよう。そんな警察社会の暗部に切り込んだ刑事ドラマはおそらく、これまでほとんどなかった。もちろん、切り口が異なれば、また違ったストーリーが出来上がってくる。『太陽にほえろ』とか、『古畑任三郎』とか、火曜サスペンスものとか。海外モノでいえば『刑事コロンボ』とか。

 自分が問題にしたいのは、その「切り口」(視点)のことである。当然ながら、警察官が直面する現実は、「タテ社会」という特徴のみに解消することができない、複雑なものである。日々緊迫した職務に追われる当事者の肉体的実感としては、そんな問題を自覚する余裕などないだろう(それ以外に問わなければならないことが多々ある、とむしろ反論されるかもしれない)。
 だからこそ、意図的にその問題点を抜き出し、問題提起をしてみせた『踊る大捜査線』のフィクションとしての力が評価されるのである。そして、そのフィクションが投げかけた視点は、相次ぐ警察の不祥事という、当時かなり話題となった問題にもマッチし、一般の理解を促すものになりえた。
 自分が『踊る大捜査線』を評価するのは、そのような「現実を切り取る視点の鮮やかさ」においてである。「現実から切り取られた」ものはフィクションであり、切り口が「鮮やか」であればあるほど、それは理論的精密さを帯びるようになる。だから、理論とは、現実から意図的に抜き出したフィクション的性格を強く有しているといってよい。それゆえに、現実に訴える力をもっている。

 自分は、教育学がこれから展開していかなければならないことの一つは、同じように教育の現実を鮮やかに切り取る分析視点の提示、およびその視点からのリアルな問題提起だと考えている。単に現場の先生に「同情」してあげることなどではないし、ましてや「若者の規範意識」「日教組」「ジェンダーフリー」がどうのこうのと捲し立てる俗悪な教育論議に加担することではありえない(それらは「切り口」としてはあまりににぶい)。
 もし、先のように「事件は現場で起きてるんだ」といって不満をぶちまけてくるような先生がいたら、自分は、次のように答えようと思う。
 「センセイ、あれはフィクション(理論)ですよ」と。

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[木ログ]参院選間近ということで

毎日ボートマッチ
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/senkyo/07saninsen/votematch/

ザ・選挙
http://www.senkyo.janjan.jp/

インターネットと選挙・関連リンク集
http://www.hi-ho.ne.jp/taka_anzai/politics/senkyo02.html

選挙情報専門サイト Election
http://www.election.co.jp/

今、政治が熱い!インターネットで政治に強くなる方法教えます
http://internet.watch.impress.co.jp/www/article/2001/0625/seiji.htm

選挙の歴史
http://www.pref.ibaraki.jp/senkan/shikumi/sikumi_7.htm

over 80!!
http://www2u.biglobe.ne.jp/~over80/

落選運動
http://nvc.halsnet.com/jhattori/rakusen/

Take Action! 7.29
http://www.youtube.com/watch?v=hqKJ8tI_5JM

いろんなサイトがあるなぁ。勉強しよう。

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教育上ノ点カラ観察ヲ下ス評ハ少カツタヨウニ見受ケタノデアリマス

 今年は、東北大学創立100周年の記念の年にあたる。この100周年に合わせ、地元メディアも巻き込んだ、さまざまな記念行事が行われている。大学百年史の編纂事業もその一つだ。
 本学の歴史を語るうえで、決して外すことのできないのが澤柳政太郎の存在である。初代総長が気鋭の〈教育学者〉であったという事実は、ぜひとも心に留めておく必要がある。澤柳は、「門戸開放」「研究第一主義」など本学の学問風土形成に大きな役割を果たしたとされる。創立100周年を迎え、改めて澤柳政太郎に呼びかけ、彼から学ぶべきものについて熟考する機会をもつのは決して無意味なことではない――
 
 ということもあってなのか、なぜかM腰先生のゼミで澤柳について発表してくれと頼まれ、火曜日に報告を行ってきた。
 澤柳の人物像([文部官僚から、成城小学校・新教育のリーダーへ]。両者は一見して「分裂したイメージ」だが、[教育学者]というキーを差し込むことで両者は自然につながる)をめぐる課題に始まり、澤柳教育学を浮き彫りにしていくうえでの研究課題がまだまだありそうだ、むしろ今こそ振り返る必要がある云々と、しどろもどろになりつつ報告してきた。

 澤柳は文部官僚の時代から、実に膨大な海外教育に関する情報を収集している。それは野に下ってからも変わらず、帝大の教育学者を凌ぐほどである。それら海外からの教育情報を受容するなかで彼の教育学がいかに形成されていったか、また海外の情報に触れるなかで逆に日本をみる比較教育的な「まなざし」がどう形成されていったのか、その筋道を探ることは非常に重要な研究課題になりうる。彼はペスタロッチに共鳴し、『ペスタロッチ』(1897)という著書も発行している。また、ヘルバルト派の教育学にも学んでいる。
 しかも彼は、いわゆる講壇教育学者とは違って、その都度輸入学説を翻訳し、紹介すれば済むといったポジションに止まることが許されなかった。文部官僚としてその情報を咀嚼し、政策へと具体化していく必要があった。それゆえに、近代日本の公教育制度形成の観点からも彼の思想形成の独自性に着目していくことはおもしろい課題になりうるはずであるし、政策課題にコミットするスタンスをめぐって今日的意義も大きい。

 とくに文部官僚としての経験は、彼をして「従来の教育学」の徹底批判へと向かわせた。第三次小学校令(1900)起草にあたって、彼は「従来の教育学」から学ぶものがほとんどなかったと言い放っている。加えて、小学校令改正後の「教育社会」からなされた批判に対して、彼はかなり不満であった。教育内容の合理化・近代化―国語科を設置したり、算術で筆算を主体にしたり―を進めたにもかかわらず、その具体的な中身に言及しない「教育社会」の抽象的な批判に澤柳は失望した。今日の記事の表題は、そんな彼の主張の一節である(「改正小学校令ニ対スル批評ヲ論ズ」1900年、帝国教育会演説、『澤柳政太郎全集』第三巻、国土社、1978年所収)。

 そこで彼は、病気のため官職を離れた時間を使って『実際的教育学』を執筆、「従来の教育学」の改造を主張する。それは講壇教育学者たちへの宣戦布告であった。「従来の教育学は余りに空漠である」といったストレートなタイトルを各節につけるような教育学文献は、当時としては(今でも)異例で、そのインパクトは鮮烈である。
 同書で、彼は 自身の理想だけを根拠に教育のあるべき姿を主張するような教育学を批判し、教育上の実際問題に対処しうる教育学、「教育の事実」を出発点としてそれを「科学的」に研究する学問への、改造を訴えた(その場合の「教育の事実」について、彼は「学校教育中の普通教育」に対象を限定する)。
 はじめから特定の結論を主張しようとはしない、そのプラグマティックな姿勢は終始一貫しているといってよい。成城小学校が「実験学校」であることもそうだ。今日的にいえば、成城小は政策立案に寄与できるだけの実証的資料を提供する「研究開発学校」的位置づけにあったといえる。そして、成城小で実証された確たる根拠をもって全国規模での〈教育改造〉につなげていくという発想が、澤柳にはあった。そう考えると、彼が特定の理念に立脚した私立新学校の「画一性批判」に否定的であった理由も、教科書国定化支持であった理由も見えてくるのではないだろうか。

 その他、いろいろな方面に対してなされた彼の主張は明快で、今日に至っても全く色褪せてはいない。
 今回『澤柳政太郎全集』を眺めて自分の眼をひいたのが、彼の「教師及校長論」。当時の「教員社会」(教育会・教員会等)に対して、彼はかなり言及していることに改めて気づいた。「教育の自律性」(「教権の独立」)、「教師の専門性」という今日的課題との関わりからも要チェックだ。

といったようなことを話した(すいません、かなり美化してます)。

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「どう生きるか」を問うわけ

――K君へ

 先日、君から「人はなぜ生きるのか」という質問を受けたね。君のような考えをもつ子は決して少なくないし、そのような教科書に書いていない、根本的な疑問をもつことは重要なことだ。
 世間を見渡すと暗いニュースばかりだ。君が日々多くの時間を過ごす学校にしてもそうだ。いじめ自殺がショッキングにテレビで報道される。あんなに暗いニュースばかりでは、子どもたちはおろか、大人たちが無気力になっても何らおかしくない。「人はなぜ生きるのか」といった問いが暗い感情とともに、君以外にもあちこちから出てきてもおかしくない状況だ。

 でも、僕は、「人はなぜ生きるのか」という問いは、僕たち生身の人間のリアルな人生・生き方にとっては、それほど大きな意味を持たないと考える。例えば、小児がんで余命あとわずかという子がいたとする。その子は、「なぜ自分はこんなふうに生まれてきたんだろう」と絶望するかもしれない。だが、それでも「なぜ生きるのか」といった命題よりも、「(残りを)どう生きるか」という行為のほうを、最終的には選びとり、そして実際に行動に移すはずだ。そして、そういうエピソードに、周囲の僕たちは強く心を揺さぶられ、その子を「どう」支えるかを考えるはずだ。

 結局のところ、「人はなぜ生きるのか」に対する答えは、与えられた時間を生きてみないことにはわからない。それに、答えは一つと決まっているわけじゃない。もっと言えば、その答えは、個人個人がそれぞれ選び取るものだ。テストの問題とちがって、あらかじめ答えが決まっているものじゃない。各自が自分の生を全うして、そして永久に眼を閉じようとするその間際になってはじめて、その「答え」=自分の生きた意味がわかるようになるんじゃないだろうか。そして、そのように時間をかけて自分自身で導き出した「答え」というものは、とてつもなく価値のあるものじゃないかと思う。そのすばらしい権利を本来、人は皆、等しく持っているのだ。

 以前、僕は君に吉野源三郎さんの『君たちはどう生きるか』を薦めた。吉野さんはなぜ、本のタイトルに「なぜ」ではなく、「どう」生きるかと付けたのだろう。
 あの本は日本が戦争中だったころに書かれたものだ。当時は皆生きるのに必死だった。「死」が身近にあった時代だ。だから、「なぜ」なんて問いは必要なかった。そんな余裕はなかったとも考えられる。
 でも、一方で、当時は「なぜ」生きるのか、と考えてはいけない時代でもあった。どういうことか。最初から「なぜ」の部分、つまり答えが決まっていたということだ。決められてしまったといったほうが正確だろう。例えば、戦争に行った兵士たちがそうだ。彼らは国のために生き、そして死ぬことを命じられた人たちだ。それに逆らうことは許されなかった。僕は戦争を美化するつもりは毛頭ないけど、彼らは気が狂いそうなほどに「死」が眼前に迫っている、そんな状況下で「どう」生きるべきなのかを真剣に考えたことと思う(残念ながら、過酷な戦況のなかでは、多くの兵士たちはどう「死ぬ」べきかという方向に答えを求めざるを得なかったかもしれないが)。

 人々の自由が制限されていた当時、「なぜ生きるのか」を考えたところで、結局は「お題目」、「きれいごと」にしかならなかったんじゃないだろうか。それに比べると「どう生きるか」という問いには、人それぞれが自分の頭で考える自由がある。そう思わないかい。そして、吉野さんはそこにわずかな希望を賭けたんじゃないだろうか。「どう生きるか」にはそんな想いが託されているように、僕には読める。
 
 戦争時に比べれば、今は、とても幸せな時代のように見える。でも、よく周囲を見渡してみると、多くの人々が「生き苦しさ」を感じている。そういう時代だ。そういう時代に求められるのは、やっぱり「なぜ」よりも、「どう」生きるかという問いを各自が持ち続け、そして具体的に行動へとつなげていくことじゃないだろうか。そして、「どう生きるか」という問いを持ちながら生き続けていったとき、「なぜ」という問いに対する「答え」も次第に見えてくる。僕はそう考えている。

 K君、君はまだまだ若い。これから学ぶべきことが沢山ある。その一つ一つを、君自身が「どう生きるか」という問いにつなげていってほしい。そのためなら、僕はいくらでも協力しよう。

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[月ログ]脳内メーカー

 近頃流行っているという、「脳内メーカー」をやってみた。

「タカキ」で入力したら、なかなか、素敵な結果になった。

Takakis_brain_3

 







さっそく、mixiのほうにも画像とリンクを(本名バージョンも)アップしてみたので、関係各位の方はご覧あそばせ。ところで、この脳内イメージから何が言えるんだろう。愛よりも友情重視ってこと? こりゃ結婚は遠いなぁ・・・。

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