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「どう生きるか」を問うわけ

――K君へ

 先日、君から「人はなぜ生きるのか」という質問を受けたね。君のような考えをもつ子は決して少なくないし、そのような教科書に書いていない、根本的な疑問をもつことは重要なことだ。
 世間を見渡すと暗いニュースばかりだ。君が日々多くの時間を過ごす学校にしてもそうだ。いじめ自殺がショッキングにテレビで報道される。あんなに暗いニュースばかりでは、子どもたちはおろか、大人たちが無気力になっても何らおかしくない。「人はなぜ生きるのか」といった問いが暗い感情とともに、君以外にもあちこちから出てきてもおかしくない状況だ。

 でも、僕は、「人はなぜ生きるのか」という問いは、僕たち生身の人間のリアルな人生・生き方にとっては、それほど大きな意味を持たないと考える。例えば、小児がんで余命あとわずかという子がいたとする。その子は、「なぜ自分はこんなふうに生まれてきたんだろう」と絶望するかもしれない。だが、それでも「なぜ生きるのか」といった命題よりも、「(残りを)どう生きるか」という行為のほうを、最終的には選びとり、そして実際に行動に移すはずだ。そして、そういうエピソードに、周囲の僕たちは強く心を揺さぶられ、その子を「どう」支えるかを考えるはずだ。

 結局のところ、「人はなぜ生きるのか」に対する答えは、与えられた時間を生きてみないことにはわからない。それに、答えは一つと決まっているわけじゃない。もっと言えば、その答えは、個人個人がそれぞれ選び取るものだ。テストの問題とちがって、あらかじめ答えが決まっているものじゃない。各自が自分の生を全うして、そして永久に眼を閉じようとするその間際になってはじめて、その「答え」=自分の生きた意味がわかるようになるんじゃないだろうか。そして、そのように時間をかけて自分自身で導き出した「答え」というものは、とてつもなく価値のあるものじゃないかと思う。そのすばらしい権利を本来、人は皆、等しく持っているのだ。

 以前、僕は君に吉野源三郎さんの『君たちはどう生きるか』を薦めた。吉野さんはなぜ、本のタイトルに「なぜ」ではなく、「どう」生きるかと付けたのだろう。
 あの本は日本が戦争中だったころに書かれたものだ。当時は皆生きるのに必死だった。「死」が身近にあった時代だ。だから、「なぜ」なんて問いは必要なかった。そんな余裕はなかったとも考えられる。
 でも、一方で、当時は「なぜ」生きるのか、と考えてはいけない時代でもあった。どういうことか。最初から「なぜ」の部分、つまり答えが決まっていたということだ。決められてしまったといったほうが正確だろう。例えば、戦争に行った兵士たちがそうだ。彼らは国のために生き、そして死ぬことを命じられた人たちだ。それに逆らうことは許されなかった。僕は戦争を美化するつもりは毛頭ないけど、彼らは気が狂いそうなほどに「死」が眼前に迫っている、そんな状況下で「どう」生きるべきなのかを真剣に考えたことと思う(残念ながら、過酷な戦況のなかでは、多くの兵士たちはどう「死ぬ」べきかという方向に答えを求めざるを得なかったかもしれないが)。

 人々の自由が制限されていた当時、「なぜ生きるのか」を考えたところで、結局は「お題目」、「きれいごと」にしかならなかったんじゃないだろうか。それに比べると「どう生きるか」という問いには、人それぞれが自分の頭で考える自由がある。そう思わないかい。そして、吉野さんはそこにわずかな希望を賭けたんじゃないだろうか。「どう生きるか」にはそんな想いが託されているように、僕には読める。
 
 戦争時に比べれば、今は、とても幸せな時代のように見える。でも、よく周囲を見渡してみると、多くの人々が「生き苦しさ」を感じている。そういう時代だ。そういう時代に求められるのは、やっぱり「なぜ」よりも、「どう」生きるかという問いを各自が持ち続け、そして具体的に行動へとつなげていくことじゃないだろうか。そして、「どう生きるか」という問いを持ちながら生き続けていったとき、「なぜ」という問いに対する「答え」も次第に見えてくる。僕はそう考えている。

 K君、君はまだまだ若い。これから学ぶべきことが沢山ある。その一つ一つを、君自身が「どう生きるか」という問いにつなげていってほしい。そのためなら、僕はいくらでも協力しよう。

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コメント

ときどき読ませてもらっています。
コペル君の「おじさんのノート」いいですね。わが家の子どもたちにも、かかわりの深い学生たちにも、必読書として読ませています。今回の記事、嬉しくなって、筆を執りました。

T君へ-
  益々のご研鑽を!

投稿: K間 | 2007/07/06 01:27

先生、コメントをいただき恐縮です。
『君たちはどう生きるか』は、私も周囲に進めている愛読書です。
 気がつくと、もう「コペル君」ではなく「おじさん」の世代なのかと痛感します。研鑽を積まなければ(汗)

投稿: タカキ | 2007/07/06 19:28

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