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[火ログ]サプライズ

[100周年関連ニュース]

「「感無量」OB小田和正さん熱唱 東北大100周年祝賀会 」(『KoLnet』2007年8月27日、ウェブ魚拓)

「東北大100周年式典 井上総長「新たな航海に出発」」(『SANSPO.COM』2007年8月28日、ウェブ魚拓)

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記念まつりか不祥事か

東北大学100周年記念まつり、今日からやってるそうです。
自分も明日ぶらっと顔出してみようかな。K先生あたりから手伝いを強制されそう。

 それにしても、このタイミングで、こんな記事()が全国紙に出るのはいただけない。まちがいなく、まつり内ではタブーだな。地元各報道局も、ニュース編成に悩むだろう。

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奇抜なフィクションとリアルな実感

 山田悠介『リアル鬼ごっこ』(幻冬舎文庫、2004年)を読む。
なにしろ、帯文の言葉がすごい。

  「全国500万の〈佐藤〉姓を皆殺しにせよ!」。

〈佐藤〉姓の一人として、手に取らずにはいられない。
「西暦三〇〇〇年、人口約一億人、医療技術や科学技術、そして、機械技術までがかつてないほど発達し、他の国に比べると全ての面でトップクラスであるこの王国で、“佐藤”姓という姓を持った人口はついに五百万人を突破した。二十人に一人が“佐藤”というこの時代」という舞台設定。そして、同姓であることが気にくわないという王様の気まぐれによって、国をあげた“佐藤”姓抹殺ゲーム、“リアル鬼ごっこ”が開始される……

 あまりに奇抜な設定だが、自分たちが住む現実の世界の不条理と何ら変わらない、共通の問題構造をストーリーの中に見出すことができる。一人の権力者の無謀な発想に、「ふざけてる」と文句をつき、あきれつつも、最終的にはそれに付き従ってしまう。自分と何ら変わらない隣人が〈佐藤〉というだけで、殺戮に巻き込まれても、傍観者的態度に終始し、一週間というゲーム実施期間の最後まで不条理なルールを守る国民。そして、最終的に行動(国王への報復)を起こすのは、愛すべきものを失った極限状態の当事者であること。
 奇抜な設定のフィクション=鮮やかな視点であるがゆえに、むしろリアルな実感をもって多くの読者に迫ってくる作品だ。

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アツイぜ

 「終戦」の日(玉音放送があった日)だった昨日、仙台は観測史上最高気温を記録した。以下、そのニュース記事。

「仙台で37.2度、過去最高を更新 宮城全域で真夏日」

 太平洋高気圧に覆われた宮城県内は15日、各地で気温が上がった。仙台では37.2度を観測し、1926年の観測開始以来の最高気温を更新した。
 海からの東風が入りにくい気圧配置となり、全域で厳しい暑さに見舞われた。宮城県内では午前10時までに、19の観測地点すべてで30度以上となった。
 仙台では午前10時15分に35度を突破し、その後も気温は上がり続けた。午後1時半までの最高は1時13分に観測した37.2度で、1929年8月8日に記録した過去最高(36.8度)を塗り替えた。
 仙台管区気象台によると、厳しい暑さは16日までで、その後は平年並みかやや低めとなる見込み。 
           『河北新報』2007年08月15日

 こういう日は家の中でダラダラ過ごすに限る。昼ドラや『HERO』の再放送を、しっかりみてしまった。
 夕方は「東北大学百年物語」http://www.ox-tv.co.jp/nc/tohoku-univ100.shtmlをみる。ちょうど、自分がCOEでお世話になった先生が登場している(「世界へはばたく女性研究者たち」、8/15)。大学の研究者が「男女共同参画」をリードしていく以上、まず大学自体が「男女共同参画社会」でなければならない(机上にとどまらず、そうあるためのアクションを起こさなければならない)という自明の主張をしていた。自明だが、そこまで到達することは難しいし、机上の楼閣に甘んじている研究者は多い。セクハラ対応にあたっていた先生がセクハラをしたとか、教育評価論を専門にしている先生が自身の授業評価のアンケートを隠蔽したとかいう話を身近に聞くからだ(えっ、ウチだけ?)。だからそんな病気に感染しないよう、自戒を込めて記しておこうと思う。
 あとVTRの最後に、TGさんが映っていたのでびっくり。
 そういえば、この「百年物語」には、自分の前指導教員や講座の後輩たちも登場していたし、歌手の小田和正さんの姿も。

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主体的責任意識

 今回の『ザ・スクープSP』(07.8.12)も、切れ味鋭かった。
 第二部の731部隊の闇を追跡した報道についていえば、新たな史料(「特移扱」の文字が示す、生体実験への軍全体の組織的な関与の可能性)・証言の発掘とともに、歴史を捉える枠組み-戦後へのつながりを提起していることが、やはり刺激的である。
 生体実験のデータという稀少価値をもつ資料をめぐる米ソの駆け引き、戦犯免責(問題の隠蔽)、そして戦後医学界、ミドリ十字(薬害エイズ問題)。これら個別の事実が一つのつながりのもとに描かれていた。戦前-戦後の連続性が提起されていたともいえる。731部隊の「闇」とは、総括されてこなかった戦争責任の問題であり、現代に生きるわれわれが考えていかなければならない問題だと。

 そして、また今回も、昨年夏の放送(「終戦61年目の真実~昭和史のタブーに迫る」)のときと同じ感想をもたざるを得なかった。昨年、ブログに書いていた感想とは、以下のとおりである。

彼らの医者・科学者としての倫理的精神が個人の内面的自覚によってではなく、外的な条件に左右されている(流されている)という問題性も、一方で強烈に感じざるを得なかった。(中略)
 九州の大学病院での生体解剖実験をモデルとした遠藤周作の名作『海と毒薬』(新潮文庫、1960年、初版は1955年)では、まさにその点が主題となっていた。
 倫理的あるいは宗教的な選択があってしかるべきところが、空白のままやり過ごされてしまう日本人の精神的倫理的「真空」、神なき日本人の(世間や社会の「罰」しか知らない)「罪の意識」不在の不気味さへの着目。それが作者の一つのメッセージであったと思う。「ザ・スクープ」をみ終えた自分の頭に浮かんだのは、『海と毒薬』のこのメッセージだった。

 その夜は、ETV特集「城山三郎 “昭和”と格闘した作家」をみる。「個人」を蹂躙する「組織」の中で、いかにそれに抗い、生きるか。それを歴史上の日本人の生き様のなかに見いだし続けた城山さん。『落日燃ゆ』における廣田弘毅の生き様(他の戦争に関わった指導者たちが自殺、もしくは東京裁判で権限への逃避による弁明を続けるなか、いっさい弁明せず、自ら戦争の責任をとって「殺される」道を歩んだ)に想いを馳せるにつけ、以上に記した感想はいっそう強くなる。

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[日ログ]こ、これは……

■キュージョン
http://item.rakuten.co.jp/keitai/c/0000001245/

■ご当地キューピー人形
http://www.strapya.com/categories/12_28_270.html

キティちゃんに負けず劣らず、キューピーちゃんも巨額を稼ぎ出している気がする。
でもって、明らかに過労だ。だが、うらやましい。

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[木ログ]原発奴隷

日本の原発奴隷
http://www.jca.apc.org/mihama/rosai/elmundo030608.htm

※ショッキングな記事。でも、たしかに想定できる事態ではある。まるで、為政者・権力者が自らは怖くてできない「神殺し」を「非人」にさせる、『もののけ姫』のシナリオのようだ。

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今回の敗戦もやっぱり「しょうがない」ですか

 日曜日に行われた参院選。その結果は、自民党の「歴史的敗北」に終わった。にもかかわらず、安倍総理は続投を表明している。これにはさすがに、世論や与党内部から疑問の声があがっている。だが、彼が「自由主義史観」的な歴史意識をもつ、歴史修正主義者であること(「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の事務局長といった経歴)を考えるなら、このような態度を彼がとることは十分想定されるし、それほど驚くことではない。すなわち、「つくる会」教科書と同じように、自己中心的・独善的で、自己批判能力を持たないという点では、彼のスタンスは終始一貫している。選挙後における彼の答弁が、記者からの質問と悉くかみ合わないのは、そのような態度の表出であるといえよう。「反省すべきところは反省する」といってはいるが、具体的にどこをどう反省しようとしているのかは全くわからない。結局は国務大臣の度重なる失言等、政策以前の諸々の問題に責任をすべて転嫁し、政策(マニュフェスト)については「国民の理解が得られなかった」(=国民が理解してくれなかった。でも我々は間違っていない)という程度の「反省」に行き着くだけで終わるのだろう。要するに、どこかの大臣が原爆投下を「しょうがない」といったのと同じように、なりゆき主義的な立場からの総括に終始することが容易に推測される。
 安倍氏が、自分の都合のいいように事態をねつ造し、「おかしな言い分」を重ねるという素行の悪さは、例えば、数年前に話題となったNHKの番組改変問題からも明らかである。これについては、証言記録による魚住昭氏のスクープが実に生々しい(魚住昭「『政治介入』の決定的証拠―中川昭一、安倍晋三、松尾武元放送総局長はこれでもシラを切るのか」『月刊現代 9月号』2005年9月)。

 安倍総理が今後も自己批判に向かうことなく、他者へのレッテル貼りを一層加速化させていくのか否か、今後一層その点を注視していくことが国民には求められよう。

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