« 哀悼・パヴァロッティ | トップページ | コロキウムを振り返る »

遅筆です、ハイ。

 今週末は学会で報告である。四国は香川県まで行かなければならない。だが、相変わらずの遅筆のため(いや、書いているのに、それが形になってこないから不思議だ)、報告資料が完成せず、関係者の皆様にたいへんなご迷惑をおかけしている次第である(いつものことだと言わないで下さい)。
 
 今回の報告内容と関わって、以前のエントリで少し触れたことがある。大正期において、教育会とは何だったのか、という問いである。とにかく不明瞭。校長会や教員会、各種研究会等など、それまで教育会に統合されていた種々の機能の分化が見られ、教育会の位置づけがきわめて見えにくくなる。そんな状況下で、教育会の存在意義とは一体何だったのだ。当時の人たちよ、教えてくれ、と叫びたくなる。
 しかも、以下のような論考を読むと、当時ですらよくわかっていなかったのではないかと思えてくる。
 紹介するのは、澤柳政太郎「教員組合と教育会」(『帝国教育』第458号、1920年9月)。この論考は、教育会の「教員組合」化を説いたものである。澤柳は本論で、教員会など「教員組合」的色彩を帯びた団体の組織化動向に疑問を投げかけている。だが、それは保守反動的な思想からではなく、むしろそれらの組織化が「教員組合」的なものになりえていない、従来の「教育会のすることとあまり大差が無い」という、むしろ積極的な意味においてであった。教育会、教員会双方の会員の9割が小学校教員である現状からしても、両者の間にはほとんど組織的な違いがなく、教員会を分化させることでかえってその発達が覚束なくなるのではないかという疑問なのである。これは、現代において教育会を研究する我々にとっても興味深い指摘である。当時においても教育会、あるいはその他の教員組織のあり方が釈然と分けられていなかった傍証として、澤柳のこの論考を位置づけることができるのではないかと考えるからである。
 彼の具体的な指摘はこうである。

「苟くも教員組合といふものを新らしく作るとすれば、何か其処に従来の教育会とは別の目的を有つた団体とせねばならない。此の特別の目的さへあれば其処に別団体として之を作る必要も認められ、又同時に教育会に関係なく、之と並んで存在し発達することが出来るものである。
 然らば「教員組合」に於て目的とすべき特別の任務とは何であるか。それは教員の地位の向上安固を組合の力によつて図るといふことでなければならないと思ふ。」(457頁)
「けれども我々は『教員組合』を設立する場合更に慎重に考へて見る必要はある。先づ其の目的の上から、殊に『教員組合』と殆んど其の要素を同じうする教育会が相当程度発達して居る今日としては、それと教員組合との関係を十分に考察して置かなければならない。自分は今日の教育会を教員組合の如くに改造して行くといふことが有力な一案であると信ずる。」(458-459頁)

 このように述べて、澤柳は「将来教育会と並行させて別に教員組合を組織するよりは教育会を改善し若くは改造して、以て教育的団体としての機能を発揮せしめる方が得策ではないかと思ふ」(459頁)と主張する。
 「教育社会」全体の質的向上、社会的地位の向上の問題に関して、全国的には教員会(多くの場合は、郡市を単位として行政主導で動いてきたとみられる教員の研究会)という教員の新しい動きが、この時期活発化していく。そのような中にあって、澤柳がこのように述べていたことは興味深い。
 は、やばい。こんなことしている場合ではなかった。ナンダカナー。

|

« 哀悼・パヴァロッティ | トップページ | コロキウムを振り返る »

教育史ノート」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/69457/16488806

この記事へのトラックバック一覧です: 遅筆です、ハイ。:

« 哀悼・パヴァロッティ | トップページ | コロキウムを振り返る »