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また余計なことを

・「中学で『武道』を必修化=中教審」『時事通信出版局 内外教育研究会』2007年9月5日。
・「中学で武道必修化へ 中教審体育部会 「伝統文化」重視で」『Sankei Web』2007年9月4日。

 武道に励んでいる者として言わせてもらえば、「武道」を必須化した今回の中教審素案は「下らない素人発想」という評価に尽きる。さしあたり、自分の意見として次の点を指摘しておきたい。

(1)改正教育基本法中の「伝統と文化の尊重」の文言を受けた旨のことが記事には書かれているが、そこから「武道」という、近代以降に形成された新しい「伝統」を選ぶこと自体、極めて恣意的な発想であることを指摘しておく。武道を体験させることは多様な運動体験を積ませることにはなるかもしれない。だが、どういう意味でそれが「伝統と文化の尊重」の実現につながるのかは、まったくもって私にはついていけない意味不明な思考である(柔道などはもはや完全に国際「スポーツ」化してしまい、武道的意味づけは墜落しかけている)。まちがっても、これによって武道の意義を精神主義的・根性主義的な方向に狭めてほしくはない。それは武道への侮辱である。

(2)「武道」を必須化したときに、一番問題となるのは設備面の整備である。実はこれにはとてつもなくコストがかかると考えていい。剣道についていえば、とくに防具類面での費用がかさむ。メンテナンスも大変であり、それを怠ると香ばしい腐臭をあたりに漂わせることになる。しかも、生徒一人一人に防具を用意させることなど到底できないから、防具の使い回しは必至である。となれば、女子はドン引きすることまちがいなし(断言)。
 柔道にしても設備は大変だ。畳が張りめぐらされた道場の管理を、すべての中学校に望むことは困難だろう。

(3)用具費は無償ではないだろう。道着・(剣道なら)竹刀などは、生徒側が用意しなければならない。自費負担となることは間違いない。とすれば、給食費同様に、用具費の滞納という事態が容易に想定される。
 ちなみに、自分が高校の時経験した体育での剣道は、実にひどいものだった。どういう点でひどかったというと、体操着の上に防具をつけて稽古をするという点においてだ。道着は決して安くはないし、生徒一人一人に購入させるわけにもいかないのである。しかし、そんな「美しくない」格好で、ほんの少しの時間と指導で稽古をしてみたところで、「伝統と文化の尊重」という態度を実現させることなど、まずできないだろう。

(4)指導面でも困難がつきまとう。すべての学校に、武道の指導者を配置することは難しいはずである。そして、武道は危険と隣り合わせだということも覚えておいたほうがいい。私が在籍した大学の剣道部では、その昔死者を出したことがある。稽古前の何気ない竹刀のチェックという慣行の背景に、にわかには信じられないような理由があることを知って、私は驚愕した経験がある。武道の指導には、安全面への配慮が行き届くだけの専門性が求められるのである。
 
(5)結局、必須化することに意味はない。そればかりか、地方の教育財政を圧迫し、現場を混乱に陥れる危険性すらある。地方分権の流れのなかにあっては、むしろ、地方の自主性を尊重した柔軟な体育のカリキュラムを構築すべきであり、これについて国家が一方的に決断する必要はまったくない。

要するに、「また余計なことをしてくれるなぁ」というわけだ。

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コメント

はじめまして。ごもっともな意見です。武道ひとつとっても色んな見方があることがわかりました。こういう意見がお偉いさん方に届くといいのですが・・・。大変参考になりました。

投稿: フロッグマン | 2007/09/07 19:23

 はじめまして。コメントありがとうございます。参考になりましたなら、光栄です。今の文部科学次官が私の大学のOBなので、いろいろ間接的に(ウチの大学の先生を通して)意見をしてみようかとも考えたりしています。

投稿: タカキ | 2007/09/08 00:07

武道につきものの「錬」のイメージ(うちの会にもついているけど)が、堕落をなんとかしようとする政策立案者にとって魅力的に移るんだろうね。

しかし武道とはあくまでも戦闘行為を前提とした武術の修行。その中で自分を律し、内面的に深めていく部分は事実、ある。だとしても、それは自ずから思うのであると思う。用意された場=授業における戦闘行為の修練から、内面的に深めていく部分へと到達できる生徒がどれほどいるのか。実態としてはパワープレイに傾き、力の持てる者、技のもてる者が幅を利かす授業となり、大多数の無気力な生徒を抱えていかに授業を展開するのか。そんなところに教師の感心が集中するのかもしれない。
伝統や文化、というなら僕は「作法科」の復活を望みたい。礼儀や作法を知ることこそ、子どもの人間形成にとって有効だと考える。そこにはパワープレイの入る余地さえ無い。

投稿: すだ公民館長 | 2007/09/15 22:04

 武道がスポーツ化することで生じる問題性は、柔道をみていてとくに強く感じます(剣道も国際化の流れのなかで、その危険性に留意する必要がある)。
 「作法科」のほうが、「武道」に比べたら、問題なく実施に移すことができるかと思います。その点では賛成。
 ただ、「作法」を現場に下ろしたときに、結局しつけ・管理という発想と結びついて、単なる行動規制になってしまう危険性も考える必要があるかと。ゼロ・トレランスを説く人間もいるし。そもそも独立した科目にする必要があるのか、といった批判も来るでしょう。
 「作法」にも、剣道・居合でいう「理合」のようなものがあるだろうから、もし「作法科」を導入するとすれば、それをしっかり教える形でやってもらいたい(=やはり専門性が求められる)。自分はそう思います。

投稿: タカキ | 2007/09/19 02:32

すみません。
私は武道必須化に賛成しています。
難しい事はわかりません。
でも、サッカーやバレーボールのように剣道もみんなに親しまれる『武道』であって欲しい。
敷居を高く高くして犬猿されたくない。
私は高校で剣道をしています。
部員を勧誘していると「剣道?そんな難しいスポーツわかんないしー」殆どの人が言います。
とても寂しい気分になります。
私は剣道が大好きです。
小学校1年生からもう9年以上やっています。
剣道をもっと広めたい…私はそう願ってます。

投稿: 女子高生 | 2008/05/28 20:51

>女子高生さん

 はじめまして。
 自分も小学2年生から大学まで剣道部一筋で来ましたので、お気持ちはよく理解できますよ(今は居合をしています)。

 ところで、現在、高校で世界史は必須科目です(私は必須化が適用されなかった最後の学年でした)。では、必須化されたことでみんなに「親しまれる」ようになったでしょうか。ちょっと前にニュースで明るみになったのは全国規模での未履修という、何ともスキャンダラスな事実でした。まさに、学校ぐるみで「敬遠」されたわけです。
 必須化されたからといって、授業に取り入れられたからといって、イコール「親しまれる」ということには、直接はつながりません。強制されるぶん、かえって嫌になる人が増えるかもしれません。
 また、「大好きだから」「広めたい」という個人的な思いだけでは、説得力のある意見とはなりません(私が「たった数時間の授業で伝えられる剣道なんて屁みたいなものだ。かえって誤解を生む」という思いを述べたところで議論はかみ合わないでしょう)。
 それに、今回必須化された学校「武道」は、果たして女子高生さんが「広めたい」と思っている武道(剣道)と同じ質のものなのでしょうか(私は違うとみています)。

 むしろ、女子高生さんに考えていただきたいのは、必須化うんぬんより、女子高生さん自身が“具体的にどのように”伝えれば、多くの人に武道(剣道)への関心をもってもらえるかということです。
 もし、先生ではなく、経験と情熱のある生徒が主体となって「武道」の授業が行われるのなら――、
私はそれなら期待してもいいと思っています。

稽古がんばってください!

投稿: タカキ | 2008/05/29 02:28

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